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テス・イマルファス編 その1



 アインは校舎の中にいました。一通り教室を回ります。教員室、魔法科の教室、廊下、階段。

「もう帰ったかな」

 探しているのはテスでした。彼女に不思議と興味があるアインは彼女を誘ってみようと考えました。事務的に断られるかもしれませんが、一人で行く理由を聞くのもいいと思っています。

 図書室につきました。とりあえず入ってみようとドアに手をかけます。

「おっと」

 そのとき、ドアが開きました。アインは退きます。そしてその中からテスが出てきました。

「すみません」

「ここにいたんだ」

「…アインさん」

 テスは顔を上げてアインを見ました。

「いつ出るの?」

「これから先生に言うところです」

 感情の読めない表情でテスは話します。アインはまだ一人で出ると決まっていない彼女に話してみようと思いました。

「ちょっといいかな。時間ある?」

「はい。なんでしょう」

 アインは彼女と図書室の中へ入りました。彼女をテーブルにつかせ、正面に座ります。もう昼が近いため、人は数人しかいません。

「テスちゃんは一人で行くんでしょ?」

「はい」

「よかったら、俺も連れていってくれないかな」

「…構いませんが」

 アインは彼女の変わらない表情に戸惑います。間が空きましたが、何を考えたのか分かりません。

「いいの?」

「はい。本来は組で行くものですから」

「あ…ありがとう」

 アインはとりあえずの意味で礼を言いました。

「それでは、先生に言ってきましょう」

「あ、ああそうだね」

 アインはすぐに行動を起こすそのテスについていくように図書室を出ました。全く理解できません。彼女は何を目的にしているのでしょうか。魔法を覚えることでしょうか、それとも卒業することでしょうか。アインはそれを今聞くと無粋だと思い詮索はしないことにしました。

 そして出発を明後日に決めて二人は学校を出ました。

「それじゃあ明後日ね」

「はい。町の門で」

 テスは頭を下げ、帰っていきました。アインはどんな旅になるのか予想もつかないまま家へと向かいます。


 そして旅に出る日がやってきました。

 アインが門ついたのは約束の時間よりほんの少し前です。まだテスはいませんでした。

「まだ来てないか」

 アインは門の壁に寄り掛かって待つことにしました。これからセントネイルに向かうことになっています。それは彼女が決めたことではありますが、アインがそうさせたことでもありました。

 危険ではないため。この理由でそうなったのです。セントネイルは大都市で様々な人が住むところです。人が多ければ商人も増え、商人が多ければ人が増えます。これを繰り返して大都市となったところでした。それゆえに、そこまでの道は舗装され、荷馬車も多く通り、人も行き交います。距離的にも遠くもなく近くもないので、他の生徒もここをめざす人が多いはずでした。

「おはようございます」

 テスがやってきました。時間ちょうどです。彼女は一つのバッグを持っています。

「おはよう。じゃあ行こうか」

「はい」

 連れても、連れられるわけでもない彼女との旅が始まります。アインは何の緊張感も見られない彼女と並んで歩きました。

「テスちゃんはどうして魔法を勉強してるの?」

「…理由ですか? 卒業するためです」

「学校を? じゃあ卒業して何かになろうとしてるの?」

「いえ。いまは考えていません」

 テスは迷いもなく答えます。それがアインには適当に答えているようにも聞こえましたが、そうする理由があるのかとも思いました。

「じゃあどうして、一人で行こうって考えたの?」

 アインはそう聞きながら彼女の顔を見ました。彼女は少し考えたようにして口を開きました。

「理由は、ありませんが」

「変なこと聞いたかな?」

「いえ」

 歩みに全く影響しない彼女はただ道を歩いていました。

「あえて言うなら、私の中に同行をお願いする方がいなかったからだと思います」

 剣技科に友達や、顔見知りがいないということなのでしょうか。ですが、彼女は何の表情も変えずに言いました。

「誘われなかったの?」

「はい。アインさん以外は」

 アインは彼女と自分の間に区切られた壁があるように感じました。それが自分によって作られたものか、彼女が発しているのかは分かりませんでした。そしてあまり彼女を詮索するのはいいことではないと感じ、アインは他の話題に変えます。

「テスちゃんはどんな魔法が得意なの?」

「私ですか。得意と言えるものはありませんが、攻撃系より回復系の方が効果があります」

「へえ。それで、危険じゃないところを選んだんだ」

「そうですね」

 初めて彼女と話す人は、そのそっけない話し方に苛立ちを覚えるかもしれませんが、アインは彼女から何の感情も読みとれないことから、それがテスという彼女であると理解しているつもりでした。

 セントネイルまでは三日を要します。隣の国にあるのでこれだけの日数がかかるのは致し方ありません。

「セントネイルまでに、途中のドルツとラネッサの町を通っていこうか。ちょっと遠回りになるけど、そうしないと野宿になるかもしれないから」

「はい。わかりました」

 アインは彼女にどう接していいのか分かりませんでした。少しでも深入りしてみようかと考えるのですが、返答が予測できるのでそうする気が失せてしまいます。他人を気にしない、自分の道を進む子と言えなくもないのですが、どうやら自分のこともあまり気にしていないようなのです。

 アインはこの旅の間に、彼女の内側を見られればと言う欲にかられるのでした。




Magic School

~魔法学校卒業レポート~

テス・イマルファス編


 ドルツの町に着きました。午前中に住む町を出て、いまここについたのは夜でした。

「宿を探そう」

 アインは町に入ってそれを目指しました。宿は二つありましたのですぐに一つが見つかります。二人はそれに入りました。

「ども。部屋あいてる?」

 アインは学割と呼ばれる学校が発行したカードを見せます。

「アスタルの魔法学校の生徒さんか。空いてるけど、二人分はないよ。他の生徒さんもいっぱい来てるんでね」

「みんな一部屋づつなのか」

「そうだよ。どうする?」

「…ちょっと聞いてくるよ」

 アインは後ろで待つテスの所に戻りました。

「テスちゃん、二人一緒の部屋になるけど、いいのかな」

「ええ、構いません」

「…それじゃ」

 そして再びカウンターに行きます。

「じゃあ頼むよ」

「はいよ。二階の五号だ」

 アインは宿の主に鍵をもらって、テスと二階に上がります。二人では多少狭く感じるその部屋に入りました。荷物を置いてアインは椅子に座ります。

「疲れた?」

「いえ」

「お腹すいたね」

「はい」

 自分からは何も話さない彼女なので、昼食を取らずにここまで来ました。アインは歩いたのでいつもよりお腹が空いていると感じました。

「買ってくるよ。待ってて」

「すみません。お言葉に甘えます」

アインはテスの言葉を聞きながら、部屋を出ました。そして彼女はバッグから本を取り出して、読み始めます。

 やがて、アインが料理の入った皿などを持って戻ってきました。

「お待たせ」

 それらをテーブルに乗せます。テスは本をしまいます。

「じゃあ食べようか」

「はい。いただきます」

 テスは礼をして言いました。そして二人は食事を始めます。

 テスは見た目の感じも可愛らしい子なのですが、やはりその雰囲気が人をよせつけないのかとアインは思いました。自分のことを話さないのではなく、自分のことにも興味がないと言った感じがします。

「テスちゃんはあの町に生まれたときからいるの?」

「はい」

「そうなんだ。俺は親父が剣術者でね。五年前までいろんな国を旅してたんだよ」

「…」

「隣の国はもちろん、カランガ国やオウレック国にも行ったんだ」

 アインは自分のことしか話題がないと思って話します。おそらく彼女は『そうなんですか』という言葉で終わらせるでしょうがそれにももはや慣れ始めていました。

「剣術とは何か。そしてそれに対となる魔法とは何かって教わったよ」

 テスは手を止めてじっとアインの話を聞いていました。

「力を掲示する剣。心を使う魔法。剣を持つ者は決して自分だけのためにそれを手にしてはならないって毎日のように言われたね」

 パンをかじりながらアインは言います。そしてテスの手が止まっているのに気づきました。

「もう食べないの?」

「えっ、あ、はい」

「…」

 アインは初めて彼女が事務的に答えなかったように見えて少し嬉しくなりました。

「そして五年前に、俺が十三になったら親父は『お前に教えることはもう無い』って言って一人で旅に出ていったんだ。それから俺は町に戻って自分がやりたいことを見つけるまで学校に行くことにしたんだよ」

 最後の肉をかじってアインは話を終わらせました。

「んー、食った食った」

「ごちそうさまでした」

 アインは少しお腹を落ちつかせるために座っていました。

「アインさん」

「ん?」

「すみません。私、つまらない者で」

「どうしたの?」

「私、アインさんのように話し方を知りませんので、自分から何を言っていいのか分からないんです」

 テスは急に申し訳なさそうに話し始めました。

「アインさんに気を遣わせている気がして…」

「いいよ。そんな気にしなくても」

 アインはテスのその言葉に彼女の何かを見たような気がしました。

「じゃあ皿返してくるから」

「すみません」

 テスのいつもと違う表情を見てアインは皿を持って部屋を出ました。

 隣の部屋に同じ生徒がいるのか笑い声が聞こえてきます。テスは何もしないと、何も考えない自分を嫌がり、本を読み始めました。そこにアインが戻ってきます。

「勉強熱心なんだね」

 テスはその声に振り返りました。

「ありがとうございます」

 そしてそう言いました。ですが、すぐにそんな自分を不思議に思います。特に意味があって話題を止めようとしているつもりではないのですが、他に何と言っていいのか分からないのです。かといってそれを聞く必要も感じていませんでした。

 こうした考えから、彼女は口数も少なくなってしまうのです。決して自らがそうしようとしているわけではありませんでした。アインもどうしてか深く聞く気にもなれません。それから本を読むテスを見て眠くなるのを待ちました。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 月が窓からよく見えるようになった頃、二人は眠りにつきました。


 翌日になりました。アインは後ろにテスを連れてカウンターに来ました。

「早いね。もう出るのかい」

「急いでるわけじゃないけど、ね」

「二人で二十五だ。…ああ、それからラネッサの町であまりいい噂を聞かないから気をつけた方がいいな」

「どんな噂?」

「盗賊が出るとか。まあ噂だがね」

 アインは宿代を払って宿を後にしました。町を出る道を歩きながらテスに話します。

「ラネッサの町で盗賊が出るって噂があるらしいよ」

「そうですか」

「どうしよう。セントネイルじゃないところにする?」

「私はどちらでも。…アインさんにお縋りするわけではありませんが、一人ではありませんのでセントネイルではないところに向かうことも考慮します。もちろん、私が足手まといになる可能性はなくなりませんが」

「難しいこと言うなぁ…じゃあ、行こうか。最初の目的だし」

「はい。分かりました」

 そしてその町を出てセントネイルの方角へと向かいました。さわやかな風がながれる道を二人は進みます。

「ねえテスちゃん」

「はい」

「テスちゃんの好きなタイプってどんなの?」

「タイプ、ですか?」

「…好みの男性って意味だけど」

 テスはその質問にアインを見たまま、ほんの少し間をおいて言います。

「特には」

「…そう。じゃあ、好きな食べ物は?」

「特にありません」

 アインはテスのことを少し理解した気がしました。彼女は何にも執着しない、無欲な子であると。それ故に性格や会話に心がないように思えるのでした。

「私、おかしいですか」

「いや、普通だよ」

 アインはただ周りの人や自分が欲猛々しいだけかもしれないと思いました。そして、他の子なら、ここで同じ質問を返してくるものですが、彼女の場合はそこで終わるのです。

 きのう見せた翳りのある表情はいまはありません。いつもの彼女に戻ったようでした。

 ラネッサの町を目指して二人は歩を進めました。アインはまた昼食を取らずに行くのだろうかと考えています。そして彼女はお腹空かないのかとちらりと顔を見ました。






 アインとテスはラネッサの町に向かっていました。昼を過ぎるとさすがにアインは空腹を感じます。その度にテスの顔を伺っていましたが彼女は変化なく歩いています。

「テスちゃん」

「はい、何ですか」

「お腹空かない?」

「はい、少し」

 アインは疲れたように道脇の岩に腰を下ろしました。テスもその横に立ちます。

「大丈夫ですか?」

「この辺でお昼にしようよ」

「はい」

 アインはゆっくりと立ち上がりました。そして林の方を見ます。

「この先に川があるはずだから、そこで何か採ろう」

 そういって林のなかに入っていきます。テスもそれに続きました。足場の悪い木々の間を進みます。アインは慣れたように進みますがテスはそのアインに追いつくのがやっとでした。

「あっ」

 テスの足にツルが引っかかって彼女は倒れかけます。

「おっと」

 それをアインが受けとめました。

「すみません」

「ちょっと急いだかな。ごめんね」

「いえ、私の不注意ですから」

 テスはアインの手から放れて立ち上がりました。そして再び先へ進みます。やがて、川のせせらぎが聞こえてきます。そして木が開けて川が見えました。

「うん、昔のままだ」

 アインは辺りを見回しました。

「テスちゃんは何がいい?。木ノ実か、魚もあるよ」

「私は何でも」

 テスに聞いたとき、アインはその答えが返ってくることをすぐに感じました。

「じゃあ木ノ実にしようか。採ってくるから待っててね」

「はい。すみません、役に立たなくて」

「いいって。…でも一人じゃ心細いかな。一緒に行こうか」

「はい」

 アインはテスを連れて川縁に生える木に向かいます。

「滑るから気をつけて」

「はい」

 岩を上がりその木に近づきます。そしてテスを下に待たせ、アインは木に登りました。テスはそれをじっと見ています。

 アインは手慣れたように木ノ実を次々と採りました。そして両手に持ちきれなくなって降りるとき、川下に何かが動いたのを見ました。

「?」

すぐに降りてそこへ行ってみようと思いました。

「何個か落とすよ」

「はい」

 テスが可愛く両手をあげました。アインは一つずつ落とし、片手が空くと木を降り始めました。

「いよっと。…向こうに何かいるみたいだ。ちょっと行ってみよう」

「はい」

 テスはアインが指した方向を見てうなずきます。そして二人は川下に向かいました。見た感じでは人があまり入り込みそうにないところではありました。それ故に何かあったのかとアインは感じたのです。

 やがてその場所近くに来ました。

「誰かがいたような感じがしたんだけど…」

「アインさん」

 テスが何かを見つけて指をさしました。そこには釣竿と杖が置いてあります。

「…おーい」

 アインは声を上げました。誰かいた形跡があるのですが、その人の声はしません。アインは木ノ実を置いて高い岩に上がりました。そこから周りを見回します。

「…」

 そして、さらに川下の方で何かが動きました。すぐにそこへ向かいます。岩影を見ると一人の老人が足から血を流してうずくまっていました。衣服は濡れています。川に落ちて怪我をしたのでしょう。

「大丈夫かい、じいさん」

 アインは抱えあげて平らな川縁まで運びました。そこにテスが来ました。

「怪我してる。川に落ちたみたいだから、焚き火を焚くよ。テスちゃんはここにいて」

「は、はい」

 アインは林へ走り込みました。テスはその老人の横に座り、手首を持ちました。脈を診たのでしょう。

「…」

 気を失っているだけのようでした。ですが、老人にこの川の水は堪えましょう。テスはバッグから毛布を取り出して老人を包みました。

 そしてアインが戻ってきます。木切れを抱えながら足で地に窪みを掘ります。そしてそこに木切れを置きました。

「あっと、バッグが…」

 アインは火をつける道具をバッグの中に入れてあることを思い出し、それを置いた場所を探しました。

「火ですか?。焚き火をする程度なら私が」

 テスはその薪に手をかざしました。そして煙が上り、やがて火がつき始めました。彼女はそれを終えると呼吸を整えます。少し苦しそうに見えました。

 アインは老人をそのそばに寝かせました。

「足に怪我してる。手当しないと」

 アインは次々と行動を起こします。立ったり、川に走って水を汲んだり、薪をくべたり。テスはそれを見ているしかできませんでした。

 そしてアインがバッグから包帯を出したときにテスが言いました。

「私が魔法で」

「テスちゃん。大丈夫なの?」

「完治出来るか分かりませんが」

 テスはそう言って老人の横に座りました。アインはその様子を見ています。臑のあたりに岩に強打したと思われる傷があります。テスはそれに手をかざしました。

「…」

 しばらく川のせせらぎだけが耳にはいるときが流れました。テスはじっと手をかざしています。傷は見た目、変化がありません。

「…っ」

 テスが息を詰まらせるような声を出しました。アインは彼女の額から大量の汗が流れるのを見ます。そして徐々に傷が塞がり始めました。

 やがて、血も止まり、傷も塞がりました。

「はあ、はぁ…」

 テスは片手をついて苦しそうに胸を押さえています。ですが、アインには彼女の顔が嬉しそうであるのを見ました。

「大丈夫、テスちゃん」

「はぁ、…はい」

 そしてその老人が目を覚ますまで二人はそこにいることにしました。テスは木ノ実を小さくかじっています。その目はじっと老人を見ていました。

 アインはそのテスを見ます。彼女が老人の怪我を治したときの顔を思い出していました。言葉通り、嬉しそうでした。

「んむ…」

 そのとき、老人が目を覚ましました。目を開け、ゆっくりを起きあがります。

「大丈夫かい、じいさん」

 老人はアインの声に振り向きました。

「ワシは岩から滑って…おお、そうか。おまえさんたちが助けてくれたんじゃな」

「足の方は痛みませんか?」

 テスは老人に聞きました。

「ん? ああ、落ちたときにぶつけたんじゃ。…おや、なんともなってない。お嬢ちゃんが治してくれたんじゃな」

「よかったです」

 テスはほんの少し笑いました。それは彼女を始めてみるその老人には分からないでしょうが、アインにははっきりとその小さな笑いを見ました。

 あたりはすでに夕方を迎えようとした頃になっています。

「おまえさんたち、魔法学校の生徒さんか。ほうほう」

 二人は老人としばらく話をしています。もっともテスは聞き役に徹していましたけども。

「おや、もうこんな時間か。よしよし、助けてくれたお礼に今日はワシの所に泊まっていきなされ。ここからラネッサの町には半日はかかる。夜は危険じゃからの」

 アインはそれを聞いてテスの顔を見ました。テスはそれに気づいて言います。

「私は、一向に構いません」

「じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」

 そしてアインたちは老人の後についていきました。川を上り、林に入ります。

「じいさん、こんな所にすんでるのか?」

「こんな所とは何じゃ」

「いや、こんなとこにすんでおきながら川で足を滑らせるとはね」

「ほっほっほ。それはいいっこなしじゃて」

 やがて老人とともについたところは一軒の小屋でした。二人はその中に招かれました。部屋の中にはあらゆる魔法具が置いてありました。魔法具とは、魔法の力をそそぐと機能を発揮する物のことです。それはランプだったり、楽器だったりします。

「じいさん、魔法を?…もしかして魔導士か?」

「まあそうも言われておるの」

「魔導士なのに岩から滑って怪我したのか」

「だからそれはいいっこなしじゃって」

 そして二人は丸い小さなテーブルにつきました。アインは魔法を使うわけでもないのですが、周りに置かれている物に興味を示し、きょろきょろとしていました。そしてテスはじっと正面に掛かっている絵を見ているだけでした。

「あまりいいもんは出せんがの」

 老人は魚の入ったスープを持ってきました。

「いやあ、じいさんの飯を取るみたいで悪いよ」

「なにをゆうとる。ワシには久方ぶりの客なんじゃ。もてなしの仕方を忘れないためにじゃよ」

「それはいい言い方だ。…じゃあいただくよ」

「すみません、いただきます」

 そして二人はその晩御飯を食べました。

 老人と話をしながらの食事を終えます。アインはきらびやかな魔法具を見ていました。奥で老人が片づけをする音が聞こえます。そしてそれを終え、老人が戻ってきます。

「おまえさんたちはどこに行くつもりなんじゃ?」

「セントネイルさ」

「なんじゃ、すぐそこではないか」

「いいじゃないか、別に」

「まあのぅ」

 そして老人も暖炉近くの椅子に腰掛けました。

「…お嬢ちゃんは魔法を習っておるんじゃろ?」

「はい」

「魔法は嫌いか?」

「いえ」

「そうか、じゃが好きでもないようじゃな」

「…」

 テスはその質問には答えませんでした。おそらくどう答えていいのか分からなかったのでしょう。

「お礼と言っては何じゃが、少し話をさせてくれんか?」

「はい」

 テスは顔を上げて答えました。老人の話が始まります。アインはテスの後ろからそれを聞いていました。

「魔法は精神、心で使うものじゃ。心の奥にある見えない力を引き出してそれを形にする。じゃから、心が強くないといかんのじゃ。戦うときは何のために戦うのかを見極めねばならん。しかし、そのときに決して自分のためだけにと考えてはならんぞ。人の傷を治すときもそうじゃ。人の心は一つでは生きて行けん。自分が守りたい、そして助けたい心を見つけそれに対して自分の心を使うのじゃ」

「…」

 テスはしみいるようにその話を聞いていました。

「お嬢ちゃんはおそらく自分でも分かっておるじゃろう。自分に何かが足りないと言うことを。まだ若いからそれはこれから見つけるといい」

「はい…」

「じゃが、ワシの言葉だけが全てではないぞ。まずは目の前のものを素直にとらえるととじゃ。全て内に引き込む必要もない。自分の心のままに感じるんじゃ」

「…」

「そうすればワシを治してくれたときのように自らも苦しまずに人を癒すことも出来るようになるじゃろうて」

 老人はそう言って椅子から立ち上がりました。そしてベッドの下の引き出しから毛布を取り出します。テスが魔法を使った疲れを見せていたからでした。

「さて、きょうはもう寝るとしようかの。お嬢ちゃんはワシのベッドを使ってくれ。若いのは床じゃぞ」

「ああ、そのつもりだよ」

 アインは毛布を受け取りながら言いました。そのとき、テスが言いました。

「私も、床でいいです。お爺さん、怪我した後ですから」

 アインはそのテスに軽く頷きました。彼女には見えてはいませんでしたが。

「そうか、すまんの。じゃあ暖炉の前の椅子で休んでくれ」

「はい」

 テスはそれを受け取り、彼女には大きい椅子に座りました。老人がベッドに座ったとき、テスは眠そうに言いました。

「おやすみなさい…」

「んむ。おやすみ」

 そして老人の声を聞いて彼女はすぐに背もたれに体を預け、眠りにつきました。アインはそのテスを見てから毛布を掛けました。

「なあ、じいさん」

 そして小声で老人を呼びます。

「なんじゃ」

「彼女がじいさんを治して苦しそうにしてたのを見てたのか?」

「見ていたわけではないがの。感じてはいたさ」

「そうか」

「若いのもお嬢ちゃんに無理はさせるなよ。お嬢ちゃんが自分を理解するのはすぐにはできんからの」

「ああ、わかったよ」

 アインはそれを聞いて眠りにつきました。

 テスは老人に会ったことで変わったでしょうか。いや、変わっていくでしょうか。老人の言うことが本当なら彼女は少なからず自分について何らかの疑問を持っているはずです。しかし、それをどの方向に持っていくかは彼女次第です。魔法は心で使うもの。その心が何かを欲しなければいい成果が出ないと老人は言いました。

 テスの心は何を欲するのでしょうか。






 アインとテスは老人の小屋を出てラネッサの町へ向かいました。そこは老人の小屋から半日の距離でした。昼前に出て、そこにつくのは夕方でしょう。

「もうすぐだね」

「はい」

 遠くに町並みが見えてきました。

「盗賊が出るって話だからね。夜になる前についてよかったよ」

 アインは不思議と足が速まるのを感じながら歩きます。テスも時折それに合わせるように早足になっていました。それに気づいてアインは歩を遅めましたがとうとうここまできてしまいました。

「疲れてない?」

「大丈夫です」

 やがて、二人はラネッサの町につきました。とりあえず宿を探すべく町中を歩きます。そこでアインは他の町よりもどこか寂れた雰囲気があると感じました。

 大通りを抜けて、町の中心の広場につきます。

「人が、少ないな…」

 その広場にいるのも数えるほどです。この町の人口が少ないとも思えないのですが、町に入ってからまだ活気という言葉を発せられる状況に巡り会っていませんでした。

「…ん?」

 そしてアインは広場の噴水の前にいる人を見ます。それはクラスメイトの一人でした。横に魔法科の生徒と思われる子がいます。ですが、二人とも疲れたように腰掛けていました。

「…よお」

 アインは声をかけました。

「…アイン、か」

 その彼は顔を上げてアインを認めました。

「どうした。旅疲れか?」

「いや、ちょっとな」

 アインが彼と会話をしていても横の子はそっぽを向いたままでいます。

「宿はどこにある?」

「この先にあるぞ」

「そうか、サンキュ」

 アインは話しづらい雰囲気を作っている二人から早々に離れました。

そして宿に向かいます。まもなく夜になろうと、日は地平に沈みかけていました。

「ども。部屋ある?」

「はいよ、六号室だ」

 アインは宿主から鍵を受け取ってその部屋に行きました。中に入って落ち着き、歩き疲れた足を椅子に座って休めます。

「人、少なかったね」

「はい」

 アインは盗賊が出るという噂で町の人が外出をしないのだろうかと考えていました。

「まだ早いけど晩御飯にしようか。食べたらお風呂も入らないと」

「はい」

「じゃあ買ってくるよ。待っててね」

「すみません、いつも」

 テスの言葉を聞きながらアインはカウンターに行きます。宿では部屋を貸すほかに食事もできます。もちろん別料金ではありますが。

「食事、頼むよ。二人分ね」

「はいよ。…おーい、二人分だ」

 宿主は奥に向かって言いました。アインはそのあいだに町のことを聞いてみます。

「町に人が少ないような感じがしたんだけど」

「ああ。盗賊騒ぎでね」

「噂では聞いたけど、本当なの?」

「…さあねえ」

 アインはその宿主が作った間にどうやら本当であると感じました。

「泥棒するならセントネイルの方がいいと思うけどね」

「そうだよな。だが、そいつらは流れの盗賊らしいぜ。いずれ噂もなくなるさ」

 宿主と表面的には本当か嘘か分からない盗賊の話をしていると先ほど会ったクラスメイトの彼が来ました。

「アイン。お前もこの宿にしたのか」

「ユウガか」

 彼、ユウガも食事を買いに来たようです。彼はアインに聞きました。

「何号室にいるんだ?」

「俺か? 六号だ」

「そうか」

 そこにできあがった食事が出てきました。

「はいよ。五だ」

 アインはお金を払ってそれを持ちました。

「じゃな」

「ああ」

 力無い返事をするユウガを見てアインは部屋に戻ります。彼に何があったのだろうと思いました。パートナーの子もどうしてか彼と同じく気落ちした感じがしました。

「お待たせ」

 アインは部屋に入りました。テスが先日の老人にもらった本を読んでいました。そしてテーブルに皿を置くと彼女も本を閉じて椅子につきます。

「じゃあ食べようか」

「はい。いただきます」

 そして恙ない食事が始まりました。テスは小さくパンをかじります。アインは豪快にいろいろな物を口へと運んでいました。

 そのアインは何か会話をしようかと思いましたがユウガのことが少し気がかりでそのことばかりを考えていました。

 そして気がつくと食事が終わってしまいました。アインの目の前の皿は全て空になっています。テスの方はパンをかじっているところでした。アインはなにか話そうと口を開いたとき、テスがパンの入ったバスケットを寄せてきました。

「あの、よかったら」

「ん、でも食べないと。また歩くんだし」

「私、食べきれませんので」

 彼女が食べきれないと言った量はほんの少しに値するほどでした。

「じゃあ、お腹空いたらいつでも言ってね」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃ、いただきます」

 アインはそっとパンを取りました。

 そして晩御飯を終え、皿を片づけました。アインは風呂へ行く用意をします。テスもそれに習うようにバッグから用意を始めました。

「行こうか」

「はい」

 アインはテスを先に部屋から出し、ランプを消して部屋を出ました。二人はそれぞれの浴場へと向かいました。

 夜も深まった頃、先に部屋に戻ったのはテスの方でした。彼女はランプに灯をともし、濡れ髪を拭いています。そこに、ドアをノックする音が聞こえてきました。

「はい。どうぞ」

 そしてドアを開けたのはユウガでした。

「あれ、アインは?」

「お風呂に行っています。もうすぐ戻ると思いますが」

「そう。行ってみるよ」

 ユウガはドアを閉じました。そして廊下を進みます。やがて角でアインに出くわしました。

「おっと、ユウガか」

「アイン、ちょっといいか?」

「ん、ああ」

「ここじゃあ何だから」

 アインはユウガの後を頭を拭きながらついていきました。そして宿の待合い場の椅子に座ります。

「ふう」

 アインは腰掛けてため息をつきました。風呂後のものです。

「…」

 ユウガは座ったまま黙っていました。アインは彼が何を話すのかを待っていましたがなかなか話す素振りを見せません。そしてアイン自身が感じていたことを聞いてみました。

「彼女のことか」

「ああ」

 口火を切られたユウガはそれからぽつりぽつりと話し始めます。

「彼女とは長いつきあいなんだが、このところ何をするにも意見が合わなくなってきたんだ」

 ユウガはパートナーの子のことを話します。彼女はチルと言い、魔法科の生徒です。ユウガと知り合って二年は経ちます。いままではどこへ行くにも一緒といった二人だったのですが、彼女が魔法科で学年を上げていくたびにそれが薄れてきたというのです。

「で、ここから隣の国のクラナタ国に行くことになってたんだけど、盗賊が出るってことで彼女が嫌がったんだ」

「…」

「そんなとこに行って何かあったらどうするのってな」

「それでお前はなんて言ったんだ」

「そんなの俺がぶっ飛ばしてやるって」

「なるほど」

 アインは理解しました。ユウガのパートナーのチルは危険なところに行くことで彼が自分を大切に感じていないと判断し、ユウガは彼女を何があっても守ろうとする意気があったのです。お互いの感じ方がそれぞれ違う方へと進んでいることになります。

「で、俺にどうしろって?」

「何かいい考えがあるのか? 別にお前にどうにかしてもらおうと考えてたわけじゃないんだけどな」

「なんだ。そうなのか」

 アインは何か思いついていったのですが、ユウガはそう言いました。

「でもまあ聞いてくれ。やるかどうかはお前次第だからな」

 アインは自分の考えをユウガに話します。それはアインが盗賊になってユウガにやっつけられるといったものでした。

「……」

「どうだ?」

 ユウガは目が点になっています。

「…うまくいくと本気で思ってるのか?」

「だから、お前次第だよ」

「その後でお前がどんな台詞を吐こうが、お前の好きだ。俺はそれしかやらんぞ」

「もうやる気でいるのか?」

「要するに、お前の強さをアピールできればいいんだろ?」

「そうだけどな」

「大丈夫だ。俺は簡単にはやられないから」

「矛盾してるぞ、それ」

 ユウガは少しの間考えましたが、それで彼女とまた旅に出れるというならと思い、半信半疑で了解しました。

「チルが魔法を撃ってもしらないぞ」

「だから、手筈はこれから説明するって」

 その手筈とは、夜中にアインが二人の部屋に入ってユウガと争いになるというものでした。部屋の中なら攻撃魔法は使えません。使うと部屋もろとも壊れかねませんから。

「最後に俺が『こんなつえぇ奴がいる町はもういやだぁあ』っていなくなると」

「…恥ずかしくないか?」

「何を言う。お前のためだぞ」

「やっぱアインって剣だけだな」

「どういう意味だ」

 そして二人は部屋に戻ります。

「でも、これだけは言っておくぞ。成功してそれからクラナタ国に向かうときに本物に出会ったらお前が死力を尽くして彼女をまもらなきゃいかん」

「わかってるよ。なんで先生みたいな口調になるんだ」

 二人は夜中に備えて部屋に入っていきました。テスがテーブルで本を読んでいます。

「アインさん。先ほどお友達が来られましたけど」

「うん。会ったよ」

 アインはバッグから黒い羽織物を取り出しました。そしてそれを顔に巻いてみて、目だけを出すようにします。そしてもう一枚、防寒用のローブを着ました。

「これでいいかな」

「寒いんですか?」

「いや、ちょっとね」

 アインは端から見るとものすごくアホらしいのではと感じました。

「これで盗賊に見える?」

「…? 私は盗賊を見たことありませんが、怪しい人に見えなくもありません」

「うん、それなら大丈夫だ」

 テスの言葉を聞いてアインはそれを脱ぎました。

「今夜、ちょっと留守にするから」

「はい」

「気にしないで休んでてね」

「わかりました」

 そんなアインに全く興味を示さないテスを見てアインはちょっと心配になりながら夜中を待つことにしました。

 テスは本を読んで、月が高くなる頃に眠りにつきました。アインは彼女の寝顔を椅子に座って見ながら時間が過ぎるのを待ちます。

「可愛い子なんだけどね」

 かといって全く興味がないわけではありません。こうして一緒に旅に出ているのですから。そうこうとしていると真夜中になりました。アインはそっと宿を出ます。カウンターにいた宿主に散歩と言って外に出てきました。

 宿と隣の家の隙間に入って顔に羽織物を巻き付け、ローブを着ました。そして剣を持ちます。宿の裏手にそっと向かい、人がいないか探りました。ここで見つかると盗賊になってしまいます。

 盗賊の噂のためか、人気はありませんでした。アインはユウガたちの泊まる部屋の下に行きました。そしてその部屋の窓を見上げます。

「ん? 窓開いてるぞ。そこまでしなくてもいいのにな」


 そのころ、ユウガはチルを壁際に寄せて剣を構えていました。相対しているのは二人の盗賊らしい男たちでした。

「兄ちゃんよ、威勢がいいのは分かるが金を出せば怪我しなくてすむっていってんのがわかんねぇの?」

 ユウガはどちらかがアインなのか?と思いました。しかし、アインは一人でくるはずです。この町の舞台俳優でも雇ったとも考えられません。もしかして本物なのか??とも考えますが、アインだったら困ります。

「チル、心配すんな!!」

 とりあえず恐れて声も出ない彼女にユウガは声をかけました。


 アインはそんなとき、窓に上がってきました。そしてユウガじゃない誰かがいるのを見て顔を引きました。何だ??誰だ??とアインは混乱します。本物の盗賊か??ユウガが窓の鍵を開けたままにしといて入ってきたって言うのか?と、アインはいろいろと考えます。ですが、自分がそこにいないとなると、盗賊の噂が立つこの町で考えられるのはそれが本物であるということだけでした。

 アインはすぐにひらめいて実行します。それはほとんど賭でありましたけども。

「兄貴!そいつを黙らせるのは俺にやらせてくだせぇ!」

 と、言いながらアインは部屋に入りました。その男たちをちらっと見ますと、格好も自分のとかなり似ています。

「ん? 新入りか。よし、女は殺すなよ」

 アインは、よしっと思いました。盗賊の知恵はたかが知れ。という教訓を思い出しましたが、それは間違いです。そしてユウガに対峙し、剣を振り上げました。

「おりゃああ!」

 わざとユウガに受けさせました。そして競り合う素振りを見せながらユウガに小声で言います。

「ユウガ、俺だ」

「!? アイン?」

「こいつらは本物だ。俺を倒して遠慮なくやれ」

 そしてアインはユウガから離れました。そしてすぐに斬りかかります。学校で習っている基本通りの剣筋をしました。

「くっ!」

 ユウガはそれを受け流し、アインを下から斬り上げます。

「りゃああ!」

「!」

 アインは目の前にある刃を見て、当たる瞬間に剣で防ぎました。そして後ろに吹き飛ぶふりをします。

「ぐわあああ!」

「くっ! 新入り!!」

 盗賊の声が聞こえてアインは倒れながら舌を出して、アホめ。と思いました。

「どうやら力づくってことらしいな」

 盗賊二人は刃身の短い剣を抜きました。ユウガはそれに対峙します。アインは薄目を開けてそれを見ていました。ユウガなら大丈夫だろうと思いながら。

そして盗賊二人は同時に動きました。

「!」

 それを判断したユウガは片方の盗賊に踏み込み、同時の攻撃を遅らせます。まず、近い側の盗賊からの太刀を交わし、もう一人の盗賊の剣を受け流しました。そして体を回して近い方の盗賊へ柄でみぞおちを思いきり打ちます。

「ぐお!」

 そしてその流れでもう一人の足に突きを入れました。

「ぎゃ!」

 アインはそれを見て安心しながら這うように窓に向かい、飛び降ります。

「死にたくなかったら消えろ!!」

 ユウガは二人に言いました。

「くそ! こんなつえぇ奴だったとは…! もうこの町はやめだ!」

 盗賊はそれぞれ腹と足を押さえて窓から飛び降りていきました。

「チル、もう大丈夫だ」

「ユウガ…!」

 チルはユウガに抱きつきます。彼女は安堵で涙を流しながらユウガをしっかりと抱いていました。ユウガは剣を鞘にしまい、チルの肩をそっと抱き寄せました。


 そのころ、盗賊二人は町の外へと出ていました。

「くそ! 今日は散々だ!」

「いててて。そういやあ、あの新入りは?」

「ん?…いやそれよりも俺たちに新入りなんていたか?」

 しばし、二人は痛みも忘れ、その場にほうけていました。


 アインは部屋に戻りました。テスは出た頃と同じように静かに寝ていました。その彼女を起こさないようにそっとローブと剣を置いて自分もベッドに潜りました。

 ユウガはチルになんと言ったのか気になりましたが、わざわざ聞くのも悪いので、明日二人の様子を見てみようと思いました。しかし、本当に盗賊が出るとは思いませんでしたので少し驚きました。

 ですが、自分の演技がばれなかったので変に嬉しかったのも事実でした。そしてアインは眠りにつきました。


 翌日です。アインが目を覚ましたのは昼前でした。

「ん?」

 なんだか寝過ぎたのでは?という気分で起きます。

「テスちゃん?」

「はい。…お体の具合でも悪いのですか? アインさん、起きませんでしたから」

「いや、そうじゃないけど」

 テスはテーブルで本を読んでいました。顔を上げてアインを見ます。

「ごめんごめん。待たせちゃって」

「いえ」

「お昼食べてから出ようか」

 アインはベッドから出ます。テスはそのアインの言葉を聞いて立ち上がりました。

「では私が買ってきます」

「あ、うん、ありがとう」

 テスはそっと部屋を出ていきました。

 アインは着替えてテーブルにつきました。彼女の読んでいた本が置かれています。それは魔導士の老人からもらった物でした。表紙には何も書かれていません。かといって開いてみるわけにはいきません。それは彼女がもらった物ですから。

「お待たせしました」

 テスが食事を持ってきました。アインは立ち上がってそれを受け取りました。そしてテーブルに置きます。

「じゃあいただこうかな」

「はい。いただきます」

 そして昼食を取りました。それを終え、二人は目的地であるセントネイルに向かいます。宿で宿賃を払って出ました。大通りを通って町を出ます。その途中、来たときのように広場の噴水の前にユウガとチルがいました。アインは立ち止まってその二人を見ます。

「チル、行こう。クラナタ国に。何があっても俺が守ってやるから」

「…ユウガ…」

 チルはユウガが差し出した手を握りました。

「うん。ユウガ、あたしユウガとなら行く…」

 アインはその二人を見てうんうんと頷いていました。

「うんうん」

「仲がいいんですね」

 テスの言葉が聞こえました。アインはそれにも頷きます。

「ユウガ、初めて会った時みたいに手、つないでいい?」

「ああ」

 アインはそれを聞きながら二人に気づかれないように町を出ました。心が洗われるような思いでアインはセントネイルに向かいました。テスが横を並んで歩きますが、アインは彼女に何かあったらたとえ自分にその理由が無くても、彼女のために守っていかなければと感じていました。

 そしてテスはほんの小さい思いではありましたが、先ほどのユウガたちを見てなぜか自分も嬉しく思っていました。しかし、その自分の思いにも問いを入れずに歩きます。

 テスにいずれは自分の思いに問いただす欲や気持ちが現れるのでしょうか。セントネイルにつくには半日以上歩きます。二人は暖かい昼の日を浴びながら先へ進みました。






 ラネッサの町を出てから、いまはセントネイルとの中間ほどの位置に来ていました。あたりは日が落ちかけています。遠くに大都市であるセントネイルの影すら見えないことからそこはまだ先であると思わせられます。

「疲れた? テスちゃん」

「いえ。大丈夫です」

 先ほどからアインがテスに話すことといえばこの台詞ばかりでした。他に話題を探しはしますが、どれも返答が予測できてしまうのでどうにも口に出せなくなってしまうのでした。

 しかもほとんどが一言で片づけられてしまいます。アインが彼女に一番聞いてみたいのはなにを考えているか、ということですが、それは失礼でもあり、彼女を否定することにもなります。それだけはできませんでした。となると学校の話題になるのですが、これもいい話題になりそうもありません。

「セントネイルについたらどうしようか」

「…いまはまだ考えていませんが」

 アインはとりあえず話をしないと歩くのに集中して速くなってしまいそうだったのでテスに話しかけました。

「テスちゃんはどこか行ってみたいところとかない?」

「…」

 テスは珍しく考えているようです。

「本で地図見てたでしょ。そのときどこに行こうかって決めてなかったの?」

「一応、ボクレス国のイハルダに行こうかとは思っていました」

「イハルダか」

 アインは幼いときに訪れた記憶がありました。が、どんな所かまでは覚えていませんでした。

「いいね。どうしよう、行ってみる?」

「私は構いませんが」

「……」

 アインはもしかしたら聞き方がまずいのだろうかと思いました。アインが彼女に決定を促すと、彼女はどちらでもいいと言います。そしてアインに戻ってくるのです。

 彼女に決めさせるとどうなるのだろうか、とアインは思いました。それはテスを困らせるかも知れませんが、聞いてみようかと思いました。

「テスちゃんが決めていいよ。俺はテスちゃんについて行くから」

「そうですか」

 彼女はそういって考えるように前を向いて歩きます。アインはそのテスの横顔を見ながら答えを待ちました。

「セントネイルまでにしましょう。これ以上アインさんにご迷惑をかけるわけにはいきません」

「…迷惑だなんて」

 ここで無理強いをして彼女を連れていくのもどうかとアインは思いました。そのテスの答えは予測していたものでしたから。

「俺はもっとテスちゃんと一緒にいたかったんだけどな」

 アインは思わずその言葉を発してしまいました。すぐに思い立ってテスの顔を見ました。

「私、ですか?」

 テスはその意味を理解したのか、そうでないのか、アインの顔を見ました。

「ですが、私にはもし何かあったときにアインさんのお手を煩わせないという自信がありませんから」

「…」

 アインはテスが自分の本筋とは違う答え方をしたのにすこし残念に思いました。そして小さくため息をついて最終目的地に向かうことにしました。

 セントネイルはまだ見えません。旅が終わってしまうそこに行くのが惜しいのか、アインの足はどうしてか重くなりがちです。

「…!?」

 そのとき、道横の草むらから馬車の車の音が聞こえてきました。ですが、馬の蹄は聞こえてきません。

「テスちゃん、危ない!!」

 アインはテスを道の反対側へ突き飛ばします。すると馬のいない馬車が飛び出てきました。

 どうしたんだこんな所で。と思ったとき、その中から数人の男が出てきました。

「!? 追い剥ぎかっ!」

 アインは剣を抜いて立ち上がろうとしたとき、その者たちの声で動きが止まりました。

「動くな!! 彼女が痛い目にあうぜええ」

 すでにテスがその者たちの手の中にありました。喉元に短剣を寄せています。アインは手慣れた奴等だと思いました。テスを捕らえた男以外は皆アインを取り囲むように剣を持っています。

「くそ!」

 アインは剣を投げ捨てました。そしてテスを見るとじっと目をつぶって肩を強ばらせていました。そしてアインは両手足を縛られ、馬車の中に放り込まれました。テスは男に抱えられ、動かずにいます。

 そして何もなかったかのように男たちに二人はどこかへと連れて行かれるのでした。


 馬車が止まりました。悪い道を通ってきたのは分かりました。馬車が揺れを無くして進むことはありませんでしたから。手下が引いてきたのでしょう。

 馬車がどこかに到着したようです。アインはゴミのように馬車から蹴り落とされました。

「くそ! てめえら!その子に手ぇだしてみろ! ぶっ殺してやっかんな!!」

「うるせえ、ガキが!」

 叫ぶアインに男の蹴りが横腹に打ち込まれました。アインは息を殺してそれに耐えます。

「アインさん…!」

 視界の中にいないテスの声が遠ざかっていきます。そこでアインはもう一度蹴りの痛みに襲われました。それは何度も繰り返されました。やがて、気を失うかと思ったとき、男の手がズボンのポケットに入り、小銭を取っていったと感じたのを最後にアインの目は閉じました。


 テスは二人の男の前にいました。手足を拘束されてはいませんでしたが、彼らが持つ剣を見て彼女は動くことができません。恐怖を感じました。それはこの先に何が起こるか分からない恐怖でした。

「まだ生娘らしいなああ」

 男の手がテスの顎をつかみ、顔を上げさせました。次いでそのまま腕を思いきり引かれ、男に寄せられました。

「…」

 テスは目を閉じます。腕に痛みを感じましたが、声は出ませんでした。

「ほらほら、こんなもんは脱いじまいな」

 男は動かないテスの服を雑に脱がせました。ローブ、そしてシャツを越え、下着に手が掛けられました。

 テスはなす術を忘れ、力無く、されるがままにいました。


 アインは倉庫のような石造りの部屋に放り込まれていました。そして、そう気づいたのは床の冷たさを感じたときでした。

「…!?」

 顔を上げます。あたりは真っ暗で何も見えません。いまは暗闇に目を慣らすことが先決でした。目を動かしながら腕に力を入れます。縛っているロープはほどけそうにありません。

「くそっ! テス!」

 やがて目が慣れてきました。周りには木箱や麻袋がありますが、ロープを切るような物はありません。

 アインは痛む腹を堪えながらその中を動き回りました。しかし、めぼしい物は見つかりません。

「ちっくしょお!」

 壁に頭を打ちつけます。そしてしばし呆然としましたが、手元に石があるのを感じました。それを後ろ手に取ります。尖ってはいませんでしたがいまはこれしか方法がありません。アインはそれを壁の煉瓦の隙間にはめ込み、手のロープを擦り付けます。

 その石でロープを切るのは時間がかかることでした。ですが、アインは腹の痛みも忘れ、それを続けました。

 埃っぽいその部屋には光が入ってきません。唯一、ドアのあるところと思われるそこに板の隙間から外らしき物が見えているだけでした。

「く!」

 アインは力を入れすぎたのか、腕をその石で切ってしまいました。痛みを感じます。しかし、すぐにロープを切る作業を始めました。

 そして先ほどより腕の動きが自由になったと思ったとき、ロープが切れました。

「はあっ!」

 アインは一呼吸置いて足のロープを解きにかかりました。

 すぐさま放り込まれていた倉庫を出て、その横の石で作られた建物の横にいました。その角を折れると先に見張りらしい男がいます。アインはそっとその男に背後から近づきました。

「!」

 羽交い締めにして口を押さえ、首に腕を回します。そして瞬間的に力を入れました。男は無言のまま気を失って地に伏せます。

 アインはそっとその扉を開いて中の様子を見ます。廊下があり、人の気配はありませんでした。音を立てずに入ります。そして開いている扉の部屋を見ながら先に進みました。とりあえず、剣を見つけるためでした。

 厨房、寝室、倉庫、様々な部屋を見ます。そしてそのひとつに人の気配がある部屋にたどり着きました。中には一人の男が酒を飲んでいる様子を少し開いた扉から見ました。そしてその奥に自分の剣と荷物、さらにテスの荷もあるのを認めました。

「…」

 アインはそっと部屋に入ります。男は酒が相当回っているようでした。テーブルに果物があり、その皮を剥くナイフが刺さっていました。そのナイフをそっと取ります。男との距離は数歩先でした。

「んぐっ、んぐぐ」

 男が酒瓶をあおりました。アインはその瞬間に飛び寄って男の米神に拳を放ちます。

「ぶごっ!?」

 男は酒を噴き出しました。そしてすぐに動かなくなります。そして廊下から誰か来ないかと耳をすませ、剣を取りました。

 アインは剣を持って廊下を進み、テスを探します。それ以外の者は容赦なく切り倒す目つきでいました。

 一つ一つの部屋を見て回ります。さほど広くない建物ですが、部屋の数が多くありました。そして一番奥と思われる所に来ました。廊下はそこでなくなっています。

 アインは右側の部屋に人の気配を感じました。僅かに光りも漏れています。そのドアに近づいたとき、声が聞こえました。

「いやぁ!」

 その声はテスのものだと判断しました。そしてそっと、その部屋の扉を開きます。

「………!!」

 そしてその中の光景を見てアインは一瞬目がくらみました。テスが二人の男に辱められようとしているその光景でした。

 手が震えます。そしてそれはすぐに怒りに変わりました。アインはドアを蹴り破ってそこに入りました。

「テス!顔を上げるな!!」

 そのアインの声はその建物中に響くほどの大声でした。そしてすぐさま、刹那の風のように二人の男の首筋に鞘に収めた剣を打ち込みます。二人は叫び声を上げるまもなく床に倒れました。

 すぐにテスを男から引き離します。

「テス!!」

 アインはテスの肩を抱えました。

「ア…イン…さん…?」

 彼女の目はうっすらと開かれ、目の前のアインを見ているのか理解できないほどでした。アインはその彼女の顔に震え上がりました。

「貴様!!!」

 そこに残りの男たちがやってきました。アインはその者たちを睨み付け、テスを寝かせて立ち上がります。

「俺は言ったはずだ。この子に手を触れたら殺すと!」

 はじめアインは無事である彼女を連れてすぐに脱出するつもりでしたが、もはやその考えは消えていました。

 そのアインの目に何人かの男はおののきます。

「殺せ!!」

 その中の一人が叫ぶと三人が一斉にアインに襲いかかりました。

「ひゅっ!」

 アインは独自の呼吸でその三人を一気に打ち倒しました。そしてそれを見て驚いている男に踏み込みました。

「殺しても殺し足りねえぐらいだぜ!!」

 怒りの声を上げたアインの一太刀で男は前のめりに倒れました。

 そしてテスを抱え、荷を持ってその建物を出ました。近くを流れる川に向かい、そこでテスを寝かせてアインは焚き火を焚きます。



 夜。いえ、もしかすると夜中かも知れません。月があるだけで時間は分かりませんでした。アインはテスの顔を見れずにいます。いまは自分を情けなく思う気持ちだけがありました。

 やがて、テスが起きあがりました。

「…」

 アインはそれに気づいていましたが顔を上げることができません。テスはいまいる場所を川の近くであると判断しました。毛布の下はまだ裸のままです。

「アインさん…?」

「テスちゃん、もう大丈夫だから…あいつらはもういないよ…」

 アインはそう言うのが精いっぱいでした。テスはしばし自分に何があったのかと思い起こします。そしてそれを思い出して自分の体を見ました。

「すみません、ちょっと体を洗ってきます…」

 テスはおぼつかない足どりで川へと歩いていきました。そしてまだ肌を刺すような冷たさの川に入りました。

 アインはその彼女の後ろ姿を見て手が震えました。そして視界が滲んできます。自分に対する怒りが沸き上がってきます。拳を何度も地に叩きつけました。そしてテスが服を着て焚き火の前に座ります。

「……」

 しばらく二人とも何も話さずにいます。アインはどんな言葉もかけられない状態でいました。そこにテスが口を開きます。

「アインさん、怪我してますよ…」

 テスはアインに寄り、その手を取ろうとしました。

「大丈夫だよ俺は」

 アインはテスの手から逃れます。

「…」

「テスちゃん…ごめん…俺が、もっとしっかりしてれば…」

 テスがアインの手を取ろうとしたその自分の手を落とすとアインは掠れるような声で言いました。

「いえ…私は…大丈夫です…命があっただけでも…。ですが、やっぱりアインさんに迷惑かけてしまいましたね…」

「やめてくれよ!!」

 アインはテスの言葉を止めるように言いました。

「どうして自分をそうやって見下げるんだよ!! どうせなら俺を責めてくれよ!!」

「そんな…」

 アインはテスの弱々しい表情に彼女を抱き寄せました。

「自分が情けない!! 俺は…」

 テスはアインに包まれていままで閉じていた心が開くのを感じました。そして同時に恐怖を思い出し、それから逃れられた今を照らし合わせ、頬に涙が伝うのを感じました。

「アイン…さん…」

「ごめん…、ごめん…」

「アインさん…暖かい…」

 テスの体が川の水によってさらに冷やされて震えているのをアインは感じました。

「ありがとうございます…出来れば…もう少しこのままでいさせてください…私…とても恐かった…でも、こうしていると落ちつけます…」

 テスはアインの形を感じて心に何かが生まれるのを知りました。それまで現実として身体を弄ばれようとされたことを受け入れていましたが、今こうしてアインに包まれていると、それを否定しようと言う考えが生まれました。そして逆にあのことを否定し、アインを受け入れる気持ちが高まりました。

 全てを受け入れる必要はない。魔導士の言葉を思いだした彼女はさらにアインを感じようと自らも彼の背に手を回し、引き入れました。

「アインさん…」

 言葉では表現できない、アインに対する何かがテスの中に生まれます。

「ごめん…テスちゃん…」

「私、もうあのことは忘れます…」

 アインに言いながら、自分の声も掠れているテスでした。

 やがて、どちらかが先に眠ったのかは分かりませんが、二人は寄り添うように小さく燃える焚き火の前で夜を越します。






 二人はセントネイルにつきました。疲れが残る体で人の多いこの町に来るとさすがに息苦しくなります。アインはすぐに宿を探します。

 人、人、人。右を見ても左を見てもそうでした。人がいないのは空ぐらいでしょうか。そして宿は意外に早く見つかりました。ですが、この人なら宿もいっぱいなのでは、とアインは思います。

 後ろで疲れたようについてくるテスを見てアインはすぐに宿へ入りました。

「空いてる?」

「へいらっしゃい。お二人ですかい? ご一緒なら空いてますよ」

「うん、頼むよ」

 そして鍵を受け取って部屋に行きました。どこへ行っても人の声がするのがこのセントネイルの特徴とも言えるでしょう。

「ふう」

 部屋に入って荷物を置きました。と、そのとき、アインは全身の血が引く感じに襲われました。それは何かを感じたのではなく、何かを思い出したのでした。

「…てっ、テスちゃん…」

「はい」

「そういえば俺たち、お金ないんだよ…」

 その通りでした。追い剥ぎに襲われ、アインはポケットの小銭すら取られました。もちろん取り返してはいません。そんなことは考えられませんでしたから。

「…そう、でしたね…」

 ここまで、思い出したくないそのことだったので、それによって何か盗られたのかとは考えもしませんでした。

「すぐ出ますか」

「でも、それからどうするの? 帰るにしても無一文じゃあきついよ」

「そうですが…」

 考えられるのはこのセントネイルで金を稼ぐことです。宿は出るときに宿賃を払うシステムになっていますので今はとりあえずその部屋にいられます。

「よし、一働きするしかないね」

 アインは意を決して拳を握りました。

「私も何かやります」

「テスちゃんはまだ疲れがとれてないでしょ。部屋で休んでてよ」

「ですが…」

「今日はこれから晩御飯代だけでも稼いでくるから。ね」

「アインさん…すみません」

「テスちゃんは休んでね。早く元気になって俺に可愛い笑顔を見せてよ」

「…は、はい」

 アインは彼女に初めてそのような言葉を掛けます。テスはそれに戸惑いながら頬を染めてうつむきました。

「じゃあ、行って来るね」

「はい、お気をつけて」

 アインは今の彼女を一人にしておくのはどうかとも考えましたが、逆に一人で考えることもあるのではと思っていました。

 そして宿を出て町を歩きます。他の町とは比べものにならない人の量でした。時間は夕刻を過ぎるあたりでしたが、人が引く気配はありません。アインはそれらしいところを探します。

 そして最初に見つけたのは酒場でした。店の中に入ってカウンターに向かいます。

「ちょっといい?」

「どうしたね?」

 髭のマスターはグラスを拭きながら言いました。

「仕事ないかな」

「仕事? …ないこともないんだが、やっぱり酒場に子供じゃあ無理だね」

「そう、か。わかったよ」

 アインは次を探すためにそそくさとそこを出ました。それからいろいろな店を見ます。自分に出来るのはやはり力仕事です。食事する店で皿洗いや接客はどうもうまくいきそうにありませんでした。

 そして日が沈みかけた頃、倉庫の前に馬車が止まって荷を積み下ろしているのを見ました。アインはそこに寄っていきます。

「すんません」

「ん、なんだい」

 袖のないシャツを着た男は答えました。その見える腕は相当の力を持っているのか、丸太をイメージさせます。

「仕事、あるかな」

「なんだい、若いの。それならちゃんとした店の方がいいぞ」

「この町に住んでるわけじゃないんだ。旅の途中にお金を落としてね」

「はっはっは、そうか。だが、うちじゃあ積み卸しになるけどいいのか?」

「うん。頭はないからね」

「そうらしいな。…で、どのくらい働くんだ?」

「日雇いでいいんだけど」

「なんだ、無一文なのか」

「はっきり言わないでよ。その通りだけど」

「はっはは。わかったよ。じゃあ今日の夜中までで三十出すけどどうだ?」

「そんなに?」

「ん、そうか。若いのは他の国から来たんだな。このセントネイルは物価が高いんだよ。このくらいじゃあ飯食ったらなくなるさ」

 アインは行く先不安でめまいがしました。

「わ、わかった。それでいいよ」

 了解をして、アインはさっそく仕事を始めました。

 箱や麻袋を倉庫に入れたり、やってくる荷馬車にそれを積んだり。荷馬車は並んで待っているので休む暇はありませんでした。

「腹空いたな」

 口に出して気を紛らわせます。そして作業を繰り返しました。テスの顔を思い出すと動かずにはいられません。

「若いの、少し休んでもいいぞ」

「大丈夫、大丈夫」

 麻袋を担ぎながら言い合います。日はすっかり落ち、月が高くなってきました。やがて荷馬車の数もまちまちになり、最後の一台になりました。

「んっせと」

 アインは木箱を積み込みました。その後ろから雇い主が最後の荷を積みます。

「よっと。よし、これで終わりだ」

 雇い主は荷馬車に乗る商人に料金をもらって紙を渡していました。アインは一呼吸ついて腕を回します。そして倉庫の片づけをして終わりました。

「うん、なかなかやるじゃねえか若いの」

 雇い主は帳面にさらさらと記入しながら言います。

「どこから来たんだ?」

「隣の国のアスタルから。学校の試験で旅をすることになってるんだ」

「ん、ああ。魔法学校か」

「そう。俺は剣技科だけどね」

「聞いたことあるぞ。コンビ組んで旅をするんだろ?」

「そうだよ」

 アインは雇い主の後について倉庫横の小さな小屋に行きました。

「二人とも文無しか」

「うん。はじめに二人のお金を一緒にして出るから」

「災難だな。…いや、不注意か」

「…」

 小屋に入り、ランプをつけて雇い主は鉄の箱の鍵を開けました。

「相棒は女か」

「…そうだけど」

「その子はどうしてる?」

「宿で待ってるよ」

「宿?」

「宿の部屋に入ってお金がないのに気づいたんだ」

「そうだったのか。よし、今日の給金だ」

 アインはその小袋を受け取りました。

「どうも」

「また明日もくるか?」

「そうなるかもね」

「なら、その子も連れてこいよ。二人で働いた方がいい金になるぞ」

「でも、魔法科の子だから重い物はもてないよ」

「心配すんな。記帳と計算をやってもらうから。たいしてうごかねえよ」

 アインはテスの顔を思い浮かべました。

「…。じゃあ明日連れてきたらってことで」

「ああ、それでいい」

 雇い主は鉄の箱に鍵をかけながら答えました。そしてアインは早く帰ってテスに晩御飯を食べさせなければと思います。

「それじゃあ」

「ああ。早く帰ってやれ」

 アインはそこを出て宿へと急いで戻りました。時間は夜中になろうとしている頃でした。しかし、そんな時間でも人はいました。さすがに昼や夕方よりも少ないですが、酒場に行く大人たちが目立ちます。その人をかき分け宿へ入りました。

「食事、出来る?」

 宿主に尋ねました。

「へい。できやすよ」

「ちなみに二人でいくら?」

「二十五になりやす。飲み物サービスで」

 それを聞きアインは小袋を開けてみました。それを見て少し驚きます。中には五十のお金が入っていました。

「じゃあ頼むよ」

「へい」

 二十五ぶんのお金を払ってアインは気のいい人が多い町だと感じました。そして食事を持って部屋に行きます。そっとドアを開けて入りました。もしかするとテスはもう寝ているかも知れません。

「アインさん、お帰りなさい」

 テスは椅子から立ち上がって言いました。そこで本を読んでいたようでした。

「ただいま、テスちゃん」

 アインは彼女の顔に安堵を覚えながらテーブルに食事を置きました。

「お腹空いたでしょ。遅くなってごめんね」

「いえ、そんな……。アインさんにお世話になって、私はお礼を言うことしかできませんから…」

 アインはテスを追い込んでいるように感じて食事を始めようと彼女を座らせました。

「ささ、食べよう」

「はい」

 そして遅い晩御飯を食べ始めました。アインはするすると食べ物が入っていきます。そこで、先ほどの雇い主に言われたことを話すことにしました。

「テスちゃん、俺が働かせてもらったとこのおやじさんが言ってたんだけど、明日一緒に行かない? 計算と記帳をしてくれる人がほしいんだって」

「私ですか? …はい、行きます」

「体は大丈夫なの?」

「はい」

 アインはテスの顔をじっと見ました。それで疲れを見るのは難しいですが、やはり彼女を一人にしておくよりはいいだろうとも考えました。

「じゃあ行こう。今日は食べたらすぐ休まないとね」

「はい」

 テスの少しばかり力の入った返事を聞いてアインは少し安心しました。そして食事を終えた二人はすぐに休みました。

 セントネイルの町はどの時間になっても人の声が大通りから聞こえていました。


 翌日、アインとテスは先日の倉庫に行きました。朝早い時間でしたが、雇い主はもう小屋に来て記帳を始めていました。

「おはようさん」

「ん、おう来たか。早いな」

 雇い主は顔を上げて言いました。

「よしよし。これでうちも少しは儲けが増えるな。まずは説明しとくか」

 アインとテスにそれぞれの役割を説明し始めます。アインは先日のことに加え、馬車の誘導です。そしてテスは積み卸しの数を記帳、そして料金の計算でした。

「昼になると日差しが強くなる。嬢ちゃんにはこの帽子を貸してやるよ」

 テスは麦藁帽子を受け取りました。

「ありがとうございます」

「かぶってみな。うちの上さんのやつだけどな」

 テスはそれをかぶりました。広い鍔がテスの肩まで覆うようにありました。

「ん、ぴったりだな」

「奥さんはどうしてるの?」

「いままでは一緒にやってたんだが赤ん坊が生まれそうなんでな。家にいるよ」

「そうなんだ。じゃあその生まれてくる子のためにもたっぷり儲けなきゃ」

「はっはっは。ありがてぇ言葉だな」

 そして仕事を開始しました。アインもテスもすぐに慣れて順調に進みます。倉庫は保管と卸売りをしているところでした。午前中は主に先日保管してあった物を引き取りに来ます。それに併せて足りないものを買っていきます。

 アインはほいほいと荷を運んでいました。最近はこのようなトレーニングをしていなかったのでいい機会だと思いました。

 テスはやはり他のことをあまり考えないせいか、無駄なく動いて記帳をしていました。

 そして日が高くなり、昼食の時間になりました。

「よし、飯にすっか」

 雇い主の言葉でアインは休憩中の看板を倉庫前に置いて横の小屋へテスと向かいました。

「疲れた?」

「いえ。難しいことじゃなくて助かりました」

 小屋にはいると雇い主が大きな包みを開いているところでした。

「座れ、ほら」

 アインたちは木で作られた椅子に座りました。

「上さんが二人も働きに来てくれるってんで作ったんだ。ま、遠慮すんな」

 二人はその弁当を受け取りました。

「いいのかい?」

「あたりめえだろ? 働いてるから食わしてやるんだ」

「じゃあご馳走になるよ」

「すみません。ありがたく頂戴します」

 そして昼食を始めました。アインはその味に母親がいたらこんな旨い物を作ってくれるんだろうかと感じながら食べていました。

 食事の後、少しの休憩時間があります。雇い主は昼寝をしていますので二人は外に出ていました。倉庫前で二台の荷馬車が午後を待っていました。乗っている人は寝ているようです。

「楽しいです。どうしてか分かりませんけど」

 テスがつぶやくように言いました。アインからでは帽子の鍔で彼女の顔は見えません。

「変ですか? 私」

「そんなことないよ」

 アインは彼女が自分で口に出したことへ疑問を抱くのを否定してそれが当然と思わせるように言いました。そして休憩が終わります。雇い主は小屋から出てきて伸びをしました。

「いよし。午後からが稼ぎどころだ。気合い入れていくぜ」

「おう」

「はい」

 そして雇い主はテスに言いました。

「嬢ちゃんはなかなか手際がいいぞ。計算も速いし字も上手いしな」

「ありがとうございます」

 そして再び仕事が始まりました。昨日まではアインもお金を稼ぐことしか考えていませんでしたが、今はそれぞれをこなしているだけで満足感がありました。

 昼を過ぎ、そして夕刻を過ぎ、夜に一度休憩を取って再び仕事。そしてその日は終わりました。

 テスとアインは小屋にいました。さすがに疲れが足に感じられます。

「…」

 雇い主はテスの書いた記帳を見ていました。

「はぁ~。いいのかよ、こんなに儲けて」

「俺は自信あるよ」

「何言ってんだ。嬢ちゃんの手際だよ」

 そして給金の量を計算してそれをアインに渡しました。

「おっと。若いのに渡すとまた落としそうだな。嬢ちゃんに渡しとくか」

「そんな、もう終わったことだってのに」

 テスはそれを受け取りました。

「ありがとうございました」

「どうも。働くことは尊いことだって勉強になったよ」

「若いのが言うと説得力ねぇな」

 そして二人は宿へ帰ることにします。

「明日もくるか?」

「うん、明日で最後になるかも」

「そうか。まあお前たちも旅の途中だからな。……ゆっくり休めよ。足が疲れてるだろうから足を高くして寝るといいぞ」

「うん。それじゃあ」

「今日はありがとうございました。おやすみなさい」

 そして二人は宿へと戻り、食事をして風呂へ入って休むことにしました。テスは宿主の言ったとおり、ベッドの足側を折って高くしていました。

「なんとかなりそうだね」

「はい」

 今日の給金は二人分で二百八十ありました。二人が出るときに持っていたのは五百だったので相当な金額です。

「アインさん」

「ん?」

「アインさんて、お話しするのが上手なんですね」

 テスは枕を抱えて言いました。

「あの方の奥さんに赤ちゃんが産まれるって聞いたとき、アインさんはその子のためにもっていいましたよね」

「…あ、うん」

 アインはその場で思いついたことを言ったのであまり覚えていませんでした。

「あの方、それを聞いて嬉しそうでした。…私、そんなこと思いもつきませんでしたから」

「……」

「ここまでくるのにアインさん、私にいっぱいお話ししてくれました。私はただ聞いているだけでしたけど。…アインさん、私といてもつまらないですよね?」

 テスの何かに困惑した表情をアインは認めました。

「ううん。そんなことないよ」

「……」

「テスちゃん。いまテスちゃんには何かいろいろな考えが自分に迫ってきてるみたいだけど、あせってそれを全部処理しようって思わなくていいんだよ」

「アインさん…」

「俺もそんなことがあったよ。親父にいろいろ言われてね。でも俺は頭がないからいっぺんに考えられなかったから」

 アインは父との修業時代を思い出していました。

「でも、それぞれ一つづつをこなしてそれらを忘れさえしなければいいって分かったんだ。そうすると楽だったよ」

 父親の剣術に必要とされた三要素である心技体。それらをそれぞれ同格に、平静を保って維持する。それが基となる要素でした。

「少しづつね。でも、もちろん俺だって一人でこの考えに至ったわけじゃないから。親父に言われて気づいたよ。…だからさ、テスちゃん」

「はい」

「今はテスちゃん、一人じゃないから。及ばずながらも俺がついていてあげるから、分からないこととか、心配なことがあれば遠慮なく言ってね」

 テスはそのアインの言葉に体の奥が熱くなりました。浮き上がる心を抑えようと両腕を抱えます。

「はい。…ありがとうございます…アインさん…」

 アインはそれが彼女の魔法に、そして心に変化を持たせられるなら彼女にとってもプラスになるだろうと思いました。それは自分がそうだったからです。

「困らせちゃったかな。俺らしくない言葉だったね」

「いえ、そんなことありません…。私、安心しました…ありがとうございますアインさん。お礼の言葉では足りないくらいです…」

 テスは表現できない思いに駆られながら、大きなアインの心に包まれて心地よいと感じる眠気を覚えました。アインはその彼女の表情を見ます。

「おやすみ、テスちゃん」

「はい、アインさん。おやすみなさい」


 翌日。二人は再び雇い主のいる小屋に来ました。

「よお、来たか」

「おはようさん」

「おはようございます」

 雇い主はいつもと変わらずに太い腕を出していました。

「今日は早めに切り上げるぞ。…お前たちにいいとこに連れていってやるから」

「何かあるの?」

「仕事仲間が集まってちょっとした大会があるんだよ」

「大会?」

「ま。行ってからのお楽しみだ。…早く終わるからって気を抜くなよ。昨日ぐらい稼ぐつもりでやってくれ」

「うん」

「はい」

 そして昨日のように仕事が始まりました。失敗もなく、順調にこなしていきます。昼を過ぎ、夕方を越え、夜になりました。今日は早く終わることを客も知っているのかそのころになると荷馬車の数が減ってきます。

「よし、次で最後だ」

 最後の一台を処理してその日の仕事が終わりました。アインとテスは小屋にいます。

「よくやってくれた。二日三日だったが助かったよ」

「なんだか名残惜しい気もするよ」

「学校を出たらまた来いよ。いつでも雇ってやるぜ」

 そして雇い主は給金をテスに渡しました。

「お世話になりました」

「世話になったのはこっちだって。…よし、じゃあ軽く腹ごなししていくか」

 そして雇い主の奥さんの弁当を食べて二人はその後をついていきました。町外れにある普段は使われていない大きな倉庫のようなところです。中に入るとたくさんの人がいました。

「なにがあるの?」

「腕相撲大会だ。年に二回やってるんだぜ」

「へええ」

「優勝者には千の賞金だ」

「へえええええ」

「若いのはそっちの方が興味あるか。…どうだ?お前も出るか?」

「俺も? いいの?」

「ああ。このセントネイルの商人なら誰でもいいんだ。お前は今日までうちの雇われだからかまわんぜ」

「うん、ちょっとやってみよう」

 アインは一言二言で参加を決意しました。雇い主とともに参加者名簿に名前を書きます。

「アインさん、がんばってください」

 テスは僅かに微笑みながら言いました。

「よし。優勝して美味しい物を食べよう!」

 アインはかなり不純な動機でそれに挑みました。雇い主も参加します。あの腕ですから相当の強者でしょう。アインは予選のテーブルにつきました。

 ルールは単純に相手の腕を倒すのみです。テーブルをつかんでも腕を動かしても構いませんでした。手の甲を押しつける、もしくは手首を三つ数える間押しつけて勝敗を決めます。

 アインの最初の相手はいきなり体格のいい男でした。

「若いの、本気で来いよ」

 男は余裕ありの表情で言いました。そして試合が開始されます。

「むぬぅうん」

「む。…うおりゃ!」

 アインは気合いとともに相手の腕をたたきつけました。仕事の後でも疲れはさほど感じません。

「勝者アイン!」

 判定を受けてアインは腕を上げました。それから、二回三回戦と勝ち進んでいきます。その様子をテスはじっと見ていました。彼が勝つと小さな手で拍手を送ります。

 あれよあれよと言う間に準決勝までやってきました。アインは突然現れた強者として観客に期待されています。

「わけぇの!俺も応援してやっからな!」

 様々な言葉がアインに聞こえてきました。テスは最前列で左右の男に押されながらじっと見ていました。そして試合が始まろうとしています。

「世の中の厳しさを教えてやるぜ!」

 相対する男が言い捨てました。その後ろでは雇い主が試合を開始しようとしているところでした。この男に勝つとおそらく雇い主と戦うことになるだろうとアインは感じていました。

「用意!」

 がっしりと手を掴み合います。準決勝が始まろうとしていました。

 そして、カンと鍋が叩かれました。それと同時にアインの腕に激しい力が襲いかかります。

「ぐぬ!」

 力でそれを押さえました。ですが、徐々に腕は寝かされていきます。

「アインさん! がんばってください!」

 テスの声が聞こえました。そしてそのテスの横にいた男がそれに気づいて言いました。

「おう?…わけぇの! 彼女も応援してるぞ!!」

「…く!」

 アインはとりあえず押され気味の状態を保ちながら自分の中で何かを切り替えました。

「ひゅうっ!」

 独自の呼吸をつきます。足の位置を変え、視線を腕一点に集中させました。すると徐々に押されていた腕が盛り返し、逆に押していきます。

「ぐぞ!」

 男の歪んだ声が聞こえます。そして腕を倒しました。

「勝者アイン!」

「うおー!」

 アインは腕を上げて吠えました。それと同時に周りの者たちからどよめきと歓声が沸き上がりました。アインの雇い主はそれを見て軽く笑いました。その中から一人の女性がその準決勝に勝利していた雇い主の方へと寄っていきました。アインたちはそれに気づいていません。

「ヤルドさん、赤ちゃんが生まれそうです!」

「なにっ?」

「すぐ奥さんの所に戻って上げてください」

「…」

 雇い主はこれからアインと決勝に挑むところでした。そのアインが決勝戦のテーブルにつこうとしています。自分の妻のことは確かに心配でしたがいまのこのことを捨てるわけにもいきませんでした。雇い主はしばし考えてその隣に住む奥さんに言いました。

「すまん、これが終わったらすぐ行く。ラーナにもそう言ってくれ。きっと分かってくれるはずだ」

「ヤルドさん…」

 隣の奥さんはその雇い主の顔を見てそっとその場を離れます。そして雇い主も最後のテーブルへ向かいました。

「やっぱり来たね」

「まさか若いのがここまでやるとはな」

 二人はテーブルを境に対峙します。もはや二人は腕相撲という戦いで雌雄を決する戦士となっていました。激しい歓声ももはや耳に入りませんでした。二人は腕を組み合います。

 アインはお金の目的を忘れ、戦いに集中します。雇い主、ヤルドは戦いと生まれくる赤ん坊を天秤に掛けその狭間で揺れていましたが、いまは目の前のことに集中しようと鋭い視線をアインに浴びせました。

 そして火蓋が切って落とされます。

「らああああ!」

 ヤルドが気合いを込めた力でアインを襲いました。アインも腕に集中してそれを受けます。

 引いては押し、押されては引きを両者は幾度も繰り返しました。

「ひゅう!」

 アインは独自の呼吸で対処していましたがそれも相手を上回るほどの力は出ませんでした。そして持久戦へと持ち込まれます。

「くっ!こんなことならもっとこき使っておきゃあよかったな!」

「甘い甘い!」

 一時の気のゆるみも許されない状況が長く続きました。アインは状況の変化を待ちましたがその様子もありませんでした。自分の集中力も弱まってくる頃でした。

「…くっ!」

 そのとき、ヤルドの腕の力が一瞬抜けました。アインはそれを逃さずに一気に攻めます。

「しゃぁあ!」

 ダンと勢いよくヤルドの腕がテーブルにたたきつけられました。

「アイン優勝!!」

 倉庫を突き破るほどの歓声が響きました。

「負けたよ、若いの」

 ヤルドは疲れたようにテーブルに腕を乗せて言いました。アインはそのヤルドに握手を求めます。

「今日までっていうのが何よりも残念だな」

「またくるよ。絶対にね」

 歓声に包まれながらアインは表彰台に上がりました。そしてアインが賞金を受け取っているとき、ヤルドは観客のいるところからテスを持ち上げて連れてきました。

「あっ、あの…」

「ほら、行ってやれ」

 ヤルドの大きな手がテスの背中を押しました。テスは降りてきたアインに駆け寄ります。それを見てヤルドはそこを後にしました。

「アインさん、おめでとうございます」

「ありがとうテスちゃん」

 テスは多くの人に囲まれて戸惑いながらアインの後ろにぴったりとついて行きました。

 やがてそのイベントも終わりを告げます。たくさんいた人たちも大方帰っていき、壁が見えるほどになっていました。

「ん、おいさんは?」

 アインは無料で出されている食べ物を食べながら言いました。

「ヤルドは奥さんに赤ん坊が生まれそうだから帰ったよ」

 大会の主催者とおぼしき白髭の男が言いました。

「えっ? いつ?」

「君の優勝が決まった時かな」

「…」


 そして二人は夜中前に宿に戻りました。もう十分すぎるほどのお金があります。テスは嬉しそうにアインを見ていました。それはアインにしか分からないほど微妙な表情でしたが。

「アインさん、すごいですね」

「テスちゃんが応援してくれたからだよ」

 そう話していましたがアインは雇い主のことを考えていました。彼が負けたのはそのことが頭にあったからだろうか? それとも決まった後に赤ん坊が生まれそうだと知って帰ったのか? そう考えます。そうなれば賞金は彼がもらった方がいいのではと考えました。

「テスちゃん、あのおじさん赤ちゃんが生まれそうだって。聞いた?」

「はい」

「…」

 アインは考えました。賞金を渡すにも、逆に失礼と思います。勝負に勝ってアインはそれを手に入れたのですから。それならば別の形で、そして別の意味で雇い主に何かをすればいいだろうという考えに至りました。

「よし。明日、おじさんの赤ちゃんに何か買って上げよう」

「はい、いいですね」

 そして二人は最後のセントネイルの夜を過ごしました。


 翌日、二人は商店街を歩き回ります。この後はもう帰るだけなので気が楽でした。

「何を買おうか」

 アインは本当に分かりませんでした。

「普通、何を送るものなの?」

「はい。赤ちゃんの健康と成長を願ってイエイルの像を送るのが一般ですね」

「イエイル?」

「言い伝えですが、イエイルは五人の孤児を引き取って育て、その子たちを神の護衛につく五神騎士にしたそうです。それ以来イエイルは子供の成長と栄華の神とされています」

「へえええ。テスちゃんて物知りだね」

 アインはそれにしようかと考えました。ですが、一般的な物ならもうすでに他の人から送られているだろうと思います。

「ここは俺たちで決めた物にした方がいいかな」

「そうですね」

 それからいろいろな店を回って二人は様々な物を探しました。そして昼を過ぎた頃にようやく決まり、働いていた倉庫に向かいます。

「…やっぱり休みか」

 倉庫の扉は閉ざされ、休業中の看板が立っていました。アインは近くの店に行き、ヤルドの家を聞き、そこへ向かいます。慣れない町に迷いながらようやくその家を見つけました。

 玄関のドアを叩きました。

「あいよ。…おお、お前たちか」

「倉庫に行っても休みだったから」

「まあ入れよ」

 アインとテスはヤルドの家に招かれました。ヤルドは嬉しそうに奥さんと赤ん坊のいる部屋に案内します。

「おーいラーナ。こいつらが昨日までのうちの働き者だぞ」

「まあ、こんなお若い方でしたの?」

「ども」

「初めまして」

 ベッドに赤ん坊といるその奥さんにアインは手を挙げて挨拶をしました。テスも頭を下げます。

「おめでとうさん」

「おめでとうございます」

「それで、名前は決まったの?」

「それがなかなかなぁ」

「この人は夜も寝ながら寝言で考えていたんですよ」

「ははははは」

「笑うなよ、若いの。お前もそうなるって」

 そしてアインたちはヤルド夫妻としばし話しました。

「そうそう。お祝い持ってきたよ」

「あ? 何だよ、ガキのくせに気を遣いやがって」

「世話になったからね」

 アインはヤルドにそれを渡しました。そしてテスはラーナに渡します。

「期待しないでね。俺は頭ないから」

「じゃあ遠慮なくもらうぞ」

 アインに渡された包みを開くと小さなランプでした。それはガラス面が赤く彩られてあって灯をともすとその形が壁に映る物でした。鑑賞を目的にしたランプです。

 テスの方は二つの麦藁帽子でした。一つはラーナの物らしく大きな物で、もう一つは子供用の小さな物でした。

「まあ、可愛い」

 ラーナはその小さな方を赤ん坊の手元に置きました。するとその子はぎゅっとそれをつかみます。

「この子も気に入ったみたいです」

「よかったです」

 テスは赤ん坊の頬を撫でて言いました。それから二人は軽く話してヤルドたちの家を後にします。

「ゆっくりしていけばいいものを」

「長居すると出たくなくなるから。それにこれから出ないと夜になっちゃうしね」

「そうか。…また来いよ?」

「うん、必ず」

 アインはヤルドに玄関で握手をして家を出ました。夕方近くになった町の道を進んで帰路に向かいます。

 距離こそ短かったけどかなり充実した旅だったとアインは感じていました。欲を言うならもっとテスといろいろなところを回りたいのですが、初めての旅に彼女を遠くへ連れるのは体力的にも持ちそうにありません。確かに残念ではありましたがまた機会があればと思いました。

 そしてテスはそのアインの少し後ろを歩きながら何かを考えていました。それは町の門に近づくと焦りが生まれてくることでした。彼女は自分に問いました。何を思っているのか。それは様々な言い方で表現できる、しかしその言葉一つでは言い切れないものでした。

 アインの背を見ながら戻りたくない。

 多くの思いをまとめて言葉にするとそうなりました。そしてそれをアインに言うか。それが彼女にとっていままでと同じではない新しい考えでした。

「アインさん…」

 テスは口を開かないと言う考えよりも心の何かの方が強く自分を動かしてアインを立ち止まらせました。

「ん? どうしたの?」

「あの…お願いがあるんですが…」

「うん、言ってみて」

 テスはアインに言われたように、今自分がアインに話そうとしていることに不思議な恐れがありました。

「なんと言っていいか分からないんですが…。私、他の町にも行ってみたいんです…。もちろん、ご迷惑でなければですけど…」

 最後につけ加えた言葉を発したとき、テスは自分を取り戻した気がしました。ですが、その前の言葉も自分の心が願った言葉だと思うとどちらが本当の今の自分なのか分からなくなりました。

「うん。いいよ。…ぜんぜん迷惑じゃないさ」

「すみません…わがまま言って」

「テスちゃん、それでいいんだよ。自分がこうしたいって思うんならまずそれをいわなきゃね。心にとどめておくだけじゃ、思いだけで終わっちゃうからさ。それを願いにして言うんだよ」

「アインさん…ですが、アインさんにも思いはあるんじゃないんですか?」

「うん、あるよ。テスちゃんと一緒にいたいってね」

 テスはそのアインの言葉を数日前に聞いたと思い出しました。そしてアインは思いをすぐに言葉に表す、自分とは遥かに違う人だと感じました。それと同時にそのアインを見習わなくてはという思いに駆り立てられるのでした。それが、彼女が心の奥に感じることを、いま一番的確に表す表現でした。

「ありがとうございます、アインさん」

「うん。…よし、じゃあイハルダに行こうか」

「はい」

 テスはアインの横に並んで違う方の町の門へと向かいました。


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