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 子供の頃重かったこの家の玄関の引き戸は、綺麗なドアに姿を変えていた。


「久美、連れて来たよ」


 と、恵次がドアを開けながら、奥に向かって声をかける。玄関に入るとおばさんが出迎えてくれた。


 おばさんも、年をとったのね。どうしてもそう思ってしまう。


 自分の父親は毎日顔を見ているので、そう気にはならないが、十年ぶりに目にする恵次の母親は、やはりそれ相応に老いが現れていた。それだけ自分も若くなくなっているのだが。


 中に入ると昔は茶の間と台所に分かれていた部屋がリビングダイニングになっていて、おじさんはソファでテレビを見てくつろいでいた。やはり年をとって見える。


 ゆう兄ちゃんの仏前に線香をあげ、一旦お土産のお菓子を供える。でもおばさんが封を切って仏前の分だけ取り分けて供え直してくれた。


 私が持ってきた土産の菓子をつまみながらおばさんの入れてくれたお茶を飲み、全員で昔話に花を咲かせる。子供の頃はおじさんとはあまり顔を合わせる機会は無かったのだが、それでもゆう兄ちゃんや祥子ちゃんの話で会話は弾んで行く。ようやく話に区切りがついたところで恵次が「二階に上がってみるか?」と聞いてきた。


「いいの?」


「かまわないよ。それに本は兄貴の部屋に置いてあるんだ」



 二階はまるで時が止まったかのように昔のままだった。少し急な階段、薄暗い廊下、奥にある角部屋の見慣れたゆう兄ちゃんの部屋の扉。それを恵次が開ける。


「使ってないのね、この部屋」


 東南の、日当たりと風通しのいい広さのあるこの部屋は、おそらくこの家の何処よりも居心地のよい部屋に違いないのだが、片付けられてしまったベッドの上には衣装ケースが積み上げられ、その横に段ボール箱が置かれていた。部屋の一角は物置のような風情。


 しかし、それ以外はゆう兄ちゃんの机の位置も、本箱の位置も変わりがなく、陽に焼けたカーテンさえ昔のままだった。


「一階でほとんど用が済むからな。俺、ここまで広い部屋要らないし」


 カーテンを開けながら恵次はそう言うが、多分理由はそれだけではないのだろう。


「ベッドは片付けたが、本箱に布をかぶせた以外は昔のまんまさ。ここ、日当たりがいい分本が陽に焼けるんだ。棚の中の物はいじっていない。懐かしいか?」


「懐かしいわ。机の上のこれが、その本なの?」


「そう。三十冊作った。人様に読ませるほどのものじゃないんだが思い出の品として兄貴の友人や、お世話になった人達のために用意した。ところがもう連絡が取れなくなったり、住所が分からなくなった人もいて五冊もあまってるんだ。これで一冊片付いた」


「二冊受取るわよ。雅美にも渡してやりたい。読むかどうかは分からないけど」


「ありがたい。久美はあてにしてなかったんだ。もう嫁にでも行ったかと思った。なんせ十年前の祥子ちゃんの式の時に教えられた住所だろ? 連絡が取れるかどうかも自信がなかったんだ。よかった。名字や住所が変わっていなくて」

 恵次はそう言って笑う。


「私も嫁に行ってなくて良かった。大事なゆう兄ちゃんの思い出、受取り損ねるところだった」

 私もそういいながら笑い返した。


「そうだ、確かアルバムは下に持って行ってあるはずだ。見るだろ?」


「勿論よ」


「ちょっと待ってろ、持ってくるから」

 そう言って恵次は部屋を出た。



 私は早速、ゆう兄ちゃんの本をめくってみる。ごく薄い本なのだが、初めの方には家族からゆう兄ちゃんがお世話になった人たちへのお礼のメッセージが書かれていた。


 特にゆう兄ちゃんの入院していた病院、主治医、通った学校の担任の教師、面倒を見てくれた先輩、仲の良かった二人の友人と祥子ちゃんには名前入りで感謝の言葉が添えられていた。


 パラパラとページをめくる。本文は後でゆっくり読みたい。最後の方にあとがきがあった。


 あとがきとしては長い内容で、そこには私の知らないゆう兄ちゃんの闘病生活と、それを支えてくれた人たちとのかかわり、当時の家族の思いが書かれている。


 さらには私も知っている、健康を回復してきてからの家族の幸せな時間。それは数年間しか与えられなかったが、家族にとっては大切な時間となったに違いない。友人たちや祥子ちゃんの温かい励まし、私達姉妹の事も少しだけ触れられていた。何だか胸の奥がくすぐったい。


 祥子ちゃんの名前は繰り返し出て来た。彼女の存在がいかにゆう兄ちゃんを励まし、希望をもたらし続けたかが面々と書き綴られている。私は祥子ちゃんの存在がゆう兄ちゃんにとって、どれほど大きいものであったかあらためて知った。この二人は本当に特別だったんだと思った。



 視線をまた部屋に戻す。日当たりのいい窓辺がゆう兄ちゃんがいつも座るところ。今は片付けられているベッドにもたれて、本や雑誌をめくっていた。


 私はその隣に寝そべって、行儀の悪い恰好で宿題をしていた。分からないところがあれば、遠慮なくゆう兄ちゃんに聞いていた。


 実は祥子ちゃんの方が私には甘くて、祥子ちゃんに答えを聞けばすぐに教えてもらえるのに、私はゆう兄ちゃんに解き方を教えてもらっていた。私もそれが嬉しかった。


 祥子ちゃんは私達の向かいに座って、編み物をしたり、雅美の相手をしてくれたりしていた。


 雅美は私の真似をしているのか、チラシの裏にクレヨンで何かを一心に描いていた。


 真っ直ぐに線を書いたり図形を形作ることのできない雅美は、実際にはクレヨンをただ、ぐるぐると回しながら押しつけて書いているだけなのだが、途中で手を止めては祥子ちゃんに見せて、次の色を選んでもらう。祥子ちゃんは雅美の書いたものを見ながら、真剣に色を選ぶ。


 手渡された色で雅美がまたぐるぐると描くと、今度はゆう兄ちゃんに色を選ぶように言って来る。


「ごめん。色のセンスは、祥ちゃんに敵わないんだよ」ゆう兄ちゃんは真面目にそういう。


 すると雅美も意味も分からないまま納得した顔で、大真面目にうなずく。それを見てみんなで何となく笑ってしまうと、雅美も楽しそうに床の上をゴロゴロと転がったりするのだ。



 私は突然、涙がこみ上げて来た。悲しい事を思い出した訳でもないのに、胸の中がいっぱいになってしまった。



 この部屋の中にいると、当時の幸福感が心の中にいっぺんに迫って来る。一人になって気が緩んだせいかもしれない。


 嗚咽をこらえ、顔を上にあげるが、どうしても涙はこぼれる。ゆう兄ちゃんが亡くなって、祥子ちゃんとここで二人で泣いたことが思い出された。余計に涙が止まらなくなる。


 どうにもならないのでバッグからハンカチを取り出そうと顔を戻すと、恵次がアルバムを手に立っているのに気がついた。



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