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#2 太公望、動揺す

 その日の夜、オレは夕食の席で父さんに今日の経緯いきさつを話した。

 父さんはオレの話にふむふむと相槌あいづちを打ち、ウィスキーをロックでちびちびやってはポテトサラダをパクついている。

「悩める姫君を助ける騎士サマってワケだ」

 話が一段落ついたところで、満面にニヤニヤ笑いを浮かべて父さんが言う。

 オレの中の"孤高のお姫様"というイメージと今の言葉がしくも結び付いて、思わず動揺した。

 くっ、酔っぱらいめ。しかも騎士じゃなくてただの釣り人じゃねえか。お姫様と釣り人って、なんか全然ロマンチックな展開が浮かばない組み合わせだな、これ。

 しかも相手があの川原となったら、ロマンチックな展開を期待するどころか、精神的防御策の展開が必須ひっすだ。

「どんなコなんだ」

「分かんない、会ったことないし。五年生だって言ってたけど」

 弟クンのことをかれたんだろうと思ってそう答えた。

「いや、お前のクラスメートのこと」

 父さんがそう言いながらグラスを干す。

 あくまでそっち気にすんの? 弟クンの釣りの相談なんだけど。

 記憶を巡らせて、席替えと六月に行われた授業参観の前後関係を頭の中で確認した。

 うちの学校の参観日はちょっと変わっていて、朝のホームルームから夕方のホームルームまで、父兄は好きな時間に来て、その日のどの授業でも、なんなら掃除や給食の様子まで見ることができる。

 そういえば父さん、はりきって朝のホームルームから見に来てたな。そんな時間から来てたのは父さん一人で、おかげでずいぶん周りにからかわれたけど。

「オレの隣に座ってたヤツ、覚えてる?」

 父さんの顔に、おっ、という表情が浮かぶ。

「あのしっかりしてそうなコか……」

 なんか印象に残っているらしい。目に留まるようなこと、あったっけ?

「朝の連絡事項で、健診か何かの指示をみんなにテキパキしてたよな。先生の判断ももらわないでさ」

 言われてみれば、確かにそんなことがあった気がする。よく覚えてんな、父さん。

 そう言えば川原、親はお母さんだけって言ってたし、家で弟クンの面倒とかも見てんのかな? そう考えると、しっかり者、という父さんの評価もあながち外れていないかも知れない。

 弟クンが釣りをしたいと言い続けてるという今回の件にしても、「うるさいなぁ」くらいで聞き流すのが姉貴ってものの普通の反応じゃないのか?

 父親不在という環境のために、他の子にはできることがができない。そういう制約を一つでも減らしてやりたいと、弟を思いやっているんじゃないだろうか。

「それで、肝心の釣りのことなんだけどさ……」

 川原情報にれた流れを引き戻すべく、話を本来の方向に向ける。

「場所を教えられて、この道具買って来いって言われて、それでポンッと放り出されて……。それで始められるもんか? 釣りってさ」

 どこか呆れたような口ぶりでそう言いながら、父さんは二杯目のウィスキーをグラスに注いだ。

 まったくもってごもっともです。オレもそう思ったんです。だから相談してるんです。

「もしそのコの頼みを引き受けるんなら、最初はおまえが弟クンを連れてってあげなきゃな。自分の道具を買うとかは、何回かやってみてからの方がいい。そもそも、弟クンもすぐ飽きちゃったりするかも知れないし」

 なるほど。弟クン、今はビギナーズラックに酔っているだけという可能性もあるしな。

 それに釣りに連れて行くと言っても、相手は弟クンだし、別に何も問題はない。もちろん連絡は川原を通してしなきゃならないだろうが、まあそれくらいは我慢するさ。

「だとすると、場所は近場の雅川だとして、魚は何を狙えばいいかな?」

「何を狙うにしても、まずはエサ釣りからだな」

 これは正直意外な答えだった。ここ数年、父さんの釣りはブラックバスのルアーフィッシングが中心だ。その父さんがエサ釣りを勧めるのか。

「ルアーじゃない方がいいの?」

 オレのその質問に、父さんはチラリとこちらを見る。分かってないな~こいつ、みたいな目で。

「『魚が釣れるシステム』をきちんと感じるためには、まずエサ釣りをやり込むのが一番だ。エサ釣りが、釣りの基本中の基本だからな」

 そういえば、オレも初めてルアーをやったのは四年生くらいの時だった。それまでは父さんにみっちりエサ釣りを叩き込まれたもんだ。

「ニジマスの釣り堀でデビューしたんならきっとウキ釣りだったろうから、次は雅川でコイ釣りなんかどうだ? 吸い込み仕掛けとかで。目先も変えられるし、いいサイズも期待できるしな。五年生なら、そこら辺から始めるのがいいだろ」

 グラスをクルクル回しながら父さんが言う。

 ふむ。コイ釣りなら基本的な道具でまかなえるし、確かに妥当なところだ。まったくうちの親父サマ、釣りのこととなると頼りになる。

 これで依頼を受ける場合のメドはついた。その気にさえなれば。

 問題は本当に受けるかどうかだけど……。

「あんまり乗り気じゃないみたいだな」

 まだ半分近く残ったポークソテーを前にぼーっと考え込むオレの様子を見て、ボソリと父さんが口にする。

 それはそうだ。相手があの川原だもん。

「だって、肝心の姉貴の方の無愛想っぷりときたら…」

 溜め息混じりに、ソテーを一切れつつきながらそう答えた。

「お前だって、女の子達から見たら同じようなもんだろ」

 カラカラと笑う父さんの様子に、思わずムッとする。

 確かにそうかも知れないが、オレは自分からは女の子に関わらない。したがって、向こうに余計な気を使わせるコトもない。

 相手の心理的負担を考慮して、先を読み賢く行動する真のフェミニスト。それがオレ。

「第一、それなら何で今日その場で断らなかった?」

 その父さんの言葉が、飲み下そうとしたソテーと一緒に胸のあたりにつかえる。

 不意に脳裏に蘇る川原の言葉と、その時の表情。


 …………うち……お父さん、いないから……

 

 ソテーが胃に落ちていく時、胸の辺りに感じた鈍い痛みは、肉体的な物か、それともその記憶がもたらしたものか判然としなかった。

「見た目、すごく可愛いコだったよな」

 一見前後の脈絡みゃくらくのない父さんの言葉に、オレは思わず片方の眉を吊り上げる。

「だからって、下心で答えを保留したわけじゃないよ」

「そんなことは分かってる」

 いつの間にか表情を引き締め、父さんは静かに言った。

「お前がそんな器用な奴じゃないってことはな。だけど、見た目が可愛いのも無愛想なのも、そのコを観察すれば分かることだ。人間、観察するだけで分かる部分にさほど意味はない」

 父さんのグラスの中で、溶けて崩れた氷がカラン、と音を立てる。

「関わってみて初めて見える部分。それが人間の本質だぞ。他人ひとと関わらずに観察だけして過ごす人生は、気楽かも知れないが、安逸あんいつで空虚だ」

 そう口にする父さんの目は、なぜか少し悲しげだ。

 同時にその父さんの言葉は、オレに否応いやおうなくある事実を突きつける。

 川原の外見が依頼を断らなかった理由ではないのと同様、無愛想な性格が依頼を受けなかった理由ではないだろうと。

 そう、結局オレはもうすでに関わってしまったんだ。今日の夕方、あの公園で。

 ほんの一部ではあるけれど、川原という人間の人生に。


 


 翌朝、オレはいつもより少し早めに登校した。まだ人の少ない時間帯なら、川原に昨日の返事がしやすいと思ったからだ。

 川原はいつも朝早く登校して、オレが教室に入る時にはすでに席についている。

 あくびを噛み殺しながら下駄箱で靴を履き替えていると、いきなり左腕をガッとつかまれる。相手の顔を確認する間もなく、そのまま廊下の曲がり角の陰に引っ張り込まれた。

 眠気が覚めきらず不機嫌なのも手伝って、思わずこの不埒ふらちな無礼者を怒鳴りつけそうになったが、口を半分開きかけたところでギリギリ相手の正体に気がついた。

「ユウ……!」

 オレの肘をつかみ、困惑とも焦燥しょうそうともつかない表情を浮かべているのは、我が親友の池中いけなか(ゆう)だ。

「ユキ!」

 どういったきっかけだったか覚えていないが、ユウは小さなころから、カツユキというオレの名前の前半ではなく、後半の二文字を愛称として採用していた。

 ユキとユウって、字に書いたらなんか女の子どうしみたいじゃね?

 実際ユウは、小柄な体に中性的な顔立ちがあいまって、私服の時なんかホントに女子に見えるほどの美少年だった。

 ユウは息を弾ませながら、詰問きつもんするような口調で続けた。

「いったいどういうこと!? ユキ。川原さんにコクったってホント!?」

 ああ、やっぱりそれ、噂になってるんですね。

 しかもオレと川原の立場、シレッと入れ換えられてる。まあ、その方が信憑性あるもんね。

 ていうか、あのニ組の女ども……。

「そんな思いきったことするなら、なんでボクに相談しないのさ!? それで結果は? やっぱりダメだったんでしょ?」

 ああ、親友よ。心底オレのコトを心配してくれているんだろうが、キミ、今われ知らずオレのハートを切り刻んでるぞ。

「落ち着け、ユウ。誰からそんな話を聞いたか知らないが、お前、ホントにオレがそんなコトすると思っているのか?」

 ユウの剣幕に気圧けおされつつ、言い訳を始めるオレ。

「まず第一に、オレが女子にコクるなんてことがまずあり得ない。そして二つ目。ましてその相手が川原なんてもう『野球未経験者がプロ球団のトライアウトに挑戦!』みたいな話になってんぞ?」

 オレがそう答えると、ユウは少し落ち着いたのか、トーンダウンした声で言う。

「うん。ボクもそんなことあるわけないって思ったんだけど、ユキが川原さんに告白したらしいっていうメールがゆうべ四通も飛んできて……」

 ああ、何と恐るべき情報拡散能力。

 うちの学校の女子って、十年後には広告業界に革命起こしてんじゃねえの?

「昨日、帰りにたまたま会って、英語の構文のことちょっと聞かれたんだよ。そん時のこと誤解されたんじゃないか?」

 確か川原、授業中見てる限りじゃ数学と英語はあまり得意じゃなさそうだった。話に信憑性を持たせるためには、教科の選定にも気をつけないと。

 だがそんな苦心にも関わらず、オレの答えにユウはまだ納得していないみたいだ。

「わざわざ公園にまで行って?」

 ああ、何と恐るべき情報収集能力。

 うちの学校の女子って、十年後には誰かCIA長官になってんじゃねえの?

「あいつ、オレの説明なかなか分かってくれなくてさ。しょうがなく静かなところで……」

 スマン、川原。おまえのこと、ちょっとおバカのコにしちゃったよ。

「そうだったんだ。それだけでも、あの川原さんにしたらビックリだけどネ」

「だよな。オレも話し掛けられた時はビックリだったぞ」

 この部分だけは本音なので、自然にスラスラ出てきた。

 とにかく、コトは川原のプライベートにも及ぶことなので、昨日の話は例え相手がユウと言えども洩らすわけにはいかない。許せ、親友。

「とにかくそうゆうことだから、お前にメール飛ばしてきたヤツらにも言っといてくれよ。」

「分かった。これ以上噂が広まらないように、誤解を解いとくよ」

 そう言って手を振るユウと別れて自分の教室に入ったとたん、ユウの気遣いがすでに手遅れだということを思い知らされた。

 扉を開けるやいなや、教室中から矢のように飛んで来る視線、視線、また視線。

 いつもより早い時間のせいもあってまだクラスの三分の一ほどの人数しか登校して来ていないが、そのほとんどの視線がオレに注がれている。

 すげえ、生まれて初めてだよ。これだけ人から注目されたのは。なのになぜこんなに泣きたい気分なんだ。

 教室にはすでに川原の姿もあったが、オレを見るなり机に視線を落とす。きっとオレが現れるまでずっと、周囲からの好奇の目に一人で耐えていたんだろう。

 自分でも意外なことに、体を硬ばらせてじっと俯いたまま席に座っている川原の様子を思い浮かべると、何やら無性むしょうに腹が立ってくる。

 そっとしておいて欲しい人間をそっとしておいてやる。たったそれだけのことがどうしてできないんだ?

 カバンから教科書やノートを机に移す暇すらなく、オレは男子数名によって廊下に拉致された。教室から引っ張り出される瞬間、心配そうな目でこちらを窺う川原が目に入る。

 男子達からの予想通りの質問に、オレは出所不明の憤りのせいでごくそっけない態度で答えた。

 その後、朝のホームルームが始まるまでのわずか二十分たらずの間に、ユウにしたのと同じ話を四回繰り返すハメになった。

 正直なところオレの言い逃れは、昨日のオレと川原の様子を直接目撃したヤツはまず信じない稚拙なレベルだが、必ずしも本当に信じさせる必要はない。こちらが事実を話すつもりがないことを分からせさえすればいい。

 いくら興味津々(きょうみしんしん)でも、まさか川原に直接この質問をしようとするヤツがいるとは思えない。

 となれば、オレが(·)(·)を切り通せばいいだけのことだ。

 その日、アルカトラズの囚人よりも厳しい監視のもとに置かれたオレは、なかなか昨日の返事を川原に伝えるチャンスがなかった。

 直接話すのを諦めたオレは、三時限目の授業中、用件を書き留めたノートの切れ端をそっと川原の手元に押しやった。


 “最初はオレが一緒に行って釣り方を教える。それでよければ弟の予定を教えてくれ”


 授業中に手紙なんて、小四の時以来だ。その時は隣から回って来た手紙を、反対側のヤツに渡しただけだったけど。

 差し出されたノートの切れ端に気付いた瞬間、川原はピクリとかすかに身体を震わせ、一瞬手を伸ばすのを躊躇ためらうしぐさを見せた。

 だがやがてそっと紙切れを手に取ると、さりげないふうを装って目を通す。

 川原は表情を変えまいと終始努めている様子だったが、ほんの一瞬だけ、その眉がピクッと動いたのをオレは見逃さなかった。

 オレのメッセージを読み終わった川原は、机の中から小さなメモパッドを取り出して一枚切り取り、何やら書き付ける。そしてそれをニつに折り畳むと、さっと目だけで周囲を確認して机の上を滑らせて来た。

 オレも一度周囲を確認してからメモを手に取り、そっと開く。

 某テーマパークのキャラクターであるアヒルがデザインされたメモ用紙に、数字とアルファベットの羅列が丸っこい字で書き付けられている。


 080-☆☆☆☆-☆☆☆☆

 mizuki.lovelovedog1031@☆☆☆☆☆☆.ne.jp


 何だこれ? これってもしかして、川原の携帯番号とメアド?

 授業中にこっそり女子とやり取りした手紙に、その子の携帯番号とメアドって……。

 ちょっと神様、いたずらが過ぎますよ?

 中学の入学祝いで買ってもらったオレの携帯の電話帳には、入学早々のクラス内アドレス交換によってかなりの件数が登録されていた。だが現在その中には、当然のごとくただの一件も女子のデータは存在しない。

 まあ他ならぬこのオレだから当たり前だ。

 他の男子達はまったく臆することなく女子にアドレス交換を申し込んでいたが、そんな芸当がオレに出来るはずがない。更に言えば、オレにアドレス交換を申し出るような奇特な女子もまた存在しなかった。

 つまり今オレが手にしているのは、生まれて初めて入手した女子の連絡先。

 たとえそれが人間要塞川原の連絡先だとしても、やはりある種の感動を禁じ得ない。

 いや逆か。川原の連絡先だから余計レアなのか。

 あの川原がこんなにあっさりと自分の連絡先を人に教えるなんて、おそらく奇跡的な出来事に違いない。きっと四月のアドレス交換の時ですら、誰に頼まれようと決して交換に応じなかっただろうに。

 オレはチラリと川原の様子を窺うが、まっすぐ黒板を見据えるその端正な顔からは、特に何も読み取ることは出来なかった。

 



 その日、放課後も川原の件をなんだかんだと探りたがる男子どもを振り切って家にたどり着くと、早速携帯を取り出して川原の連絡先を登録する。

 だが連絡があまり早すぎると、普段女子とのやり取りがない非モテ男子がはしゃいでるように思われるか? まあ、向こうも家に着いたばかりの頃だろうし、少し落ち着いてからの方がイイな、うん。

 それにしても、ただメール出すだけでこんなに気を遣わなきゃならないって、やっぱ女子ってメンドクサイ。

 オレは机の上に携帯を放り出すと、まず学校の宿題と塾の予習に手をつけてしまうことにした。

 だが変に間を空けてしまったためか、「女子にメール」という部分に自分の中で刻々と変なプレッシャーが積み重なって行く。宿題と予習が何の支障もなくあっさり片付いてしまっても、なかなか携帯を手に取る踏ん切りがつかない。

 何かと理由を付けては後回しにし、けっきょく川原に連絡する勇気が出たのは、夕食を済ませた夜七時過ぎになってからだった。

 だがいざ携帯を手にしても、そもそも女子とメールするなんて初めてだし勝手がよく分からない。相手が女子の時のテンプレ集とかないのかな。

 まあこれ以上は引き伸ばせない。もしこのまま連絡をおこたったりしたら、明日は間違いなく針のムシロに座る羽目になる。

 とにかく、要件だけの簡単なメールを送っちゃおう。これ以上色々考えてると、そのうち胃に穴が開く。


 19:09

 【件名】釣りの件

 【本文】最初はオレも一緒に行って釣り方とか教えた

     方がいいと思う。

     弟の予定空いてる日教えてくれ。 


                   和泉


 送信キーを押す前に自分の文章を確認する。

 自分で言うのもナンだが、まあ実に素っ気ない。ていうか、さっき授業中に渡したメモとほとんど変わらない。

 だが、気の利いた文面とか、ボキャブラリーの豊富さとかオレに期待されても困る。川原の方も、オレにそんな方面のスキル期待してないだろうしな。

 はい、送信っと。

 まるでひと仕事終えたサラリーマンみたいにふうっと溜め息をついていると、ものの数分で机の上の携帯が震えた。

 ビクッとしながら恐る恐るディスプレイを覗くと、果たして川原からのメールだ。

 何?もしかしてオレの連絡待ち構えてたの? メール遅いとかってお怒りだったりするの?

 ゴクリと唾を飲み込み、意を決してメールを開く。

 端から見たら、一人でこんなに緊迫した空気をかもしているオレってかなり変なヤツだよな。

 

 19:13

 【件名】Re:釣りの件

 【本文】メールありがと

     弟は土日ならだいたい大丈夫だよ。

     ……なんなら、今度の土曜とかでも大丈夫かな?

     持って行く物とか、何が必要?


                   川原


 文面を見る限り、お怒りのご様子ではないことにホッと胸をなで下ろす。

 それどころか、普通に女の子っぽい雰囲気の文章で、なんか意外だ。普段隣に無表情で座っているあの人物とこのメールの文章が、自分の中でうまく重ならない。

 まあそれはともかく、土曜日ならオレも塾はないし、万事OK、と。

 ……あれ、今度の土曜? それって明後日じゃね?

 ずいぶんと早速のセッティングですね。弟クンがよっぽど楽しみにしてるとかなのか?


 19:20

 【件名】Re2:釣りの件

 【本文】了解。じゃあ次の土曜朝7:00に、三好台みよしだい公園に

     チャリで集合。

     弟に帽子と飲み物忘れないように言っとけ。


                   和泉


 送信。これでよしっと。

 あとは、土曜日一緒に釣りながら色々教えて、なんならあと一、ニ回付き合って、自分の道具が欲しいようなら一緒に選んでやって……。

 それで今回の奇妙なミッションは終了だ。

 やるべきことの目処めどがついてホッとしていると、再び携帯が振動する。

 ついでにオレの心臓まで激しく震動。

 何だよ! まだ何かあんの!?


 19:23

 【件名】何で!?


 【本文】持ち物、帽子とドリンクボトルだけでいいの?

     道具とかは?

     それに時間早くない?


                   川原


 文章に余裕がなくなりましたね。慌てた顔の川原が目に浮かぶようで、愉快な気分だ。

 学校では慌てた様子など見せたことがない川原がこんなメールを送って来るなんて、後で忘れずにメールに保護かけとこう。


 19:29

 【件名】Re:何で!?

 【本文】釣りじゃこれでも遅いくらいだ。うちの父さんな

     んか、4時くらいに出掛けてくぞ。

     道具はとりあえずオレのを貸す。買うのは慣れて

     からにしろ


                   和泉


 送信ボタン、ポチッとな。

 だがほとんど間をおかず届いた川原からの返信に、今度はオレの方が余裕をなくす。


 19:34

 【件名】分かった

 【本文】じゃあ、道具は貸してもらう。ありがと。和泉の

     お父さんも釣り大好きなんだね。

     はぁ~ でも7:00かあ。お弁当作るのが大変。

     あ、お弁当オニギリでいい?


                   川原


 え? それって何……。オレの分も弁当用意するってこと?

 しかも川原が作んの?

 川原ってそんな家庭的なキャラなわけ?

 オレの頭の中で、色々なコトがグルグルと目まぐるしく回転する。

 昨日の夕方、学校帰りに相談を持ちかけられてからというもの、川原のイメージがオレの中で次第に塗り替えられていく。

 それにしても女子の手作り弁当って…、オレの人生、たった2日で急展開すぎる。  



 19:40

 【件名】Re:分かった

 【本文】おう、悪い。


                   和泉


 送信キーを押す指が震えてるのが自分で分かった。

 多分、今夜眠れません。

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