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 そのゆう兄ちゃんがあっけなくこの世を去ったのは、年が明けて間もない真冬の寒い日だった。


 突然の交通事故で、岩淵のおじさん、おばさんの嘆きようは痛々しく、誰もが声をかけずらそうにしていた。腕白坊主の恵次でさえ、目を真っ赤にはらして二人の横に黙って座っていた。


 私の母や祥子ちゃんのお母さんのおばさんは通夜や葬式の手伝いで忙しく、なかなか三人に声をかける暇がないようだったが、祥子ちゃんは大人の人たちや自分の友達に色々慰められているみたいだった。



 ゆう兄ちゃんのお葬式が済みお骨が帰って来ると、私と祥子ちゃんはゆう兄ちゃんの部屋に入って行った。


 部屋は何にも変わりが無くいつも通りなのに、ゆう兄ちゃんはもう、この部屋には帰ってこない。


 私はとても悲しくなって、「なんで? なんで?」と泣きだした。


「そうね。なんでかしらね」祥子ちゃんも泣いた。


「あたし達、ゆう兄ちゃんのお嫁さんになるって言ったのに」私は泣きながら言った。


「そうだよね。私、本当にお嫁さんになれるかもって、思ったのに」


 そう言って祥子ちゃんは、ワッと大声で泣き出した。私も祥子ちゃんにすがりついて泣いていた。


 私は祥子ちゃんと泣きながら、悲しいながらも同じお嫁さんになりたかったもの同士として、ちょっとだけ大人びた気分を味わっている気がしていた。今考えればのんきなものだ。祥子ちゃんと私とでは、その涙の重さはまるで違うものであったのに。



 その後の大人達の会話は、私にいろいろな事を教えてくれた。


「気の毒だなあ。ようやく十八まで育てたのに。祭壇も立派なものを使っていたが、せめてもの親心なんだろうな」


「大学を出たら、もしかして結婚式を挙げられるかもしれないって準備をしていたお金を、今度の葬式に使ったらしい。祥子ちゃんも可哀想に」


「小さい時は医者に十歳まで生きられるか分からないって言われていたものね。それをここまでようやく育てて、体力もついたしこれからって時だったのにね」


「祥子ちゃんも、雄太君をずっと励ましてきたから。希望が見えた矢先だっただけに辛いな」


「恵次君だって、沢山寂しい思いや、我慢をして来たのにねえ」


 ゆう兄ちゃんは私が生まれる前に大病をして、長く闘病をしていたらしい。私の物ごころがつく頃には元気そうに見えていたけれど、医学の進歩と両親の介護、沢山の人たちの励ましの中でゆう兄ちゃんは元気になって行き、皆に命を守られながらようやく未来が見えるようになっていたのだ。


 ゆう兄ちゃんがいつも部屋にいたわけ。その部屋が日当たりも風通しも一番いい部屋だったわけ。沢山の本やプラモデル。たまに外に出ると祥子ちゃんが嬉しそうにしていたわけ。書いていたお話も喧嘩に旅のお話だと言っていた。活発な生活に憧れていたのだろう。


 祥子ちゃんがゆう兄ちゃんのお嫁さんになると言う事は、ゆう兄ちゃんがずっと元気に生きられると言う事だった。二人はそれを夢見て、そして叶えられそうだと希望を持ったところだった。


そうやって大切に、大切に守られてきた大事なゆう兄ちゃんの命は、あっという間に神様に連れていかれてしまったのだ。誰もが同情を寄せるのは当然だった。



 その年の春、祥子ちゃんは大学進学のため都内で一人暮らしを始めた。


 祥子ちゃんの家なら都内の大学に通うのに決して遠い距離では無かったけれど、祥子ちゃんが希望し両親も認めたらしい。岩淵家の隣ではつらかったのかもしれない。


 でもそれをきっかけに、私は祥子ちゃんと疎遠になってしまった。我が家もそれどころではない事態になっていたし。



 その春は私の妹も小学校に入学した年だった。雅美の入学には問題があった。普通学級に入れるか、特殊学級に通うか。雅美は簡単な知能テストと面接を受けさせられた。


 今だったらもう少し色々な角度から判断され、適切な教育を受けさせることが出来るのだろうが、その頃は普通の自治体にそういった事まではあまり期待できなかった。


 テストの結果はボーダーラインのわずかに下。面接では日常生活に支障はなさそうだが、集団生活になじめるかはやってみなければわからないと言う。両親の意見は割れた。


 父は幼稚園を卒園出来た実績があるのだから、これから生きるための逞しさを身につけるためにも普通学級に入れる事を望んだ。


 日ごろから雅美を見ていて、幼稚園や相談所での話を聞いていた母としては、なんとか特殊学級に入れてもらおうと奮闘していたが、父は反対しそのくせ仕事にかこつけ全く母に協力をしていなかったらしい。でも、当時の日本の父親なんて、皆、そういうものだったのだろう。


 結果、雅美は普通学級に入れられた。なんてことは無い役所の人に空きがないと一言で片付けられてしまったのだ。日常に深刻な問題があるのならともかく、当時は軽度の雅美を受け入れられるようなクラス自体が少なくフリースクールのような物もなかったし、そもそも子供の数も多かったから仕方がなかったのだ。


 今まで母や、保母さんやゆう兄ちゃんや祥子ちゃんといった、大人達に守られてきた雅美の生活は、小学校の入学により一変してしまった。



 担任の教師に母も頼んではいたらしいが、沢山の子供達の中の一人。そう雅美にばかり目をかけることはできない。


 思うように通じない意思。特別扱いが許されない空間。雅美の状態に拍車がかかった。


 おもらし、貧乏ゆすり、授業中に席を立ち、奇声を上げる。当然、クラスの注目を浴びる。


 やがていじめられ始めると、粗暴な行動も目立ってきた。この年では女の子の方が身体は大きい。気の荒い男の子に怪我をさせたりする。また、いじめられるの繰り返し。


 雅美は学校に行くのを嫌がった。でも父は許さなかった。強引に引っ張って行く。母とも口論になる。


 今なら父の心配も分かる。その頃は保健室登校と言うような柔軟なシステムすらなかった。雅美が教育を受けるためにはその時点では学校に通う以外に手は無かったから。


 でも、私も雅美が学校に来るのが嫌になった。自分まで同情交じりとはいえ白い目で見られ始める。家に帰れば夫婦げんかばかりが見せつけられる。家族はすっかりバラバラになってしまった。


 しかし本当にストレスを抱えたのは、雅美本人だった。ある日、学校で突然倒れる。


 病院に担ぎ込まれ調べてみると、胃にも腸にも、ストレス性の潰瘍でいっぱいだった。激しい脱水症状から他の臓器にも負担がかかり、体力がどんどん落ちていく。一時は命まで危ぶまれた。


 母は連日の看病に追われ、いつもくたくたの状態で、そのくせ父を責め続けた。



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