最終話 お姫様の誕生日
あれからニ週間。
このニ週間のオレの状態を一言で言い表すなら「虚脱状態」。あまりに奇跡的なあの勝負の結果に、半分幽体離脱状態に陥っていた。
宝くじで三億円とか当たった人とかも、きっと今のオレと同じような状態になるんだろうな。当たったコトないから知らんけど。
水曜日の放課後、オレは川原から呼び出されて公園のベンチに座っていた。
一ブロック向こうは学校の通学路。ここはそもそもの最初に、川原から釣りの相談を受けたあの公園だ。
あれからたったニヶ月弱。ずいぶんいろんなことがあったもんだ。そしていろんなことが変わった。
相談を受けたあの時、このベンチの両端になるべく互いの距離を取るように座っていたオレと川原が、今は中央の部分に寄り添うように並んでいる。
そして何より、今でも信じられないのはオレと川原が彼氏と彼女という関係だということだ。こんな運命のイタズラ、ニヶ月前には想像もしていなかった。
その川原は、今オレの脇にチョコンと座ってココアをくぴくぴ飲んでいる。
自分から呼び出したクセに、なかなか用件を切り出さない。
「なあ?」
業を煮やしたオレが口を開く。
「うん?」
なんとも呑気なお返事だ。そんな夢中になるほど、そのココアおいしいの?
「何か用あったんじゃねえの?」
ちょっと不機嫌な声になった。
そんなオレの様子をまったく気にしたふうもなく、川原は無邪気に答える。
「彼氏に会うのに、用がなきゃダメ?」
くそっ! そんなミエミエの、ベタなセリフなんかで懐柔されないんだからね!!! ホントだからね!!?
「別にダメじゃねえけど……」
オレは視線を逸らしながらモゴモゴと言った。
そんなオレの様子を見て、川原がクスリと笑う。
「ちょっと会いたくなったの。今日、私の誕生日だから」
その言葉に、オレは思わずグリンッと川原に向き直った。
今日? 今日って……、十月三十一日?
オレの様子を見た川原が、諦めたような顔で溜め息をつく。
「やっぱり気づいてなかった」
オレは必死に頭を回転させてこのニヶ月間の記憶を掘り起こしたが、それに該当する情報は一向にヒットして来ない。
「オレ、お前の誕生日いつ聞いたっけ?」
川原の顔色を伺いながら、恐る恐る尋ねる。
「メアド」
川原がジトッとした目で言い放った。
そう言われてオレは慌てて携帯を取り出すと、電話帳で川原の情報を呼び出した。
080-☆☆☆☆-☆☆☆☆
mizuki.lovelovedog1031@☆☆☆☆☆☆.ne.jp
これ? この「1031」だけでお前の誕生日が十月三十一日だと気づけと?
……ああ、彼女を作るってなんて難易度の高いゲームなんだろう。
思わず俯きながら黙り込んだオレを見て、川原はサバサバした調子で言う。
「もういいよ。和泉にそこまで期待してなかったし」
出たよ。赦罪に見せかけた非難だよ、コレ。
「でもオレ、プレゼントも何も用意してない……」
オレの言葉に、川原はさっきより優しい調子で言った。
「それもいいよ。もうもらったから」
オレはそっと顔を上げて、川原の表情を伺う。
チラリとオレの顔を見返して、川原は続けた。
「お父さんとお母さん、話をしたみたい」
川原の言葉に、オレは思わず唾を飲み込んで川原の顔を見つめた。
「一昨日の夜……私と智也、お母さんに言われたの。お父さんとお母さん、再婚はできないけど、月にニ回お父さんに会ってもいいって……。智也は、あの人が自分のお父さんだって知ってビックリしてたけどね」
オレの胸の中に、何か温かい物がじんわりと広がっていく。
「和泉のおかげ」
ぽつりと川原が言う。
「月にニ回だけだけど、お父さんと会えるようになった。……それに…………」
少し躊躇ってから、川原はオレの顔を見て言った。
「彼氏もできたしね」
自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じる。
「顔はあんまり冴えないケド……」
みるみる顔の赤みが引いていくのを感じる。
「無愛想で朴念仁だし……」
違う理由で顔が赤くなるのを感じる。
「…………でも」
川原の顔に突然微笑みが浮かぶ。
「まっすぐで優しくて、釣りの時はカッコイイ私の彼氏」
だからさ川原、「は」って何なんだ、「は」って。
川原はオレの肩にコテンと頭をもたせかけると、そっと呟いた。
「今日が、今までで一番素敵な誕生日」
隣に座る自分の彼女のその言葉に、オレもちょっと幸せな気分になる。
「お父さん、今度私と智也を釣りに連れてってくれるって」
川原が囁くように言う。
「……そりゃあ楽しそうだな。気をつけて行って来いよ」
これで約ニヶ月間に及んだオレの奇妙なミッションも、無事終了というわけだ。
だが川原はオレの肩から頭を上げると、はあ? という顔つきで言った。
「なに言ってんの? 克之も来るんだよ?」
はあ? そっちこそなに言ってんの? しかもシレッとファーストネーム呼んだろ、今。
「『勝ち逃げは許さん』ってお父さん言ってたし」
あ、陛下のご下命なんですか?
オレが答えに詰まっていると、急に川原がモジモジした様子になってオレの顔を見る。
こいつがこういう態度に出ると、もう嫌な予感しかしない。気づかないフリをしても、我慢比べじゃ勝ち目はないし。
「どうした?」
渋々ながら、そう尋ねた。
「……ねえ、誕生日のプレゼント、もう一つ欲しい」
川原が甘えたような小声で言う。
ほら、予感的中だ。
「何だよ?」
もはやネットに捕らえられた魚状態のオレは、どうにでもなれ、という心境で答えた。
「瑞季、って呼んで?」
「はぁ?」
不意を突かれたオレは慌てて聞き返す。
川原は上目遣いに潤んだ目でオレを見つめている。これまで何度となくオレを陥落させてきた例の表情だ。
オレは思わず溜め息をついた。
しょうがない、今日はこいつの誕生日だしな。他にプレゼントも用意してないし。
オレは今まで言わなければいけないと思いつつ言う機会がなかった言葉を付け加えて、自分の彼女の希望に応じた。
「好きだよ、瑞季」
そう囁いて、オレは川原の唇にそっとキスした。
オレはただ、静かに釣りを楽しんで生きて行きたかっただけなのに、どうやら神様はそれを許してくれないらしい。
それどころか、今やオレの人生には女の子という未知の要素まで絡んで来ている。
オレにとっては人生=釣り、すなわち釣り=人生。人生も釣りも、どちらもやはり兎角ままならない。
了