にくまん
こんな寒い冬の日。
立ち込める蒸気の中で、わたしたちはひっそりとあなたを待っている。
世界でたったひとり、ここから連れ出してくれる王子様。あなたが迎えに来てくれるのを、この透明のケースの中で、今か今かと待っている。
「ねえ、あのジャージのひと、すごく素敵じゃない?」
「やだぁ、アンタ、あんなのがいいの?わたしはあっちの金髪の子がいいわ」
「ちょっと、なに言ってんのよ、あの眼鏡のひとが一番いいに決まってるでしょ」
いま、この小さなコンビニのレジ前に置かれたわたしたちの箱の中は大騒ぎ。だって、すごく素敵な男のひとが5人も一度にやってきたんだもの。
夕方のこの時間、きっとみんな晩ご飯を買いに来たのよね。ということは、みんな独り暮らしのはず。お友達どうしなのか、わいわいとおしゃべりしながらとっても楽しそうに商品を選んでいる。
わたしはそのなかのひとり、黒ぶちの眼鏡をかけた男性に心を奪われた。真面目そうなお顔に黒い髪がさらりとかかり、ピンと伸びた背筋、長い足。そのおとなしそうな雰囲気には不似合いなほど、ごつごつと大きく野卑な手。
ああ、これがひとめ惚れっていうことなのかしら。わたしをここから連れ去ってほしい。そしてあのひとのお部屋で、ふたりっきりの濃密な時間を過ごしたい。期待に胸がふくらむ。
せっかく生まれてきたのだから、誰だって自分が心に決めたひとに、この身を捧げたいと思うでしょう?わたしを選んでくれるたったひとりの素敵なひとに、じっくりと味わって食べてもらいたい。最後のひとかけらさえも残さずに。
それも今でなくてはいけないの。そう、恋はタイミングも大切よね。最高に美味しく食べてもらえるこの瞬間を逃さないでほしい。
ほら、冷凍庫の中で冷たくカチカチだったこの体も、この箱の中に居るうちに、こんなにふんわりと恥ずかしいくらいに火照っているわ。きっといま、わたしを手にしたあなたは驚くはず。しっとりと湿ったこの真っ白な肌の奥には、あなたの舌を焼くほどに熱い肉汁がたっぷりと詰まっているのよ。
あなたのその大きな手で、ごつごつとした指で。わたしのこの肌をそっと押し広げてほしい。そしてそのなかにある熱い塊をこころゆくまで味わってほしい。その舌の上で、真珠色の歯で、わたしを可愛がってほしいの。きっとあなたを満足させてあげるから。
こんなわたしのことを、ひとは「にくまん」と呼ぶ。
仲間たちがつぎつぎと売れていく。想う相手に買われていく幸運な子もいれば、望まない相手のもとへと涙ながらに買われていく子もいる。チャンスはたった一度だけ。そして時間内に誰にも買われることのなかった哀れな子たちは、賞味期限切れと称されてゴミ袋の中に放り込まれる。
嫌よ。それだけは、ぜったいに嫌。
あれこれと思いをめぐらせているうちに、彼らはお弁当や飲み物を片手にレジ前までやってきた。素敵な眼鏡の彼が、もうわたしのすぐ目の前にいる。どうしよう、彼はわたしを選んでくれるかしら。
「来たわよ!さあ、誰が最初に選ばれるかしらね?」
誰にも負けないわ、と強気に構えているのは、黄色い肌から刺激的な香りを漂わせるカレーまん。隣に並ぶオレンジ色のピザまんも、個性ならわたしが一番よ、なんて自信満々。
いいなあ、みんな。それに比べてわたしったら、色は普通に白いだけだし、にくまんなんてちっとも珍しくないものね・・・。
「あー、じゃあ俺、フランクフルト」
「じゃあ俺はおでんの大根と厚揚げと・・・」
「ポテト買って帰ろうかな」
わたしたちは騒然とする。違うでしょ?そっちじゃないでしょ?おでんなんか家で作りなさいよ、こんなところで買ったら割高よ。ポテトはファストフード店のほうが美味しいってば。フランクフルトなんか夜店で買えばいいじゃない!
そんなわたしたちの声が聞こえたかのように、ジャージの彼がこちらを見た。そして店員さんに声をかける。
「あ、俺、これください」
ジャージの彼がゆびさしたのはピザまん。ケースのなかにどよめきが起きる。いいなあ、いいなあ。
「おさきに。みんながんばってね」
ピザまんが得意げにケースから出ていく。白い紙包みは花嫁衣装。オレンジの肌にも良く似合ってる。ほかの商品と一緒に袋に入れられて、意中の彼の手の中へと渡される。わたしたちはうらやましくて、ただ彼女を羨望のまなざしで見送るばかり。
「いいなあ。わたしだって、あのひとに買われたかったのに・・・」
あんまんが涙を流す。ひとくちわたしを齧ってくれれば、甘い誘惑の虜にしてあげるのに。そんなことをつぶやく。あら、意外と大胆ね・・・。
そこへ、金髪の彼が顔をのぞかせる。ピアスなんかじゃらじゃらつけちゃっていやらしい。あんたみたいなのは嫌いよ。わたしはあの眼鏡くんみたいな、真面目そうなひとが好きなのよ。
「あ、俺、にくまんとあんまんください」
えっ。
ショーケースが開かれる。まず取り出されたのはあんまん。彼女は、とりあえず売れ残らなくて良かったと安堵の笑みを漏らす。やだ、やだ。わたしはこいつに食べられたくないの。一生に一度なのよ、好きな人のもとへ嫁ぎたいの。神様、たすけて。
そのとき。
店員のトングがわたしの体に触れる寸前、眼鏡くんがわたしのほうをじっと見て声をあげた。
「あれ、にくまんってもう1個しかないじゃん。なあ、俺、カレーまん苦手なんだよ。にくまん譲ってくれよ」
金髪の彼は意外にも爽やかに澄んだ声で返事をした。
「おお、いいよ。ちょっと迷ってたんだ。カレーまんもいいよな」
苦手と言われてちょっと傷ついた顔をみせたカレーまん。それでもショーケースのなかから出て行くときは、誇らしげな笑顔だった。わたしを欲しいといってくれたなら、それでいいわ。強がりなのか、諦めなのかわからない。でもそうやって自分を納得させるしかないことだってある。凛とした彼女の姿は素晴らしい。
最後にのこったのは、わたしひとり。
眼鏡くんは優しげな笑顔でわたしを迎えてくれた。
「あ、にくまんは手で持って帰るから袋いらないです」
ああ、もう大好き。パリパリと音をたてる紙に包まれて、わたしは店員さんから眼鏡くんの大きな手に渡される。ひんやりと冷たい手。わたしが暖めてあげる。仲間たちはそれぞれに、買われた袋の中からわたしたちだけに聞こえる声で最後の挨拶をする。
さよなら。どうか幸せにね。あなたたちと同じケースにいられてよかったわ。
愛する人の手の中にいるのに、なんだかちょっぴり悲しくなる。眼鏡くんは、そんなわたしの気持ちを察したかのように、両方の手で包み込んでくれた。
「じゃ、俺、これが冷めないうちに帰るわ。また明日なー」
店の外に連れ出される。一生に一度だけの、大好きな彼とのデート。彼の手の中に包まれて、冷たい夜風から守られて。こんなに幸せなことってあるかしら。
赤信号さえも振り切って、彼は走る。走る。アパートの階段を駆け上がり、彼の部屋へと帰る。初めての彼の部屋。なんだか、照れちゃう。
散らかった部屋の中、彼はわたしを手に持ったまま、冷蔵庫にビールを取りに行く。テレビをつけ、ビールの缶を開け、わたしをみつめる。
「あー、やっぱり冬はコレだよな。ウマそー!」
うれしそうな彼の笑顔。わたしはとっても満たされた気持ちになる。どきどきするけど、覚悟はできているわ。大好きなあなたに食べられるために、生まれてきたんだもの。
彼の指が、わたしの肌をふたつに割る。生まれてから誰にも見せたことのない部分が露わになる。湯気がたちのぼる。彼が歓喜の声をあげる。
「いただきまーす!」
彼の唇がわたしの肌に触れる。赤い舌がその奥にある美味しい部分に当たる。これから、彼とひとつになるのね。わたしはさまざまな想いを、記憶を、そっと封印して、大好きな彼にこの身をまかせた。
生まれてきて、よかった。
(おわり)