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「花の咲いている季節になったら、もっと混むんでしょうね」
そういいながら私は売店で買った飲み物を飲んだ。
「有名だからなあ、ここは。アジサイだけならもっと有名な所もあるけど、駅から近いし、庭園もあるし。花の季節に来たかったか?」
「ううん。そうしたら大変だもの。雅美とのんびり出来なきゃ意味無いわ。本人ははしゃいでいるけど」
少し、間をおいて恵次が聞いてきた。
「あれから、おばさんとなんかあったか?」
「何もないわ。どうして?」
「いや、何となく久美、変な気がしたもんで。最初の駐車場の時とかさ。おばさんの事でなくても何かあってため込んでるんじゃないかと思った。お前の周りは雅ちゃんの事に気を回すから、久美は我慢しがちだろう?」
「子供じゃないんだから、大丈夫よ」
「大人だから身内の事なんかは他人に相談もできないだろう? 愚痴くらいなら聞き流してやれるけど」
恵次の勘が良くなっているのか、私の態度がまずかったのか。母の事もあったから気を回させたのだろうか?
「うーんとね。実はこの間、祥子ちゃんに会いに言ったの。それこそ愚痴を聞いてもらいに」
「祥子ちゃんに?」
「うん。おかげでだいぶすっきりした。この旅行もね、後で雅美とお父さんの事についてゆっくり話がしたくて計画した部分もあるの。それで雅美のお父さんに対する恐怖心みたいなものも、薄れてくれないかなって思って」
「そうだな。おじさんも雅ちゃんに嫌われっぱなしじゃつらいよな」
「うん。ウチも色々あったけど、そろそろいろんな心の整理を付け始めてもいいのかもしれない。祥子ちゃんに愚痴を聞いてもらったら、そう思うようになったの」
「祥子ちゃんがいれば、俺の出る幕はないな」
「思いっきり表舞台に出ているじゃない。今日は本当に助かってるの。電車だ、バスだってなったら、こうは気軽に動けなかったと思う。ありがとう。おまけに心配までしてくれて」
「おまけはないだろう?」
「そうだね、ごめん。恵次、親切にしてくれてるのに」
「そんないいもんじゃないよ。言っただろ? 憂さ晴らしだって。半分以上本音だよ。雅ちゃんが喜ぶ顔を見ると俺もなんだかほっとする。ある意味それはずるいかもしれないが、昔から雅ちゃんや兄貴は特別だった。この二人は優しい時間や優しい気持ちをいつも思い出させてくれる。二人から俺達、いっぱい幸せをもらってるだろう? 俺達、何かと人に同情されがちだったけど、そんなの関係なく、雅ちゃんと兄貴には感謝しているんだ。こういう感覚、久美も分かると思うんだ。その久美とこうして気楽に話ができるのは、単純にありがたいんだよ」
「結果、こき使われてるのにね」私は笑った。
「楽しいさ、俺だって」恵次も笑う。
「でもね、本当に恵次がいてくれてよかったと思う。あの頃の思い出も分かち合えるし、雅美の事も理解してくれている。私だってありがたいし、頼りになるの。憂さ晴らしで十分よ。私なんか、あの頃のゆう兄ちゃんの事なんて、何にも解ってなかったんだから」
「兄貴、喜んでたよ。慕ってもらえて、励みになってたと思う」
「だといいけど。ね? 半分以上が憂さ晴らしなら、後の半分以下は親切心?」
「いや。ちょっと、下心」
いたずらっぽい言い方。私は吹きだしてしまった。恵次もニヤニヤしている。
「やだ。雅美にじゃないでしょうね」
「どっちにしようかなあ」
私達は笑いながら雅美を呼んで、境内の観光を再開した。
寺を出て海岸線を車で走っていると、雅美が「あれに乗ってみたい」と指差した。江ノ電の観光用レトロデザインの車両だ。すでに宿の近くにいるのだが恵次は、
「いいかもしれないな。ここからは江ノ電の車窓も良くなるし。俺、車で追いかけるよ。終点で落ちあったら、そのまま車で宿に送るよ」と、言ってくれた。
私達はデザイン電車に乗り、電車のクラシカルに凝った内装や、車窓から見える海や砂浜の様子を楽しんだり、追って走る恵次の車を見かけると手を振って見せたりしていた。
ところが終点が近づく頃、雅美の様子がおかしくなってきた。元気をなくし、うつむきぎみになる。
連続で乗り物に乗ったので、酔ったのかと思っていたが、手を取ってみると異常に熱い。頬も赤く一気に熱が上がってきたようだ。ここにきて一日の興奮疲れが出てきてしまったらしい。
今日は振り回し過ぎたのか。自分も旅行気分に浸ってしまい、雅美を疲れさせてしまった。
後は宿に入るだけだ。このまま恵次に送ってもらおうと思ったが、
「いっそ宿はキャンセルして、ウチで休ませようか? 母さんは、こういう事は兄貴で慣れているし」
「そこまで甘えちゃ悪いわよ。解熱剤くらい、どこかで買えるし」
「でも、雅ちゃんを慣れないホテルの部屋で過ごさせるのも可哀想だ。熱も高いし、これじゃ明日の観光は無理だろう? だったらウチで一晩休んで、明日、車で帰った方がいい。ここからなら宿と、そう距離も変わらないし、ウチまで国道一本、北上すればいいんだから」
問答無用と恵次はおばさんに電話をかけて事情を説明する。
「すぐ、連れて来いって。雅ちゃん、ウチまで少し、我慢してくれ。後ろの座席で横になれるから」
こうなっては仕方がないので、私も宿と、帰りの列車を電話でキャンセルする。雅美に手持ちの衣類で重ね着をさせ、荷物を枕に横にならせて、私は助手席に収まった。
「ごめん。ここまで迷惑かけるつもりなかったのに」
「こういう事は迷惑なんかじゃない。それより、こんな事で雅ちゃんを引っ込めるようにしない事が久美の役目だ。おばさんじゃ心配もあるだろうし、保護者の立場もある。だが、引っ張り回されるのも、人の世話になる事も大事な経験だ。こういう事を避けてばかりいたら、雅ちゃんはいつまでも自信を持てない。兄貴だってそうやって生きたんだ。雅ちゃんだって、きっと大丈夫さ」
後悔が押し寄せる中での恵次の言葉は、本当に励まされ、救われた。私が逆の立場だったら、こんな時に、こういう言葉が言えただろうか?
祥子ちゃんとやり直せたゆう兄ちゃんも、年の割には寛容な心があると思った。でも、恵次も十分に広い懐を持っている。やはり兄弟だ。比べるつもりがなくても、そんな感想を抱かずにはいられない。
幸い道は空いていて、車で三十分ほどの距離は順調に着く事が出来た。