#8 太公望、特訓す
月が変わって十月第一週の土曜日、オレは再び父さんと利根川に来ていた。
目的はベイトキャスティングタイプのタックルを使えるようになるための特訓。
オレは今まで、ルアーはスピニングタイプのタックルでしかやって来なかった。唯一持っている自分のルアー用タックルは、七グラム以下のルアーしか使えないライト仕様のスピニングタイプ。
だが川原のお父さんとの勝負に勝機を見出だすためには、どうしてもベイトタックルを使えるようになる必要があると父さんは言う。
「この季節、標準的な重さの『巻きモノ』が使えないのは致命的だからな」
オレの横に立つ父さんが言った。
巻きモノというのは読んで字のごとく、リールを巻いて水中を泳がせることでアクションを起こし、魚にアピールするタイプのルアーの総称だ。
「そもそも、それはなんで?」
オレは手にした父さんのベイトロッドを、手先で小刻みに振ってしならせながら質問した。
「『秋は巻きモノ』って、清少納言も言ってるだろ」
言ってない。ダジャレにしても、
季節が違う。
「春とか秋は、バスがいる場所を特定しにくいんだ。夏はシェードや流れがある場所、冬は深場を狙えばほぼ間違いないんだけどな」
父さんの説明に、茶化して切り返す。
「人間と同じで、気候がいいからウロウロしたくなるのかね?」
「半分正解かもな」
おや、意外な回答。
「残りの半分はエサの問題だ。春は産卵期に備えてカロリーを蓄えようとするし、秋ならエサの減る冬に備える」
なる程、それでエサになる小魚やエビなんかを追いかけて、盛んに泳ぎ回るわけだ。
「どこにいるか分からないということは、逆に言えばどこにでもいる可能性はある。その状態の魚に効率よくコンタクトを取ろうとしたら、やはり巻きモノが有利だ」
父さんは説明を続ける。
「ほぼ常にリールを巻きながら使う巻きモノは、投げてから回収までの時間が短いから、一投にかかる時間も少ない。その分、短時間で広範囲を探れるわけだ」
はー。そんなことまで考えて釣りしてるんですか、父さん。
「じゃあ、巻きモノを使うのにベイトがいい理由って何?」
オレは今日の特訓の根拠とも言うべき、核心に迫る質問を投げかけた。
「一つ目は、最初に言ったルアーの重さの問題。一般的に、スピニングは重いルアーを使うのにあまり向いていない。例外はあるけど、ライト仕様がメインだ」
父さんがタバコに火をつけながら言う。
「他には?」
「もう一つは効率だ。スピニングは実際巻き始めるまでに、1.ラインに指をかける 2.ベイルを起こす 3.投げる 4.ベイルを戻す 5.巻く、の五アクションが必要だ。だがベイトは 1.クラッチを切る 2.投げる 3.巻く、の三アクションで済む。短時間で広範囲を探りたい秋の巻きモノには、ベイトの方が向いてる」
ムム。こう理詰めで来られては反論の余地は無さそうだ。やはり大人しくベイトの特訓をするしかないのか。
「さて」
父さんは携帯灰皿に吸殻を放り込むと、オレに向き直って言った。
「理屈がのみ込めたところで、実際に投げてみるか」
オレは思わずため息をつく。ベイトがこの勝負に有効なのは今の説明で十分に分かったが、オレにはベイトがどうしても好きになれない理由があった。
「バックラだろ?」
父さんがニヤリと笑いながら言う。
その通り。ベイトリール独特と言っていいライントラブル、バックラッシュ。通称「バックラ」。
オレは初めてベイトタックルを使った時、散々このバックラッシュの洗礼を受けた。
リールのラインが巻かれている部分、ミシンのボビンのようなパーツをスプールと呼ぶ。
ベイトリールのスプールはスピニングと違って、ラインが出て行く方向と直角の向きに取り付けられているので、当然ラインが出て行くのに従ってスプールも回転する。
この時、何らかの要因でラインが出て行くスピードをスプールの回転速度が上回ると、スプールからラインがほぐれて絡まる現象が起きる。これがバックラッシュ。
モジャモジャに絡み合ったラインの様子から、古くからバス釣りをしている人達の間では「パーマ」なんて言われるらしいが、オレに言わせればもはや「アフロ」だ。ボボ⚪ーボ・ボーボボだ。
重度の時はもはや復旧不可能。スペアのスプールを用意してでもいない限りは、その日はもはやタックル自体が使用不可能になる。
「そんなに難しく考えることはない。最初はブレーキを強めに設定しておけ。手の感覚で、飛んで行こうとするルアーにかかる抵抗が分かるはずだ」
父さんがロッドを振る仕草を真似ながら言った。
「その抵抗が無くなるギリギリまでブレーキを緩めて行く。馴れてくれば、軽くサミングしながらラインの出をコントロールできるようになる」
オレは父さんの言う通りリールのダイヤルを操作し、ブレーキを強めにしてから投げ始めた。
リールのスプールがキィーンという機械的な音を発して回転する。
ルアーが飛行する間、ロッドティップとスプールにルアーの重量とラインの抵抗を強く感じる。
まだブレーキが強すぎるんだ。
オレは急いでラインを巻き取り、ルアーを回収した。
リールのダイヤルを一目盛り戻して、再度キャストする。先ほどではないものの、やはりまだ抵抗が残る。
オレは投げて、ブレーキを調節してを繰り返しながら感覚を調整して行く。
何度か試すうちに気づいた事だが、ロッドの固さや調子が自分の使いなれた物と違うため、リリースのタイミングまでが今までと微妙にズレる。
実際の勝負の時には、このベイトタックルと自分のスピニングタックルを交互に使用しながら釣りをすることになる。こちらにだけ手を慣らすわけにはいかない。
オレは父さんのベイトタックルを木に立て掛けると、自分のスピニングタックルを組み立てた。
オレはニつのタックルを手に、元の場所に戻る。
父さんはオレの意図を察したのか、何も言わない。
スピニングを五投、ベイトを七投。さらにスピニングを一投だけ。ベイトに持ち変えてまた四投と、オレは二つのタックルをランダムに持ち変え、狙った場所と実際の着水点の誤差を次第に縮めて行った。
風はすっかり涼しく爽やかになっているというのに、オレの額や首筋からは汗が幾筋も滴ってくる。
なんかオレたちって、端から見てると昭和のあの有名なマンガに出て来る親子みたいに見えんじゃないかな?
バスプロ養成ギプスとか着けてみるか?
「少し休憩しろ」
そう言って、父さんがドリンクボトルを下手に放ってよこす。
オレはボトルを受け止めて冷たいスポーツドリンクを喉に流し込むと、息を吐き出して二の腕で額の汗を拭った。
「ベイトリールの使い方は、あんな感じでイイの?」
父さんの横に腰掛けながら、オレは尋ねた。
「使い始めの中坊にしたら、あれだけやれれば十分だろ」
なんかビミョーな評価ですね。父さん。
「勝てるかな?」
オレはボソリと呟いた。
「釣りに『絶対』は無いからな」
チラリと父さんの顔を覗き見る。なにやら思案中といった感じだ。
父さんはタバコをもう一本取り出して口にくわえた。
「まあ、五パーセントってトコか」
ひっくぅぅぅ!!! オレの勝ち目ってそんなもんですか?
「お前が向こうの重量の半分取れる確率が……」
はあ、なるほど。誉めて伸ばすってコトしないんだな、このヒト。
「場所次第だけど、もしかしたら巻きモノのもう一つの利点が効く場面があるかもな。お前がそこに気づけたら、まあ三十パーセントくらいの確率ではいけるんじゃないか?」
そう言って父さんはタバコに火をつける。
「もう一つの利点って?」
「自分で気付くくらいじゃないと絶望的だぞ」
父さんは素っ気ない様子で言った。やっぱり千尋の谷に落とされるパターンか。
オレはその後も、ルアーを選ぶ基準などを父さんにレクチャーされながらさらにキャストの練習を続けた。
帰りの車内、オレのポケットの中で携帯が鳴った。
オレは携帯を取り出してディスプレイを確認する。
そこに表示されていたのは、川原のお父さんの名前だった。