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 そもそも雅美の障害は出産時のトラブルから起こったものだった。


 妊娠の経過があまり良くなかった母は遠くても早めに実家に戻る事を望んだが、父は自分の仕事を理由に里帰り出産をさせなかったらしい。


 父の仕事は本当に不規則で、高度経済成長と言っても小さな工場はいつも自転車操業状態だったようだ。従業員も少なく、一人ひとりの責任が極度に重い状態が日常化していたらしい。


 父は自分の実家の商売を継ぐのが嫌だったようで、ごく若い時に家を飛び出し、まるで拾われるようにその工場の社長さんに雇ってもらい、以来ずっとその工場を支え続けていた。何よりも仕事優先で、そんな従業員達がいたからこそ、かろうじて持っているような職場だったのだ。


 当時は今のようにコンビニがある訳でも、一人暮らしに便利な仕組みがある訳でもない。妻がいなければ立ちいかない男性だって多かった。父もそういうタイプだったんだろう。


 母は体調に不安がありながらもいつ帰るか分からない父を待ち、帰れば食事を取らせ、世話を焼いた。

小さな私も抱えていた。それは心身ともに負担になったに違いない。二人目という油断が母の中にもあったようで、とうとう母は早産してしまった。


 母子共に危険な状態で母は意識を取り戻せたが雅美は出産時、未熟児の上心肺停止で呼吸がなかった。懸命の処置で命こそ取り留めたが、一時脳に酸素が行き届かなかった事が脳障害を引き起こしたらしい。それが原因で発達障害が残ってしまった。


 そうやって命懸けで産んだ雅美をこんな目にあわせてしまった父を、母は許せなかったようだ。



 父は父で仕事と酒に逃げ込んだ。雅美への対応が間違った事に、正面切って向き合う事が出来なかったようだ。それでも仕事の手は抜けない。治療費を稼がなければならない。


 家の中の空気はいつも冷たくなった。寒々しい冷気の様なよどんだ空気がいつも支配するようになった。私の幼心でも悲しみや苦悩に温度があるのなら、今が一番低い時なのだろうと思えるほどだった。

 

 家族の心は常に重く、皆が暗い目をして暮らしていた。母は連日病院に泊りこみ、たまに帰っても憔悴して笑顔もなく、雅美の容体と治療費の心配ばかりに関心が行き、私は家に帰ると酔って泣く父を見るのが嫌で部屋に一人でいる事が増えていった。


 岩淵家の人たちも私達姉妹の事を気にかけてくれていたらしいが、向こうも長男を失ったばかり。悲しみから本当に立ち直ってはいなかったようだ。とても余裕はなかったのだろう。



 精神的にも経済的にも追い込まれた両親は、雅美の回復を待ってついに離婚した。父の姉である祥子ちゃんちのおばさんも父と母の説得に努めたが、それも無駄に終わったようだ。母は雅美と暮らす決断をし、経済的にそれでいっぱいになってしまうために、私は父と暮らす事になった。家族はついに壊れてしまった。


 岩淵のおじさんとおばさんは、ゆう兄ちゃんのために手を取り合って助けあったが、ウチはそうはいかなかったらしい。夫婦なんて、もろい時にはどうしようもなくなるらしい。


 私が岩淵家に祥子ちゃんと通った時期は、そんな風に家族が壊れてしまう前の、無邪気でいられる子供時代の最後のひと時だった。


 家族に守られた少女時代。優しいいとこ。初恋の思い出。岩淵家にはそんな思い出が詰まっている。


 だから私にとって祥子ちゃんと岩淵家の人々は特別で、ゆう兄ちゃんとの思い出は初恋という意味だけではなく、本当に心の大切な場所にしまわれた宝物なのだ。



 その後、父が仕事を変えたため私と父は別の街に移り住み、私は転校を余儀なくされた。雅美の退院後に母は特殊学級の空きのある街へと引っ越し、私達の家は売り払われた。もともと中古で買った古い家だから、いくらにもならなかったようだけど。


 私は不慣れな転校先での学校生活と突然降りかかった家事に翻弄され、初めの二、三年ぐらいは無我夢中だった。


 それでも中学に上がる頃になると学校には慣れたが、今度は父の事が気に入らなくなる。父は家事を手伝う事もなく、私に気を回すでもなく、相変わらず仕事と酒にすがりついていた。むしろ私の事を避けてさえいるような気になる事さえあった。男親に思春期の入り口を迎えた娘は扱いにくいものだったらしい。


 雅美の治療費がらみの借金の返済も追われていたし、実際仕事も忙しかったのだろう。それを酒で紛らわして毎日をやり過ごしていたようだ。


 私は絵に描いたように反抗して、父に寄りつかなくなった。父の顔を見るのも嫌になったが、狭い二人暮らしのアパートでの事。限界がある。家に帰る事さえわずらわしくなっていく。


 雅美との暮らしで大変であろう母にそうそう頼る訳にはいかなかったが、それでもたまに泊めてもらったり、友人の家を渡り歩いたり、ついには高二の夏休みに、当時付き合った男の部屋に本格的な家出までやらかした。



 付き合ったと言ったって、そもそもが父への反発心から逃げ場を探していた時のこと。今考えれば本気で恋愛感情があったかどうかはかなり怪しい。


 まさか全くなかったとも思わないが、手近なところで一応大人の体裁を持っていて、私のわがままに付き合って部屋に置いてくれ、ちょっとはいい気分でいさせてくれる相手なら実は誰でも良かったような気がする。とりあえず彼は私の話は聞いてくれるし、気を引き立てるような事も言ってくれたから。


 私もその頃はただ話を聞くだけなのと、話に耳を傾けるのでは違うと言う事が分かっていなかった。それでも自分を避け続ける父よりはマシにあの頃は思えたのだ。


 家出してきた高校生をかくまうような男だから当然ろくなものではなく、ひと月と経たぬうちに突然現れた年上の女の子と見事な三角関係を演じ、居場所を失った私は仕方なく家に帰った。


 女が現れたと言ってももともとが逃げ場の問題だったからそれほど嫉妬心で苦しんだ訳ではなく、比べられた揚句子供扱いされた事への悔しさが私から意地を奪い、家へと帰らせた。


 それでも多少は情があったようで、もう少しは大事にされているだろうという自信を傷つけられたのはなかなか痛かった。父と二人暮らしになって以来、私は大人達から同情されたり、気の毒がられたりする事にすっかり慣れてしまっていたのでこんな風に放り出されることは予想外だったのだ。


 それに、いざとなれば所詮父の元にしか帰る場所がなかったのも悔しかったし、一人で家を飛び出すほどの気力はこの一件で失われてしまっていた。


 そして、その翌年に祥子ちゃんの結婚式の招待状が届いたのだ。


 当然父とは口もきかない状態だったが祥子ちゃんの式にはぜひ出たかった。私はありったけの妥協をし、父に頼みこんで結婚式に出席した。その時に恵次と九年ぶりに再会したのだ。



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