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 帰宅して簡単な夕食を作り、今日の事をざっくりと父に話した。父は岩淵の人々とはあまり面識があった訳ではないので、祥子ちゃんがとても元気にしていて喜んで本を受け取り、岩淵家の人たちにお礼をしていた事が話題の中心になった。


 食後私はお茶の支度をし、おばさんに持たせてもらったお菓子を出した。長年深酒をつづけた父の習慣を変えるために先に食事を食べさせた後、一旦お茶を飲ませるのが私の日常になっていた。


 その後二合分だけの酒とちょっとしたつまみを残して、後はさっさと片付けてしまう。だらだらといつまでも呑ませないためだ。いい加減肝臓が心配になるから。


 そうして私は早速、ゆう兄ちゃんの書いたと言う、物語を読み始めた。



「吹きだすぞ」と言っていた恵次の言葉通り、私は数ページで吹きだしてしまい、そのほほえましさにニヤニヤしながらページを繰った。


 そこに、十八歳の男の子がいた。あの年頃の男の子が綴る、憧れの世界があった。


 物語はゆう兄ちゃんが言っていた通りのものだった。


 とある硬派な学校に転校した主人公がそこの番長に認められ、派手な喧嘩の末に次の番長になるように言われる。しかし主人公はそれには飽き足らず、転校前からのライバルの少年と因縁の決着をつけるべく、どういう訳か武者修行の旅に出てしまう。


 様々な土地で喧嘩を繰り返しながらも、出会う人々と友情を結び、弱い物を助け、恋をし、ライバルの少年に立ち向かう。そしてライバルと和解の後、卒業を迎えるのだ。


 話そのものはそんな筋なのだが、その書き方が、実に可愛らしかった。


 まず、言葉使いがいかにも十代の少年が無理やり荒い言葉を使っているような感じで、それだけで私は吹きだしてしまったのだ。


 日常生活で罵詈雑言を本当に使う機会なんてまず無い。ゆう兄ちゃんならなおのことだろう。


 漫画やドラマで出て来るようなお決まりの台詞が幾度も繰り返される。特に「バカ野郎」はオンパレード。笑いださずにはいられない。


 そして喧嘩のシーンになると、やたらと擬音が増える。ついには擬音だらけになり過ぎて、何が起こっているのか具体的には分からなくなったりしているので、それも可笑しい。


 言葉の言い回しに苦労したのだろう。順序が混乱したり、誰の台詞か分からなくなる所さえある。


 それでも友人に謝罪をするために語りかける言葉や、恩人への言葉に、ゆう兄ちゃん自身の顔を覗く事が出来る。旅をする主人公へのあこがれも描かれている。



 そして、振り切り、残してきた恋人への恋々とした切ない恋心は、明らかにゆう兄ちゃん自身の言葉だ。この言葉が贈られるべき相手は、間違いなく祥子ちゃんだろう。


 ゆう兄ちゃんは、こんな風な言葉を実際に祥子ちゃんに言ったことはあったんだろうか?


 多分、無かっただろうな。二人だけで話をしている時にどんな会話があったかなんて、私には分からないけれど、長年の幼なじみの照れとかもあって言いにくかったんじゃないかと思う。


 祥子ちゃんがゆう兄ちゃんに寄せる想いには、長年、ゆう兄ちゃんを励まし続けて来た、少し大人びた感情も混じっていたかもしれない。


 そんな祥子ちゃんがゆう兄ちゃんは好きだったのだろうから、それは憧れに近い物があったんじゃないだろうか? ゆう兄ちゃんが、そんな祥子ちゃんに積極的に恋を語ったとは考えにくかった。


 言葉なんていらないような二人だったのかもしれないけれど、ゆう兄ちゃんは、こうして物語を書いて遺している。あの頃、祥子ちゃんもこれを読んだに違いない。


 そう、これはきっとラブレターだ。ゆう兄ちゃんが、祥子ちゃんに贈ったラブレター。


 他の誰が今の私のように吹きだしてしまっても、祥子ちゃんに想いを伝えるために、そして、その想いをこうして残すために書かれたラブレター。それだけではないのだろうけれど、そういう意味がこの物語には込められている。


 恵次はこれを祥子ちゃんに渡すのが目的のほとんどだと言っていた。確かにそうだ。これは祥子ちゃんのための物語だから。そして、私達がこうしてゆう兄ちゃんの当時の想いに触れるためのものだ。


 物語の終盤、主人公の卒業が近づくと、迷惑をかけた教師や、親への感謝の言葉が書かれている。本当ならゆう兄ちゃんも、亡くなった二ヶ月後にはこんな言葉をおじさん、おばさんに言って、卒業できるはずだった。


 これほどの時が流れたにもかかわらず、恵次がこの本を作ろうとしたのが、何となくわかった。



 翌日、私は仕事の遅い昼休みを利用して祥子ちゃんに電話をかけた。恵次には悪いけど後回しにさせてもらった。

 祥子ちゃんに電話をするのに夜では悪いような気がして日中を狙ったが、祥子ちゃんはすぐに出た。いいタイミングだと言う。


「上の子は今、近所の友達の家に遊びに出たところ。下の子はお昼寝中なの。恵ちゃんの時は落ち着いて話していられなかったから」


 話は当然ゆう兄ちゃんの物語の感想だった。吹きだしたのは私や恵次だけではなかったらしい。


「笑っちゃうよね。昔読んだ時はそうでもなかったのに。若かったんだわ、私も」


「でも、いい台詞もいっぱいあったわよ。途中、祥子ちゃんあてのラブレターを覗いてるようでドキドキしちゃった。ゆう兄ちゃん、あんなこと祥子ちゃんに言ってたの?」


「まさか。話の感想さえ聞いて来なかったんだから。でもあらためてこの話を手にできるなんて思ってもみなかった。お葬式の後にでも貰っておけばよかったなって、ずっと思ってたのよ。恵ちゃんに感謝してるわ」


「そうね。私も感謝してる。ゆう兄ちゃんの書いたもの、私一つも読んだことなかったから」


「だって雄ちゃん、途中でくじけて最後まで書ききってない話ばかりだったもの。すぐ他の事に気が散っちゃって。恵ちゃん、よく見つけてくれたわ。これだってようやく書きあげる事が出来た話だったはず」


 やっと元気になったゆう兄ちゃんにとって、これはやってみたかったことの一つにすぎなかったのだろう。きっともっと、やりたい事がいっぱいあったに違いない。


「ねえ、恵次に会った時に気がついたんだけど、ゆう兄ちゃんと恵次って、耳の形がそっくりなのね」


「え? そうなの? それは気にしたこと、無かったわ」祥子ちゃんは意外そうに言った。


 やっぱり。と、私は内心思った。これは幼かった私がいつもゆう兄ちゃんを、見上げていたから気がついた事だった。 私はあの角度から見上げるゆう兄ちゃんの姿が一番好きだったのだ。


 幼なじみの祥子ちゃんにしてみれば、ゆう兄ちゃんの姿かたちの一部なんてあらためて意識しなくても、ゆう兄ちゃんそのものが好きだったんだろう。そこが私との想いの深さの違いだ。


 子供だった私は単純だった。年上で、優しくて、耳から肩への線がカッコよくて、憧れの祥子ちゃんが大好きだった人。たぶんそれが、私がゆう兄ちゃんに憧れた理由だ。


 でも、それでいい。子供の頃の感情なんてそんなもの。それをこのまま大切に思っていれば、これは美しい思い出として自分の中にしまっておくことができる。


 それから私達はたわいのない世間話と、祥子ちゃんの子供達の話をし、そのうち雅美と岩淵家を訪ねる事を告げて電話を終えた。


 だが、仕事に戻ろうとした時、ふと、思い返してしまう。


 そう言えば、私が好きになった人って、みんな、首から肩の線は、あんな感じじゃ無かっただろうか?


 今までは気づきもしなかったことに思い当って、驚く。私ってなんて単純なんだろう。好みが九歳児の時のままだなんて。


 と、同時に厄介な事に気づいてしまったと後悔する。今度恵次に電話をかけにくくなった気がする。




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