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恵次はこれから買い物があると言っていた。そして、物のついでとばかりに私に尋ねて来た。
「な、若い女の子が喜ぶ、ちょっとした物って、何だと思う?」
「何? 彼女にプレゼント?」
「いや、彼女にしたい娘に渡す、ちょっとしたお礼」
「おお、好きな娘いるんだ。頑張んなさいよ。おばさん、期待して待ってるんじゃない?」
「それはお前の方が切実だろう? 絶対、おじさんも、おばさんも、心配してる」
「分かってるわよ。でも、大きなお世話」
「なあ、本当に、何がいいと思う?」
恵次が繰り返して聞いてくる。再会早々ずうずうしいが、こういう次男坊らしい甘ったれたところが昔の恵次にもあったっけ。それもなんだか懐かしい。
「そんなの分かんないわ。その娘の好みがあるし。まあ日常使うもので、好みに合った物が無難だとは思うけどね」
「好みかあ。女の物って、良く分からないんだよなあ」
「単純に食事にでも誘えばいいのに」
「いきなりそれもやりにくいんだよ。だから、とりあえず」
「まどろっこしいなあ。それなら彼女が普段使っているものを良く思い出して、似たような物を選ぶのね。趣味が合わないとどうしようもないから」
「普段使っているものか。そうだな。ありがとう。参考になった」
「どういたしまして。じゃあ、おじさん、おばさんによろしくね」
そう言って私達は私の使う路線の改札で別れる。話の余韻に酔っている私は、電車の中で過去の事ばかり思い出していた。
私が九歳の頃、私たち家族は岩淵家の人たちと同じ街で暮らしていた。
私の家の近所に父の姉の嫁いだ家があって、そこには私のいとこにあたる、祥子ちゃんという高校生の女の子がいた。
女の子といっても九歳の私から見ると、十八歳の祥子ちゃんは十分大人に見えて、私と三つ年下の妹はいつも祥子ちゃんに面倒を見てもらっているようなものだった。
祥子ちゃんはお菓子を焼いたり、手芸をしたりするのが上手な、女の子らしい子だった。
私の母は不器用な人だったし、母に似たのか私もその手の事は苦手で、今でも不得意だ。
そのせいか私は祥子ちゃんのそういう所に憧れていつも彼女にくっついていたが、私の目的は別のところにもあった。祥子ちゃんの幼なじみのお兄さんに会いたかったのだ。
祥子ちゃんの家の隣に住んでいたのが岩淵家の人たちだった。
そこには祥子ちゃんと同い年の雄太お兄ちゃんと、私と同い年の恵次の年の離れた兄弟がいた。
私の目的は雄太兄ちゃんの方で、いつも「ゆう兄ちゃん、ゆう兄ちゃん」と言って祥子ちゃんにゆう兄ちゃんの部屋に連れて行ってもらっていた。まあ、妹も一緒について来ていたが。
妹の雅美はいわゆる発達障害があって同じ所にじっとして居られず、集中力も極端に低かったので同じ子供同士で遊ぶのは殆んど無理だった。そのため母親か私にいつも金魚のフンのようにくっついていたのだが、薄情者の私にとっては邪魔で仕方がないのが本音だった。
そういう妹のおかげで私は「おねえちゃんなんだから」というお決まりの言葉を人一倍多く言われる羽目になり、面白く思っていなかったので余計に年上で自分を甘やかしてくれる祥子ちゃんやゆう兄ちゃんになついたのだろう。今ならそれも分かるが、当時の私はただ憧れの祥子ちゃんとゆう兄ちゃんのそばにいられればご機嫌だったのだ。
でも祥子ちゃんもゆう兄ちゃんも雅美に優しかったので、結局私達はゆう兄ちゃんの部屋にいる時はいつも四人で過ごす事になってしまった。
ゆう兄ちゃんの部屋は本でいっぱいだった。二階のたぶん一番いい部屋で、広さもあって四人で過ごしても窮屈さは感じられなかった。天気のいい日の窓辺は日向ぼっこに最高なくらいだった。
少しゆう兄ちゃんが組み立てた自動車のプラモデルなどもあったが、棚のほとんどは本だった。
雅美が女の子のくせによく、そのプラモデルをおもちゃにして私はそれを叱ったのだが、ゆう兄ちゃんはいつも笑って許してくれた。そして祥子ちゃんが雅美を慰めていた。
私はと言えばマンガしか読まない子で、祥子ちゃんやゆう兄ちゃんが文字ばかりの本を読むのが不思議で仕方がなく、母はそう言う良い所の影響を私が全く受けないと嘆いていた。
私はゆう兄ちゃんの部屋で宿題をして、祥子ちゃんの作った手作りのお菓子を食べた。
ゆう兄ちゃんは勉強をしたり、読書をしたり、何か物語を書いたりしていたが、私はゆう兄ちゃんが大好きだったにもかかわらず、一度もゆう兄ちゃんが書いたものを読んだことは無かった。
「どんなお話なの?」と聞いては見たが、
「喧嘩の強い男の子が修行の旅をする話だよ」
といわれると、余計、読みたいとは思わなかった。
そんな風に四人でのんびり過ごす中に、恵次が時々飛びこんで来た。祥子ちゃんのお菓子目当てだ。
恵次の食欲は旺盛で、あっという間に自分の分は食べてしまい、私の分を狙って来る。年上のゆう兄ちゃんや年下の雅美の分は狙わないのに、同い年の私には遠慮がなかった。
恵次にお菓子を取られそうになり、私達は口論し、時には取っ組み合う。嵐のように飛び込んだ恵次はお菓子に満足すると、嵐のように去っていく。静かな時間がその瞬間だけ賑やかに彩られた。
部屋にいる事が多いゆう兄ちゃんだったが、時には私や雅美と外で遊んでくれた。
バトミントンや、縄跳びくらいのものだったが、かまってもらえる事が嬉しかった。
そんな時は祥子ちゃんも本当に楽しそうで、私は余計に嬉しかった。祥子ちゃんはゆう兄ちゃんが外にいるだけで嬉しそうだったが、その意味なんて考えた事もなかった。
祥子ちゃんはゆう兄ちゃんと同じ学校に通っていて、よく学校の話もしていた。でもクラスが違うので二人で話をするのはゆう兄ちゃんの部屋で話す事が多かったようだ。
時々二人がすっかり話しこんでしまって私の事なんか忘れたようになると、私はやきもちを妬いて、
「あたしはゆう兄ちゃんのお嫁さんになるんだからね」とよく言っていた。
この時ばかりは祥子ちゃんも対抗して、
「あら、雄ちゃんは、私と先に約束してるからダメよ。恵ちゃんにしたら?」と、言って来る。
私はどうしてもゆう兄ちゃんがいい、それに恵次は気に入らないと文句を言い返し、二人に笑われてしまう。そしてふくれっ面になって、妹を置き去りにして外へ遊びに行ってしまうのだ。