表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/26

5

 岩淵家と祥子ちゃんは細々と連絡を取り合う程度の関係になってしまっていたが、それでも祥子ちゃんは岩淵家の人たちを二次会に招待したらしい。新郎側も事情は知っていて、許可してくれたそうだ。優しい人達なのだと言う。祥子ちゃんが幸せになれそうで私は嬉しかった。


 その時点で私の反発ぶりや家出騒ぎは親戚中に伝わっており、それを祥子ちゃんから聞いていた岩淵家の人たちも心配してくれていたようだ。その時もおじさんとおばさんから二度としないようにと優しいお説教を受けた。だから恵次には私が父にかけた苦労はすべてばれてしまっている。勿論、生意気盛りな高校生の恵次はその事で私をからかった。向こうっ気が強い奴だとあの時も言っていた気がする。


 その時私は初めて昔の恵次の心情に思い至った。恵二がゆう兄ちゃんの部屋にあまり寄りつかなかったのは寂しさの表れではなかったか? 誰もがゆう兄ちゃんをかばい、気にかけ、守ろうとする中で、恵次は一人でゆう兄ちゃんの分まで健康的に育ち、親に遠慮し、我慢をしていたのでは無かったのだろうか?


 私は家族が壊れて孤軍奮闘している気になっていたが、恵次はずっと幼い時に孤独感を味わっていたのかもしれない。私の家は皆が傷ついて、皆がもがいていたが、恵次はゆう兄ちゃんを中心に、祥子ちゃん、おじさん、おばさんの絆が深まるほどに、その孤独感が大きく感じたに違いない。


 それに私はもがいても、飛び出しても、結局は父が家に迎え入れてくれる。最後の居場所があると言う事は大きい事だと分かり始めていた。少しは世間に懲りて、素直になろうとしていたのだろう。


 でも、自分のいる家庭の中で、愛されているのに孤独を感じてしまったら?


 その時はその事に触れることなく、祥子ちゃんにおめでとうを言い、幸せを喜び、祥子ちゃんの傷が癒えた事を何より喜んで私は岩淵家の人々と別れたが、それが心の切り替えになって、時間はかかったがその後私は父と和解する事が出来た。


 だから恵次に「おじさんを泣かせた」なんて言われると、バツが悪くなってしまったのだ。


 あれから十年。本当に早かった。


 十代であんな泥沼を演じてしまった私は、さすがに男関係には慎重になった。


 二十代の前半なんてほとんど男性不信の様なもので、友人作りはおろか、グループでのちょっとした集まりでさえも愛想のかけらもなく断り続けていた。


 そんな状態でいると周りも遠慮をするのか、たまにその手の話を持ち込まれても男嫌いで通った私にごり押しするような事は無く、私は結構気楽に過ごす事が出来た。


 そうなると私の気持ちもほぐれてきて、神経質に気を張る事もなくなる。普通に男友達も作れるようになったが、一方では仕事と家事に追われ、それでも時々母や雅美を訪ねたり、気の置けない友人とお茶や食事をしたり、時には呑みに行ったり、たまに旅行を楽しんだりしながら日々を過ごしていた。


 つまり一頃の様なトゲトゲしさは無くなり、落ち着きと節度のある生活が出来る程度には大人になり、私は二十八まで独身のまま、父と二人暮らしを続けている。


 十年もの月日が早く感じたのはそれだけ私の生活が安定していた証拠だろう。少しぐらい単調でもそれまでの様な落ち着きのない、いつも不満ややりきれなさに支配されていた頃に比べれば、私はずっと平和な時間を過ごしていた。


 格別父とうまくやれる様になったと言うほど仲良くなったかは定かでないけれど、少なくともつまらないいさかいを起こす必要はお互いに無くなっていた。たわいのない、平和な日々が続いているのは、親子仲の修復が済んだという事だろうと、私の方では思っている。


 そんな訳で私は住所も名字も変わっていなかったので、恵次からの手紙も無事に受け取る事が出来たのだ。



 よく晴れた日曜日、私は恵次との約束通り岩淵家のある街へと向かった。


 ちょっとした手土産を手に電車に乗り込む。昔は遠いと思っていた距離だが、今では快速や急行を使えば二度の乗り換えを含めて一時間半を超える程度しかかからない。年月が経つうちに都心へのアクセスが良くなったせいもあるが、それだけ当時、自分も幼かったのだろう。


 祥子ちゃんの結婚式の時恵次達とは会ってはいるが、あの家を訪ねるのは祥子ちゃんの進学を最後に本当に十九年ぶりの事だった。


 今では祥子ちゃんの両親も別の街にある二人暮らしに手近なマンションに引っ越してしまい、私はあの街とのつながりを完全に失っていた。遠い記憶の中にしか存在することのなくなった街を訪ねるのは、感慨深い物がある。


 駅に着いたが当然その様子はすっかり変わっていて、昔の面影を探すのは容易ではなかった。


 駅前のスーパーが立っていたところはファッションビルに建て替えられていた。他の店もすべてビルに変わり、昔パチンコ屋があったところにテナントとして、すっかり姿を変えて同じ名前の店が看板を掲げている。駅前の交番の場所だけは同じだが、建物は変わってしまっていた。

 それでもロータリーの造りや踏切の場所、駅から続く道の伸び方に昔の面影を感じる事が出来る。


 私の知らない街のシンボルのような造形物の前で、恵次は約束通りに迎えに来てくれていた。


「迎えに来てもらったのは正解だわ。着けばすぐに分かると思っていたけど、こんなに変わってちゃ辿り着ける自信、無かったわ」


 私は周りをきょろきょろと見回してしまう。


「二十年も経てばなあ。所詮子供の頃の記憶だし。駅前は特に、ここ数年の変化が激しかったんだ。住宅街はそうでもないよ。ただマンションとかが増えているけど」


 確かにアーケードこそ変わってしまったが、昔の雰囲気が残っている商店街を抜けて住宅街に差し掛かると、所々町工場だった所や畑だったところが小さなマンションに変わってしまっている以外は、結構昔のイメージと変わりのない町並みが残っていた。


 綺麗に整備されてしまっているが、昔学校へと通った道や、ゆう兄ちゃん達とも遊んだ公園がある。砂場の位置なんかは変わっていないようだ。


 岩淵家が見えると、その外観はさほど変わりが無くて、私は懐かしいと言うよりホッとしてしまった。


 隣の祥子ちゃんの家だったところは建て替えられて、まるで別の家になってしまっていたが、岩淵家は外壁の色が少し違うぐらいで形そのものに変化はない。


「変わってないのね……」


 私は思わず言ったが、


「そうでもない。玄関扉は取り換えたし窓も入れ替えてる。一部は出窓にしたんだ。昔の家だから寒くってさ、断熱材も入れたんだ。中は結構変わってるんだ」


「ゆう兄ちゃんの部屋も?」


「いや、あそこはいじってない。手を加えたのは一階だ。水周りを中心に直したから。十年ぐらいたつけどまだ、ローンがしっかり残ってるよ。父さんの定年まできっちり」


「家があるだけいいじゃない。ウチなんか全員賃貸よ。母のところは公団だけど」


「そうだよなあ。お前の家があったところも、マンションが立ってるもんな」


 私の家。そう、あの頃の家族の幸せの象徴は、もうすでにこの街には無い。一瞬時が遡った気がしただけに、その事実は胸に痛い。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ