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「あれだけでよかったのか?」車を動かすと、すぐに恵次が聞いた。
「うん、十分」
「寂しいだろ」
「少しだけね」
「でも、久美はおばさんとも雅ちゃんとも家族だよ。ちゃんと血が繋がってるんだから」
「それだけじゃないわ。お互いいつも気に留めてる。これからも家族よ。でも、時が経てば形が変わっちゃうのね。たとえ家族でも」
「それでも家族さ。兄貴も思い出だけになったって、ウチじゃ家族だ」
「そうだったわね」
恵次も昨夜は傷ついたはず。それでもそう言って慰めてくれる。
「昨夜は本当にごめんなさい」私は再び謝った。
「謝らなくていいよ。仕向けたのは俺の方なんだから。兄貴の思い出利用してさ。色々動揺している久美に、兄貴の話を持ち出せばどうなるか見当はついた。兄貴の代わりでもいいやって、あの時思ったんだ。情けないよ」
「私が代わりにして見ていたからだわ」
「でも、代わりになんてしなかった。久美は昔からそうだ。雅ちゃんにも兄貴にも、祥子ちゃんにも、一番いい所を見つけて大事に思ってくれるんだ。あんなずるい真似している俺にさえ」
「恵次だって気がついてくれたじゃない。私、自分の望みなんて頭に無くなってたわよ。あのまま勢いに任せたらきっと後悔してた」
「後悔させなくて良かったよ」
恵次は本当にホッとしたような声で言った。
「それにしても俺もついてないなあ。アタックしてる娘がいる時に久美に再会するし、その娘に振られたら久美が動揺してる時だし。おまけに俺、久美の初恋の人の弟だ。立て続けに振られるなんて、女運、無いんだな」
「私がいつ、恵次を振ったのよ」
「……振ったんじゃないのか?」
「違うわ。私、昨夜初めてゆう兄ちゃんの弟じゃない、幼なじみなだけじゃない恵次を見たの。私自身が混乱していても、私の心を見ていてくれる今の恵次を。そういう恵次に出会ったばかりなのよ」
恵次は意外そうだった。それはそうだ。私もそれに昨夜気付いたばかりだもの。
「むしろ恵次の方こそあんな私には懲りちゃったんじゃないの?」
「まさか。俺だって、思い出じゃない久美には会ったばかりだ。あんまり早くに振られたくないな」
「まるで私が必ず振るみたいじゃない」
すると恵次は黙り込んだ。車を脇に寄せる。車は私達親子が住むアパートの近くまで来ていて、すでに住宅街に入っていた。そのまま車を止めてしまう。
「よおし。それなら俺、久美を誘ってもいいんだな? 助手席に来いよ、このままドライブデートしよう」
「ウチの目の前なのに?」
「どうせ今日、まる一日空いたんだろう? 嫌なら断ってもいいけど」
「いきなりじゃ食事にも誘えないって言ってたくせに」
「久美には思い出の本も贈った。食事も一緒にした。もっと俺を知ってもらってもいいだろ?」
「十分知ってると思うけど。まだ、足りない?」
恵次は少し、間をおいた。声の調子が変わる。
「足りないね。俺を兄貴より好きになってもらうまでは。昨日は思い知らされたから」
恵次は私に振りかえって、真剣な表情のまま言って来た。
「俺は思い出の幼なじみでいいんなら、このまま帰ってくれていい。今度、雅ちゃんと一緒に父さん、母さんに顔見せに来ればいいし、歓迎するよ。でも、俺と付き合ってくれるなら隣に座ってくれないか? あんな卑怯な真似、二度としないから」
それだけ言うと正面に向き直って、私が動くのを待つ。空気がピンと張り、緊張が伝わった。
私は車を降り、ドアを閉めた。そして……
迷うことなく助手席のドアを開け、席についた。
恵次が振り向いて嬉しそうに微笑む。その笑顔が私を幸せにしてくれる。
「恵次のこういうところが好きよ。真っ先に私の望みを考えてくれるところが。本当は甘えん坊なのにね」
私もそう言って微笑み返す。恵次は照れ臭そうに笑っている。
「天気もいいし、何処に行こうか?」恵次が聞いてきた。
「昨日の海は楽しかったわ。あんな風に、空が広く見える場所がいい」
そう、恵次にはあの部屋の中よりも、こんな風な青空の下が良く似合う。活発で優しい瞳に似合うんだわ。
「よし、じゃあ、そういう所を探そう」
そう言って恵次は車を発進させた。私は胸いっぱいに幸福感が広がるのを感じていた。
次話にて、最終回となります。