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 そう言われてあらためて部屋の中を見回してしまう。片付けられていたベッドが整えられ、置かれていた荷物は廊下に出され、棚にかけられていた布も、私達の荷物を置きやすいようにはぎとられている。


 こうするとこの部屋は、全くあの頃のまま。並べられた本の位置も、飾られた車のプラモデルも、机のスタンドまで。心の記憶がまたしても蘇る。前の時よりもずっと鮮明に。


 棚の前の広い所に雅美はいつも寝っころがった。その隣の机の前に祥子ちゃんが編み物をしている。雅美と向かい合って私は今いる、ベッドの前で宿題をして、その隣にゆう兄ちゃんがいて……。


 隣を見てはっとしてしまう。いつもカッコイイと思っていたゆう兄ちゃんの耳、首から肩にかけての線、それが今、あの時のまま目の前にあった。



 急激に時を遡る。

 手を伸ばすと、肩に触れる事が出来る。

 近づけば耳元が目の前に迫る。

 腕にしがみつくとゆう兄ちゃんが振り返る。



 振り返ったのは恵次だ。私は我に帰った。それでも恵次から離れる事が出来ない。そのまま腕を抱え込むようにしてじっとしてしまう。


 頭の中の時間は今に戻っている。ここにいるのは恵次で、目の前で雅美が眠っている。それでもすがりついた手を緩める事が出来ない。今、手を緩めたら、恵次までもが消えてしまいそうな気がしてしまう。


「どうした?」と問われても返事さえできない。息を殺すような無言の時間が流れた。


 やっぱり私は恵次の事が好きなんだろうか?


「俺の部屋、来る?」恵次は短く聞いた。


 私は何故か、うなずいてしまった。まだ、心は自問自答を繰り返しているのに。



 恵次の部屋はゆう兄ちゃんの部屋の隣にある。私は子供の頃さえ一度もこの部屋に入ったことはなかった。その部屋の扉を恵次が開け、「どうぞ」と勧める。


 私は初めて恵次を自分から誘ったんだと言う事を実感した。そうでなければ恵次の部屋を私が訪れることはなかっただろうから。


 また、罪悪感めいた感情が降りかかって来る。さっき、私は恵次にゆう兄ちゃんの姿を見た。隣の部屋には体調の悪い雅美を寝かせてもらっている。何より恵次は今が一番寂しい時だろう。そこに付け込んでいるような気持が心をかすめる。


 恵次の部屋はゆう兄ちゃんの部屋より狭くできている。広さよりも収納部分を多く取っているのだろう。大きな開口部の押し入れか、物入れがあるようだ。窓の一つは小さめだが、こっちは北向きのせいかもしれない。居心地を重視されたゆう兄ちゃんの部屋に比べ、ここは実用性を考えた作りになっている。



 この部屋で恵次は一人になるとどんな事を考えたのだろう? 子供の頃は? ゆう兄ちゃんが亡くなった時は? そして、今は?



「なあ、久美。いつから俺の事、意識していた?」


 恵次に問いかけられて、私は白状する事にする。何だか今は嘘をつきたくない。


「ここに本を貰いに来て、恵次の耳がゆう兄ちゃんにそっくりだって思った時」


「あの時か。俺は兄貴の部屋で久美が泣いてるのを見た時だよ。お前があんなにぽろぽろ泣くとは思わなかった。声もかけられなかったよ」


「やっぱりあの時、見られてたのね。そんな風だから、振られちゃうのよ」


「そうだな。まだ気持ちは向こうにあるつもりでいたのに。迷い始めたのが伝わったんだろうな。自業自得だ」


「相手の娘、可哀想」


「本当にそう思うか?」


 そう言われて返事に詰まる。あの暗い嫉妬を思い出す。生々しさがない分、絡みついて振り払えない感情。うつむいて視線をそらしてしまう。



 恵次が近づいてきた。そっと、包み込むように抱きしめられる。昼間の海の、潮の香りが少しだけその胸に残っている。こんなにも暖かく、安心感のあるぬくもりなのに、私はうつむいた顔を上げる事が出来ない。


 恵次にはいい所がいっぱいある。人のよい明るさ、行動力のある頼もしさ、憎まれ口の向こうに見える、思いやりの深さ。雅美の事も分かってくれているし、私達にとって、雅美やゆう兄ちゃんの存在が、どれほど大切なものなのかも分かりあう事が出来る。


 気も合うし、肩もこらない。きっとこれからもいろんな思いが共有できるかもしれない。



 それなのに、幸福感がない。今こうしている瞬間でさえ。



 そして気付いてしまった。私は今、いい訳を探している。恵次とどんなふうになっても、自分を納得させるためのいい訳を。本当の私は心のどこかで遠いあの日のゆう兄ちゃんと過ごした時間を探していた。そんなものどこにもないことは分かっているのに、こんな土壇場に来てまで。


 だけどもう、遅いだろう。私は自分の方から誘ってしまった。恵次の心の弱っている時に。もう、後戻りはできない。湧きあがろうとする後悔を、無理やり自分の中に押し込める。


 覚悟を決めて恵次の目を見る。真剣な視線が帰って来る。私はこの人を好きにならなくちゃいけない。そうでないと自分が許せない。



 すると恵次が唐突に聞いた。


「久美、これでいいのか?」


「え?」


「これは本当にお前が望んでいる事なのか?」





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