ロータリーのギタリスト
朝は肌寒いから上下ともジャージを着た…だけど密集したバスの中では少し汗ばんでしまう。
だからバスを降りてから感じる、ビルの間を吹く朝の風は好き。
6月14日、そろそろ学校にも慣れてきた時期だ。
私はこの春高校に入学した青山景子。今日もソフトテニス部の朝練があるので、6時台のバスに乗ってきた。
急ぎ足でバスロータリーを抜けると…今日もその男の人はいた。
初夏なのに、黒のコートにジーンズ、ボロボロのスニーカーを履いているギタリストだ。
高校入学以来、私が駅に来るときには、その人は昼夜問わずいつでもギターを弾いている。雨の日も風の日も、毎日毎日。
そして何故か、いつも同じ曲を弾いている。
そんなに悪い曲ではないのだが、道行く人は不思議と彼には目も留めずに歩き去っていく。
私は毎日聞いているのでそのメロディーが頭から離れないが、ある種の親しみを感じていたし、入学以来の大変な毎日の支えとなっていた。だから、この曲は好きだ。
私は学校に着くと、いつもと同じように楽しく1日を過ごした。
放課後のハードな部活を終えて駅に行った私は、バスがもう行ってしまったことに気付く。
次のバスは一時間後。30分後にも一本あるが、それは隣町を経由するので、家に着く時間は変わらない。
私は車酔いしやすい体質なので、一時間待つことにした。
私は近くのベンチに腰掛けると、部活の疲れもあってまどろみ始めた。
遠くからは例のあの人のギターの音色が聞こえる。私は揺りかごに揺られる赤ん坊のような幸せな気分になっていた。
(今日もあの人はいるのか…)
(バスまでは時間もあるし、せっかくだから話してみようかな?)
私は眠気をかみ殺して立ち上がると、その人のもとへ行った。
その人の間近にきてみると、表情がくっきりと見える。20台後半くらいのようだった。
(思っていたより、若いな)
と思っていたら、その人はギターの演奏を止めて、ギターをしまい始めた。
(あ、帰るんだ)
私は、チャンスは今しかないと思って話しかけた。
「あ、あの…なんでいつもギターを弾いているんですか?」
その人はギターをしまう手を止めて、笑顔で答えた。
「好きだから、かな?心の底からギターが好きなんだ!」
「そうなんですか、お仕事は学生さんですか?」
「いや…今は名もなきギタリストといったところかな。」
予想外の答えに私は驚いたが、そういう人もいるのかなって思った。
「あたし、ギターにはあまり興味はないけど、あなたの曲はとても好きです。」
「僕が弾くのを聞いてた人がいたなんて!とってもうれしいよ。」
その人ははにかんだ笑顔で、またこうも言った。
「音楽は人生を変えちゃうこともある不思議なものなんだ。僕の声が聞けたのも何かの縁だし、ギターも好きになってね。」
その人はバッグを担ぐと、歩き去って行った。
私はその人のことを、姿が点になるまで見送った。
(景子、景子!)
誰かが私を呼ぶ声がする…
大声で、しかも体を揺さぶってくる…
「景子、景子!」
私は目を開いた。ギタリストとの会話は夢だったようだ。
私を呼んでいたのは、同じ中学出身の美樹だった。美樹はマーチング部で遅くまで練習しているので、このバスに乗るときはよく一緒になる。
「景子ったら!バス来たよ。早く乗ろーよ!」
「あ、うん…」
私達が乗るとすぐにバスは発車した。
私はロータリーにあのギタリストを探すが、その姿は見えない。
翌朝もロータリーにあのギタリストの姿はなかった。
風邪でも引いたのかと思っていたが、それから二度と彼の姿を見ることはなかった。
1ヶ月後、あのギタリストのことを忘れかけていた頃、私はCDショップに行った。
私は適当に試聴のヘッドホンを耳に当てては外す。
店内を歩いていると、新たにギターコーナーができていることに気付く。
私はあるギタリストの紹介文に目が留まった。
『メジャーデビュー目前の3月に交通事故で亡くなってしまった彼の最初で最後のアルバム! どこか温かい、優しく包み込んでくれる彼のギターに注目!』
私はあのギタリストのことを思い出した。
あの人は元気にしてるかな、と思いながらヘッドホンを耳に当てると…
流れてきたのは耳に慣れた、あのギタリストの曲だった。そう、私が話したあのギタリストは亡霊だったのだ。
メジャーデビュー目前で無念の死を遂げた彼は、満たされぬ思いからずっとあの場でギターを弾き続けていた。
それが、CDが店頭に並んだことでようやく満足することが出来た。
(成仏されたってコトかな…)
恐怖よりも温かさを感じた。
私は迷わず、そのCDを買った。