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「おじさんや、おばさんは、知らなかったの? 恵次は?」
「恵ちゃんは分からなかったでしょう。おじさんは知らないけど、おばさんは気がついていたかも。その上で私達の事を見守ってくれたんだと思う。こればかりはどうしようもないから。自分の子の恋も失恋も、成長の過程だと思ってたんでしょうね」
「でも、祥子ちゃんは最後にちゃんとゆう兄ちゃんを選んだのよね」
兄弟二人の姿を重ねる私とは大違いだ。
「それはたまたま。雄ちゃんのあのお話が迷う私にきっかけをくれたから。ねえ、こういう事って何がきっかけで、どんな結果を生むのかなんて分からないわ。でも、自分を責めずにいられないような暗い心に捕らわれてしまう時なんて、もしかしたら誰にでも一度はあるんじゃない?」
「でも、相手の眼を見る事さえできないなんて」
「久美ちゃんがそこにこだわるのなら、それが久美ちゃんの恋の仕方なんでしょうね。そんなの誰にも決められない。眼を見る事が大切なら、いずれそういう恋にめぐり合うでしょうし、今、それよりも大切なものを見つけられれば、そんな事に苦しむ必要はなくなるでしょう? 久美ちゃんの心次第よ。誰かを裏切るだの、欺くだのと言ってたら、恋なんて裏切りだらけ。久美ちゃん、若い時に痛い目に会ってるでしょ? そのせいできっと極端にロマンチストになってるのよ。でも、そんなの気にしてたら誰も好きになれないよ」
祥子ちゃんがいたずらっぽく笑った。
「祥子ちゃん」私も苦笑いを返してしまう。
「それにね、いい年して男性のセックスアピールにまるで反応しなかったら、それも問題よ。久美ちゃん、正常。安心しなさいよ」
「それ、ちょっと違わない?」
「だいぶ違うか」
二人で笑いだしてしてしまう。祥子ちゃんに会って良かった。引きずる思い出から抜け出して、自分の心に正直になれば、こんなに心は軽くなれるんだ。
祥子ちゃんでさえ、暗い気持ちで苦しんだ時間があった。しかも、最も輝かしく見えたあの頃の時間の中で、たった一人で自分の心と向き合っていた。
父と母だって、きっと別れるギリギリまで悩み、苦しみ続けたに違いない。それは私達姉妹の事や、生活の事ばかりではなく、二人の関係や想いについても苦しみがあったはず。
あの時の家の中の空気の冷たさは、尋常なものではなかった。父はいっそ心中でもとまで考えたと言う。一家心中。ありえたかもしれない。そしてそれは父が起こすとは限らなかった。母も十分に追い詰められていた。そこまで行かなくても、母にもし、誰か頼る事が出来るような男性がいれば、その時は父と母の立場が逆転していたかもしれない。どちらにしても家族はすでに壊れるしかない運命だったかもしれない。
納得した。父と母の事も、祥子ちゃんの事も。衝撃は強かったものの、何だかとても納得してしまった。
雅美の事で手を取り合えなかった両親に、正直、ずっとふがいなさを感じていた。父への反発もそれが心のどこかにくすぶっていたからだったが今、ああ、そうだったのかと心に区切りがついた気がする。
きっと、経緯は違っても、起こったことは同じだった。それより、みんな、生きていてよかった。雅美もお母さんも、お父さんも、私も。
そして父は私をきちんと育ててくれた。雅美の治療費の借金も黙って返し続けた。その罪を背負いながら。たぶん、十分に苦しんで。
まだ若かった祥子ちゃんは、周りに見守られていた分、なおさら苦しみも深かったに違いない。それに気づいてしまったゆう兄ちゃんも、同じように苦しんだだろう。その中で二人は答えを見つけ出した。
苦しむ祥子ちゃんの優しさと、それを受け止めたゆう兄ちゃんの心の広さ。沢山のわだかまりを二人は越えようとしていた。だから祥子ちゃんが「お嫁さんになれるかと思った」と言って流した涙は、本当に重たいものだった。
そんな祥子ちゃんも、今、幸せそうだ。母も幸せだと言っていた。きっと長い時の流れの中では、暗い思いに苦しんでいる時間なんて、ほんの一時の事になってしまうんだろう。
私に何も言わなかったけれど、もしかしたら祥子ちゃんは、私の想い人が恵次だと気がついたかもしれない。姿を重ねているのがゆう兄ちゃんだと言う事にも。
どんな人でも実は弱い。人の心は自分でも、相手でも、思うようになんかならないから。
その代わり、心はちゃんと、立ち直れるようになっているんだ。意外なくらいに。
そして綺麗も汚いも無い。心は、ただ、そのまんま、心なんだわ。
祥子ちゃんの家を後にする頃、私の気持ちはそこまで整理する事が出来ていた。
その日の夕食の席で私は父に切り出した。
「お母さんね、恋人、出来たみたい」
父は少し間を開けてから返事をした。
「そうか」
「お母さんと雅美も、幸せになれそうだね」
「そうだろうな」
そう言って、父はまた黙りこむ。
「お父さん」
「うん?」
「私達、もう、苦しむ事無いよね」
私は父の目を見て言う。父は私の顔色をうかがうような目をした。思えば父はいつもこんな表情をして私を見続けて来た。
「お父さん、もう十分に償ったよ。少なくとも私には」
「そう思うのか?」
「うん。家族なんて許しあえなきゃ、壊れる一方だもの。お父さんが苦しいと、私も苦しい。そういうの、もういいよね」
私はほほ笑んだ。ちょっと不器用ではあるけれど。
父は何があっても私が最後に帰る場所で居続けてくれた。それこそが私への償いだったんだろう。
父も私と同じくらい不器用に微笑む。
それでもいい。こんなほほ笑みでも繰り返し続けていれば、きっと本物に変わる。
私はそう信じてほほ笑み続ける。