ひとりぼっちのキノおばあちゃん
キノおばあちゃんは、いつもせかせか動きまわっている。
あっちに行ったり、こっちに行ったり。いつもせかせか動いて、まわりに目を向けて。
おばあちゃんは人の悪口と噂話がなによりも大好きだ。
おじいちゃんも、おじさんもお母さんも、言っても聞かないおばあちゃんが他人様に迷惑をかけないようについてまわっている。
お父さんとお母さんは、おばあちゃんのお家に遊びに行くとにこにこ笑って口を閉じた。でもその笑顔は、いつも引きつっていた。
「向こうの家の旦那さんはね、外で遊んでばかりいるんだよ。小さい子供がいるのにねぇ」
「お隣の奥さんはね、夜に飲み歩いてばっかりいるよ。ああはなりたくないねぇ」
「この前、向かいのお家の奥さんがね、若い男を連れ込んでたんだよ。ありゃ不倫だね! あ~やだやだ!」
お母さんとおじさんは、おばあちゃんのそんなお話を聞いて困ったように笑っていた。
キノおばあちゃんは、人の家の観察も大好きだ。
リビングにある大きな窓から、いつも近所の人の動向を窺っては、勝手な妄想を頭の中で作り上げて得意げに悪口として話し始める。
そんなおばあちゃんはおじいちゃんが大嫌いで、尚且つ自分の言うことが絶対に必ず正しいと思い込んでいる。
昔からそうだったらしいから、おじいちゃんと何度ケンカになったかわからないってお母さんがいつも話してくれた。
「クソオヤジ! さっさと死んじまえ!」
「テメェの実家が何してくれた!? ああ!? 米のひとつも寄越さねぇだろうが!!」
いつも、そんなことを言ってはおじいちゃんを精神的に追い立てていた。
孫のわたしがいても、一度スイッチが入ったらもう止まらない。
自分の意見に従わない人を徹底的に言葉と力の暴力で叩き伏せ、思い通りにならないと首を吊って死のうとする。
おじさんとお母さんは、そんなおばあちゃんがいつも悩みの種だった。
ある日、おじさんが「肺がん」になった。お母さんの実のおにいちゃん。
お母さんはそれからしくしくと泣いてばかり。お見舞い行くと、おじさんが「よく来てくれたね、ありがとう」って笑ってくれた。
でも、いつも点滴をしていて元気がなさそうだった。
おじさんは「大丈夫だよ、すぐ元気になるさ」と言っていたけれど、その点滴が治療ではなくただの痛み止めだったことは知っている。
それから三か月後、おじさんは天国に旅立ってしまった。
「あのクソジジイが兄さんに苦労ばかりかけるからこうなったんだ!!」
おばあちゃんは、そう言っていた。
おばさんは「面倒を見れない」と言っておばあちゃんと縁を切ってしまった。
おばあちゃんは徹底的におばさんのことを悪く言った。
ある日、お母さんが「乳がん」になった。わたしのお母さん。
抗がん剤の治療を受けて、必死に闘病を頑張った。大きい薬を飲むのは大変で苦しそうで、見ていられなかった。
味覚障害を引き起こして、大好きなお味噌汁を飲んでも「泥水みたいだ」と言って悲しそうだった。
おばあちゃんにとっては自分の娘。一週間に一回、必ずお見舞いに来てはわんわん泣いて帰っていく。
「母さんが死んだらばあちゃんの面倒見てね」
「母さんが死んだら毎日ばあちゃんのお世話にきてね」
「母さんが死んだらお墓守ってくれる人がいなくなるんだから嫁がせないよ。お前は女の子だから婿養子をもらいなさいね」
「母さんが死んだら……」
おばあちゃんは、毎日電話をかけてきてはわたしにそんな要求を向けてきた。
一年後、お母さんはおじさんのいる天国に旅立った。
わたしはうつ病になった。
「昔からクソジジイが苦労ばかりかけてきたからこうなった!!」
おばあちゃんは、そう言って泣き叫んでいた。
またある日、おじいちゃんが「大腸がん」になった。おばあちゃんの旦那さん。
手術すれば治ると言われたから、手術することになった。
「テメェの治療費なんか一銭も出さねぇ!!」
おばあちゃんがそう言うから、お父さんと相談してウチで出すことにした。
手術は成功。手術室から出てきたおじいちゃんは麻酔が切れ始めていたらしく、痛そうだったけれど「ありがとう」って言って笑ってくれた。
半年後。
肝臓に転移したがんが全身に広がって、おじいちゃんはおじさんとお母さんがいる天国に旅立った。
いつも話を聞いて、老後の面倒を見てくれたおじさんも、お母さんも。
ケンカも絶えなかったけど、なにを言われても見捨てずにいたおじいちゃんもいなくなって、キノおばあちゃんはひとりぼっちになった。
今ではもう、得意げに話していた悪口を聞いてくれる人は誰もいない。
いるとすれば、お父さんと一緒に顔を見に行くわたしだけだ。
行けば、おばあちゃんはおじいちゃんとその実家の悪口を何時間もぶちまける。もう亡くなっている人たちのことを延々と責め立てる。
それが嫌で行かなくなると、こう言うんだ。
「お金あげるから、おいで」
かわいそうなキノおばあちゃん。
自分勝手に振舞ってきたから「お金」しか人を繋ぎ止める方法がない。
大切な人たちが生きている間に、ちゃんと言葉に耳を傾けておけばこんなことにはならなかったのに。
口を開けば悪口しか言わないから、近所の人からも、血の繋がった他の親戚からも避けられて。
悪口と自己中は人を遠ざけ、最終的には本人を孤独に追いやることを知った。
キノおばあちゃんは、今日もひとりぼっちで暮らしている。