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 次の週末、子供たちに形ばかりの手土産と洋菓子を手に、祥子ちゃんの家に向かう。祥子ちゃんの家も所要時間は岩淵家に行くのといい勝負。乗り換えは少ないが、時間はしっかりかかってしまう。


 午後のちょっと遅い時間に、私は祥子ちゃんの家に着いた。


 子供たちに手土産を渡すとご主人が気を利かせたのか、祥子ちゃんが前もって言ってあったのか、 ご主人は子供達を連れて公園へ遊びに出掛けた。私はあらためて無性に祥子ちゃんに会いたくなったのだと告げる。


 はじめは世間話だった。そしてゆう兄ちゃんの本の内容に話は移り、やがて雅美が岩淵家を訪れた時の話になった。


 そこから私のタガが外れてしまったらしい。だんだん愚痴に変わって行く。一気に子供の私が知らなかった事、父と母が別れたいきさつ、父への戸惑い、母に恋人が出来た事。それがどこかで寂しさを呼んでいる事。そして岩淵のおばさんが私を見守ってくれていた事。母の優しさと強さを、私は一方的に、脈略もなく話し続ける。それでいて父の弱さを否定的な感情のまま打ち明けていく。


 そして心のもっと深い所にある想いに言葉は及んでいく。


 母や、岩淵のおばさんや、祥子ちゃんに比べて、自分の中にずるさや、弱さが巣食っている事。他人の思いやりを穢し、欺いている事。相手が誰かは言えないけれど、ある人に他人の姿を重ねて、苦しい、恋とはとても呼べないような、欲望に支配されそうな感情を持ってしまった事。そして、そういう自分に気づいてしまった事。


 吐き出すだけ吐き出すと、私はため息をついた。


「私、自分がこんなに嫌な人間だとは思わなかった」


 私が何かを出し切るために来た事に気付いたのだろう。祥子ちゃんは黙って聞いていてくれた。



 話してみれば両親の離婚の真実や、母が恋人を作っていた事は、それほど自分を苦しめていたわけではない事に気がついた。父の事は衝撃こそ強かったが、もうすべてが終わってしまった事で、今更父を責めたいかと言えば、そんな事は無いのだ。


 まして母の事は完全に母だけの人生の問題で、それに酒井さんや雅美を巻き込まないように全力を注いでいる母に、自分が何を言いたいわけでもなかった。私は知らなくても良かったことだろうし、知った以上は温かく見守るしかないのだから。


 私にとっては母親でも、母にも女性としての人生がある。そのくらいのことは分かっている。


 私が本当に苦しいのは、自分自身の事だった。


 様々な事に動揺している自分。それを恨み事や八つ当たりに逃げ込もうとしているずるさ。そこに気付いても立ち向かっていけない弱さ。自分の中に欲望にもろい部分を見つけてしまった戸惑い。苦しいのはそういう事だったのだ。祥子ちゃんはあんなにも強かったのに。

 


「久美ちゃん、そんなに私を美化してくれてたんだ」聞き終えた祥子ちゃんが言った。


「美化も何も、本当に祥子ちゃんは」


「美化よ。私、そんなに優しくも、強くもないの。そう、見せなければならなかっただけ」


 祥子ちゃんは私の言葉を遮った。


「私ね、雄ちゃんを裏切ったの。あんなに私を信じて、頼ってくれていたのに」


「祥子ちゃんが? まさか? だって」


「雄ちゃんだって分かってた。だから雄ちゃんは、この話だけは途中で投げ出さずに書ききったのよ。心が離れて行く私に、せめて想いを伝えるためにね」


 私はただ、唖然とした。祥子ちゃんがゆう兄ちゃんの本を手にページをめくる。


「この、お世話になった人たちへのメッセージのところに、雄ちゃんの学校の先輩の名前、あるでしょう? 私、高二の時にこの人とこっそり付き合ってたの。岩淵さんちにも通いながらね」


「何で……」


「何でかしらね? 今となっては分からないわ。私にも。でも、小さい時から雄ちゃんと寄り添って来たけど、どうしても私が雄ちゃんを励ます立場になっちゃう。勿論、私がつらい時に一緒にいてくれる人ではあるんだけど、雄ちゃんはどうしても体力がないから、私を支える側に回れる機会はそう多くはなかったの。雄ちゃんもそれを気に病んだし、そんな雄ちゃんのそばにいるのが、とても重く感じる事もあったのよ。雄ちゃんが嫌になったりするわけじゃなくて、当時の私じゃ、まだ、誰かに頼りたい気持ちも強くて、雄ちゃんに頼られるほどに、私も別の誰かに頼りたくて仕方なくなったの。それで、タチの悪い事に、雄ちゃんも良く知っている、学校で面倒を見てもらっている身近な先輩に、私が惹かれてしまったの」


「でも、私達を連れて岩淵さんちには行ってたのよね?」


「そう、きちんと決着をつけるでもなく、同情心と割り切るでもなく、ずるずると雄ちゃんの部屋に行ってた。やっぱり心配な事に変わりはなかったし、雄ちゃんが嫌いになった訳でもなかったから。家族ぐるみで付き合いながら二股なんて、自分でも最低だと思いながらね」


 高校二年生。微妙な年頃だ。自分と比べてはいけないだろうが、相手が年上ならそれほど浅い付き合いでは無かったかもしれないし。


「ずっと、そうしていたの?」


「ううん。でも当然雄ちゃんは気がついた。それで私に読ませるつもりでこのお話だけは書ききったの。切なかった。こんな思いを自分は裏切ってるんだと思ったら、自分を呪いたいくらいだった」


「祥子ちゃん」


「それで気持ちの整理がついたのね。先輩とは別れて、雄ちゃんと元の鞘に収まったの。雄ちゃんとならずっと付き合えるって、その時思った。そして、そのつもりだったんだけどね。このお話は特別なの。本当に恵ちゃんがこれを製本してくれて嬉しいわ。あの日の雄ちゃんの心を、また、読めるなんて思わなかった」


 だから祥子ちゃんはこのお話をお葬式の時にでももらえばよかったと言っていたのか。このお話は、本当に大切なゆう兄ちゃんからのラブレターだったんだ。




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