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決戦前の短い幕間 ~お姫様の恋模様~

 川原のお父さんとの勝負の日取りが決まった。

 十月ニ週目の日曜日、時間は午前七時。

 場所はオレが行ったことのない釣り場だった。

 小貝川、竜ヶ崎付近。

 小貝川は北関東を流れ、最終的に利根川に合流するかなり規模の大きな河川だ。

「その場所は私も初めてなんだ。勝負だから、公平にお互い初めての場所がいいと思ってね」

 新海さんは電話でそう言っていた。

 このことを告げると、父さんは大きく頷いて言った。

「よし。『巻きモノのもう一つの利点』が効いて来るぞ。瑞季ちゃんのお父さんにも初めての場所なら五分だからな」

 ですからね、その巻きモノのもう一つの利点って何ですかね? 自分で気づくくらいじゃないと勝ち目ないって言ってましたけど、勿体もったいつけ過ぎですよ?

 まあそれはともかく、日取りが決まった以上はあいつにも知らせておかない訳にはいかないよな。




 オレはその夜、メールで勝負の日程が決まったことを川原に連絡した。

 メールを送信したのは午後七時過ぎだったが、川原からの返信はない。

 携帯の電源を切っているのか、着信に気づいていないのか。先週、新海さんに勝負を申し込んだ話をしようと連絡した時も、なかなか返信が来なかった。

 いずれにしろ、オレは来週の日曜日に川原のお父さんと勝負をする。そのことはすでにメールで川原に報告済みだ。

 川原からの返信があってもなくても、それ自体には何も問題はない。

 午後十時半、風呂から上がってそろそろ寝ようかと思っていた矢先、机の上の携帯が震えた。


 From:川原瑞季

 22:36

 【件名】明日

 【本文】会いたい。

     予定空いてる?


                   川原


 オレは思わず溜め息をついた。

 先週オレが送ったメールがそのまま返って来た感じだな、コレ。


 22:40

 【件名】Re:明日

 【本文】夕方から塾だから、それまでなら大丈夫だ。

    

                  和泉


 用件なんて聞くまでもない。オレとお父さんの勝負の話に決まってる。

 もっともオレにしたら、川原に何を言われようともここからできることは全力を尽くすことだけだ。

 静まり返った部屋の中で、再び携帯が震えた。


 From:川原瑞季

 22:44

 【件名】Re2:明日

 【本文】じゃあ10時に。この前の場所で。


                   川原


「この前の場所」ってどこだ? 先週待ち合わせした三好台公園か?それとも……。

 それもまた、聞くまでもないことか。

 先週あったことを考えれば、「この前の場所」とは北見貝塚の広場のことに決まっている。

 オレはゴロリとベッドに横になり、先週のことを思いだした。

 先週のあの広場での川原の行動。

 普通に考えて、女の子が男にキスをするってコトはまあ、ほとんどの場合が恋愛感情の表れのはずだ。

 だが川原の場合、あいつのイメージと恋愛ってモノがオレの中で上手く結び付かない。

 あいつが誰か男に惚れる。それ自体もうかなり想像が難しい。

 ましてやその男がオレってことになると、荒唐無稽こうとうむけいすぎて現実感が皆無だ。

 それよりどちらかと言うと、オレに対して父親代わりに甘えてるって方がしっくり来る。

 この前、風邪の見舞いに行った時の様子からしても、その可能性の方がずっと高い気がした。

 まあいいや。

 今はどっちでもいいや。

 少なくとも川原にとってオレは、他のみんなとは何か違う存在だってコトは間違いないらしい。

 今はそれだけでいいや。

 とにかく今は新海さんとの勝負に集中だ。

 さっき自分で言ったはずだ。ここからできることは全力を尽くして戦うことだけだって。


 22:48

 【件名】Re3:明日

 【本文】了解。

     また明日な。


                   和泉


 送信ボタンを押した瞬間、眠りに落ちた。




 翌朝待ち合わせの時間にオレが約束の広場に着くと、川原はもう一人でベンチに座っていた。

 淡いブルーのブラウスに麻の白いジャケットを羽織ったその後ろ姿が、やけに普段と違って大人びて見えた。

「わりい、待ったか?」

 まだ約束の五分前だが、相手が先に来ていた場合の礼儀としてそう口にした。

「遅い。五分も待った」

 こちらの気遣いなどどこ吹く風といったていで、川原が口を尖らせながら言う。

 このやろう。先週はヒトを二十分近くも待たせやがったクセに。

「どうしたんだよ。呼び出したりして」

 温厚な上に博愛精神いっぱいのオレは、川原の返事をさらっとスルーして隣に腰掛ける。

「来週の日曜、何時に和泉の家行けばいい?」

 川原はごく普通の調子でそう尋ねてきた。

 いや、それはさすがにマズイんじゃないですかね?

「ついて来る気なのか?」

 オレは口調に渋る感じを漂わせて、川原にそれとなく釘を刺す。

「当たり前じゃん」

 まあ川原自身の運命が掛かっている以上、その川原の言葉を無下むげに否定はできないが、今回の事情はもう一段階入り組んでいる。

「お父さんがいるんだぞ。お父さんとお母さんの間の約束のこともあるし、来るのはまずいだろ」

 少し川原のことを不憫ふびんに思いながらも、そう言わざるを得ない。

 川原はオレのその言葉を予想していたかのように、まったく動じることなく即座に切り返して来た。

「私、別にお父さんに会いに行くわけじゃないよ。和泉ついて行くだけ」

 川原はいたずらっ子のような顔でそう言う。

「同じコトだろうが」

 呆れたオレは、溜め息まじりにそう言った。

「同じじゃないもん」

 またコイツはそんな顔をして……。その口を尖らせて拗ねたようなすんの顔やめろ、カワイイから。

 川原が学校では決して見せない表情。クラスのやつらも誰一人知らないだろう一面を、川原が自分にだけは見せるという事実が、オレの胸の内にささやかな喜びをもたらす。

 ホント、こいつ素直になりさえすればすげぇカワイイのにな。

「第一、彼氏の大勝負を見届けるのは彼女として当然のコトでしょ?」

 うん、そうだね。それは当然のコトだね。

 彼氏と彼女だもんね。

 それで、彼氏と彼女って誰と誰のコト?

 川原がこともなげに口にしたセリフの見事な飛躍っぷりに、オレの思考があっけなく空回りする。

 オレはまったく当事者としての自覚なしに、川原に今の言葉の補足を目で促した。

だが川原は口もとに微笑を浮かべて小首を傾げながら、ただ黙ってオレの目を見つめ返して来る。

 こちらの要求を把握しつつも、とぼけて見せる腹積はらづもりが見え見えだ。

 しかたなく言葉で真意を確認するオレ。

「なあ……。お前、今なんて?」

 オレのその言葉に、川原は至極しごく落ち着いた調子でケロッと答えた。

「なあに? 女の子のファーストキス奪っておいて、責任逃れする気なんだ?」

 ちょっと意地悪な響きを含むその言葉。

 川原の婉曲えんきょくな言い回しの意味するところがうっすらと見えて来るに従って、自分の顔が火照ほてって来るのが分かる。

 だがその前に今の言葉、スルーするわけには行かない情報操作が含まれてたぞ? ていうか、さりげなく主客しゅかく逆転させるな。

「お、オレじゃないだろ!?  あれはお前の方からしたんだろ!!!」

 思わずうろたえながら、オレは相変わらず涼しげな顔の川原に反論した。

「あんただってイヤそうな素振り、全然しなかったじゃない!」

 ここに来て、川原の方の声も次第にエスカレートして来る。さっきまでの罠を巡らすハンターの如き余裕が崩れ始めた。

「そんな反応する余裕あるワケないだろ! 人が油断してる時にあんな……」

 あんな……、ダメだ。言葉が続かない。

「ホントにイヤだったら、パッと離れればよかったでしょ!」

 広場中の人達が振り返る程の声で川原が叫ぶ。

 わお。痴話喧嘩劇場、絶賛公開中だ。

 オレと川原は息を荒くしながら互いに視線を闘わせる。

 ふと、川原が急に表情を曇らせて俯いた。

「……ヤだっ……の?」

 え? 何だって? ……よく聞こえなかった。

 川原が上目遣いにオレを見る。

「イヤだったの?」

 ずるいよなぁ、コレ。

 この雰囲気で「イヤだった」って答えられる男なんているワケないだろ?

 しかも正直、イヤじゃなかった。こんなカワイイ女の子にキスされて、イヤなワケがあるはずない。

 ただ不安だっただけなんだ。もしかしたら川原のあのキスが、一時いっときの気の迷いだったんじゃないかって。

 だけど、不安だったのはきっと川原も同じだ。キスした相手がどんな気持ちでいるのか分からないんじゃ、そりゃあ不安にもなるだろう。

 だからこそ今オレに暗に要求しているんだ。自分の気持ちをありのまま差し出せと。

 今日この場所に呼び出されたのも、今にして思えば作為的なモノを感じる。先週川原にキスされた、まさにこの場所に。

 何だか、自分がランディングネットに収まる魚みたいな気がしてきた。

 ……仕方ない。何か納得いかないが、ここはオレが譲歩しよう。

 よくよく考えてみれば、イチョウ並木で最初に川原から声をかけられた時も、先週、この場所で川原にキスされた時も、オレはいつも受け身だった。

 今日は、オレから仕掛けてやる。

 オレは黙って川原に一歩近づくと、自分の唇を川原のそれにそっと重ねた。川原がビクッと後ずさろうとする気配を感じて、その腕をつかむ。

 とうとう自分の意志でやっちまった。もう言い訳が効かない。

 オレ、コイツが愛おしい。

 素直じゃないところも、ドジなところも、二流の策略家なところも、全部引っくるめて愛おしい。

 数秒か数分か、はっきりと知覚できない時間が流れて、オレはそっと川原の唇と腕を解放した。

 川原がいつの間にか閉じていたまぶたを開く。その瞳は静かにオレを見つめて揺るがない。

「オレ、本当にお前の彼氏ってことでいいのか?」

 オレは震えそうになる声を必死に支えて、やっとのことでそう川原に尋ねた。

 川原はおどけたような笑みを浮かべて、勝ち誇ったように言う。

「仕方ない。特に許す」

 もう一度、今度は川原の方から唇を重ねて来た。


 ……ああ。このお姫様、ホント素直じゃない。

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