表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キス  作者: tkkosa
2/6

二巡目



○登場人物


  古武雅治・ふるたけまさはる(29歳、女性に対してコンプレックスのかたまり)


  野倉智枝美・のくらちえみ(29歳、良い女だけど男性に不信感を持っている)


  桑畠潤蔵・くわばたじゅんぞう(29歳、社会適応力が少なく会社を転々してる)


  浜森信枝・はまもりのぶえ(29歳、フリーターで将来への希望も特にない)


  千代原靖司・ちよはらやすじ(27歳、過去の恋愛の傷を振りきれられない)


  柳舘修子・やなぎだてしゅうこ(27歳、過去の恋愛の傷を引きずっている)





 7月22日の夜、古武雅治の頭。

 キンコンカンコン。市橋塾の教室にひびく鐘が希望の音に聞こえてきた。ガッツポー

ズしてやりたい気分。木村カエラの曲まで頭に鳴ってきやがった。

 終わったぁっ。そう叫んでやりたい。やらないけど。生徒がやってるけど。

 気持ちは分かるよ、皆の衆。講師だってやりたくて授業をやってるわけじゃないから

ね。やりたくてやってる奴なんてそうとうな熱血モンだよ。スクールウォーズの山下真

司ぐらいだよ。残念ながら現代にあんな教師はまぁいない。急にキレだす生徒や過保護

な親の波がいつ来るかとおびえながら日々やりすごしてる。

 まぁ、塾はそのぶんプレッシャーなくていいけど。ナメられない程度に緩くやればい

いし、嫌われない程度に堅くやればいい。そこまで深く係わる必要もないからその場を

しのいでればいい。

 講師用の控え室にはデスクワークをしたり、授業から戻ってくる講師で密度が高くな

る。社員のオヤジどもはメタボ率が高めだし、バイトの大学生どもはペチャクチャうる

せぇし、夜になったってのにまだハンパなく暑いし、やってらんねぇ。

 この状況において害がないのは俺を含めた契約社員たち。若くもあるし、若いばっか

じゃねぇところに足はいってきてるし、自分への危機感があっていい。こういう真面目

さを取り戻せ、その他の面々。

 「古武先生、1年のAクラスの出席簿ありますか」

 おっと、野倉先生カットイン。

 1年のAクラスはさっきまで授業してたとこ。そうか、出席簿はまだここだ。

 「あぁハイ、どうぞ」

 そそくさ探しだして出席簿を手前のデスクの野倉先生に差し出す。その瞬間、今日の

暑さで露出多めの服になっている野倉先生の前かがみになった胸元のシークレットゾー

ンに釘づけ。谷間と呼べるほどか分からないぐらいの空間ではあれど、この俺にとって

たまらない夢の時間がおとずれたのは間違いなしっ。よっしゃぁ。いいとこあるじゃね

ぇか、夏。

 「ありがとうございます」

 そう言ってデスクワークにもどる野倉先生。

 同じくデスクワークにもどるも集中力があきらかに減った俺。そりゃ、あんな素敵な

景色を見せられたらそうなるでしょうに。裸のネエちゃんもいいけど、この微妙なライ

ンのエロチシズムも心くすぐられるなぁ。ましてや野倉先生ぐらいのレベルになったら

なおさらだ。




 7月22日の夜、野倉智枝美の頭。

 よしっ、今日の仕事は終了。

 あぁっ、やっと帰れる。これで家まで辿りつけば天国だ。クーラーをガンガンかけち

ゃって、ビールをガンガン飲んじゃって、アイスを心ゆくまで食べちゃうぞ。待ってろ、

天国。

 「お先です」

 まだ残ってる講師の人たちに優越のバイバイ。私は先に夢の時間に行かせていただき

ます。

 市橋塾を出ると仕事場を離れた開放感につつまれる。この感覚、いつもたまんない。

今の仕事にそこまで苦しみはないけれど、やっぱりお金をもらって働いてるっていう気

の背負いはある。っていうより、なきゃダメでしょ。契約社員といえど遊びでやってる

んじゃないし。

 「あっ、お疲れさまです」

 「あっ、お疲れです」

 エレベーターのところにちょっと先に帰ってた古武先生がいた。どこの階も帰宅時間

だからなかなか来ないのか。

 「来ない感じですか」

 「そうっすね。もうすぐですけど」

 待つのには慣れてるけどこの暑さが足されるとイライラが増しになりそう。これから

の季節は鬼門の一つになりそうだな。

 「暑いですよねぇ、今日」

 「ホントですよ。これからこんなのが続くと思うともう無理っすよ」

 「ねぇ。ウチはまだ冷房きいてるからいいけどないところなんか地獄ですよね」

 「俺んとこ、中学も高校も冷房なかったっすよ」

 「ウチも。高校なかったです」

 「アレ、よく耐えてたなぁって思いますもん。多分、若かったからどうにかなったん

でしょうねぇ。今なら絶対ダメですよ」

 「そうそう。窓から風くるの待って、下敷きであおいでなんとかしのいでました」

 いつのまにか学生時代のことにまで話がのびてて、気づけばエレベーターに乗ってい

た。古武先生は同い年だからこういう話が合う。同じ契約社員だし、精神的に近いもの

は感じている。まぁ、学生時代に同じクラスだったとしたら特に印象に残ることもない

タイプだけど。顔も良くはないし、雰囲気もなんとなく陰に映るし。アキバ系って言わ

れたら疑うことなく納得できる。実際どうかは知らないけど。

 「じゃあ、また明日」

 「はい、また明日」

 まっ、どっちだっていいや。今の私に大事なのは天国のみ。




 7月22日の夜、桑畠潤蔵の頭。

 「あぁっ。なんなんだよ、くそったれが」

 居酒屋の一席、俺は明らかにつぶれていた。初めからつぶれるつもりで行き、つぶれ

るつもりで呑み、例のようにつぶれた。普段から酒を呑みながら日頃のうっぷんを吐き

だすのは習慣になっているけれど、今日ばっかりはそんなところに落ち着いてなんかい

れない。

 「まわりくどいことばっか言いやがって。いつも命令したり注意したりするときみた

いにズバッと言えってんだ」

 「まぁまぁまぁ」

 周りの客にモロに聞こえる大声を発しまくる迷惑な酔っ払いを友がなだめてくれる。

言うまでもなく俺は前者。後者はこんなどうにもならないやつにも付き合ってくれる我

が友、古武雅治。

 「クビとかマジふざけんなよ。弱いのはどこにも居場所なんてねぇのか」

 「そういうわけじゃないって。たまたま今の会社が合わなかったんだって」

 またそれかい。何度同じ状況になってもその言葉ばっか。じゃあ、俺に合う会社って

どこにあるんだよ。もう探し疲れたっつうの。

 「もぉ・・・・・・嫌だぁ」

 今の真たる本音です。もう嫌です。何もかも嫌っ。就職活動に奮起して、面接で人間

ごと否定されるような扱いすら受けて、やっと働けるとこ見つかって頑張るけどうまく

結果でてくんなくて、年下に抜かれて後輩に抜かれて立場もくそもなくなって、それで

もプライド擦り減らして毎日やってったら末にはクビ。

 何がいけないっていうんですか。俺はそんなにやっちゃいけないことでもしたってい

うんですか。してませんよね。だったら、一体この仕打ちは何なんですか。勘弁してく

ださいよ。

 「まぁ、俺が言えるような義理じゃないけどさ、こういうときもあるってことだよ。

でも、いつか絶対に良い日が来るから。間違いない」

 確かに塾の契約社員でしかない友の励ましに説得力はなかった。ただ、こんな一緒に

いてもどうにもならないような俺の傍にいてくれるやつなんてそうそういないんだから

それだけで感謝にいたる。

 長渕の曲が頭に響いてる。その歌詞に合うような人間じゃないけどそこに浸りたくて

たまらない気分になった。




 7月22日の夜中、浜森信枝の頭。

 「潤ちゃん、会社クビになったって。さっきまで愚痴きいてて、今かえってきた。例

のように荒れてたよ。明日、退職願を出しに行くって。なんか声かけてあげて。呑んで

るからもう寝る」

 そろそろ寝ようかと思ってたときに来たメールは雅からだった。友達のクビをいやに

あっさりと伝えている。まぁ、数回目にもなるから慣れたもんなんだろう。証拠に、私

もさほど驚きがない。またやったか、っていう程度。

 携帯を閉じると自然と深い息をついた。あっさりと受けとめたわりに潤の危機的状況

に重なる部分があった。潤は不器用なやつだけど、そういうやつは本当に捨てらていく

んだなっていう容赦ない現実。それについて会社側を非難するつもりはない。会社だっ

て生き残りをかけて必死なんだからしょうがない。きっと潤だってそこは分かってる。

心底うらんでなんかいないだろう。私だって就職してたら同じ目にあってるかもしれな

いし、そこに怯えるような毎日を過ごしてると思う。

 社会への適応性が低い潤に対して私はどこか冷めた印象がある。もっとうまくやれよ、

だらしないなぁ、そう思うことがある。

 ただ、それ以上に応援もしている。私はその舞台にも立ったことがないから。

 大卒のときに私は一つも内定を取れなかった。一応それなりの数は受けたし、適応性

って面でいえばまぁまぁぐらいはある。一つぐらいはいけるだろう、そこに入ればいい

だろう、それが油断だったのかもしれない。私には必死さがなかった。正直、周りにい

る人たちからはビシビシそれを感じられた。でも、私にはなかった。それまでをなんと

なく生きてきた私にはスーツできめて社会人として背筋をのばす自分像が浮かんでこな

かった。それが会社側にも伝わったんだろう。こんなやる気のない人間に手を上げてく

れる情けのあるところは現代にはない。

 だから、潤のことは素直に誇らしい。内定を取って会社員になったってだけで私より

上だ。内定を取れなかったショックで今のスーパーのバイトに落ち着いた私なんかより

全然上だ。

 それだけじゃなく、潤はクビになってもまた次に挑戦していく。そんな気力すら浮か

んでこない私にはうらやましいぐらいだ。向こうは男でこっちは女っていうのもあるん

だけど。

 なんだか空しくなってくるよ。とりあえず、今日のところは寝よう。

 潤にもなんか言ってやんないとなぁ。




 7月23日の朝、千代原靖司の頭。

 朝の目覚めはいい。全国平均がどのくらいかは知らないし知ったこっちゃないが20

代男性ではいいほうだろう。目覚まし時計に必要以上の仕事はさせていないし。一度目

できちんと起きる。

 まぁ、今日にかぎっては例外ともいえる。昨日が今年の最高気温だったのをうけて、

この晩は今年最初の熱帯夜を記録すると気象予報で言っていた。寝苦しさはこの上なく、

何度か耐えきれずに目を覚ました。他の人もきっとそうだろう。こんなのが続くかと思

うとやってられない。

 とりあえずこの気だるさを消したくてシャワーを浴びた。嫌なものが洗い落とされて

よかったが、結局は外に出てしまえばまた汗をかくのは分かっている。所詮は気休めで

しかない。

 風呂からあがると入る前に電源をいれておいたクーラーがきいていて涼しかった。心

も洗われるような爽快感がいい。そこで飲む牛乳もまたいい。所詮はこれも気休めなの

は分かっている。

 こういうとき、日本の四季をうとましく思う。春と秋は情緒あふれる景色に四季があ

ることに感動するのに、夏と冬はそれを忘れたようになる。人間なんて都合のいいもん

だ、そう都合よく解釈する。

 朝食は前日にコンビニで買っておいたおにぎり2個、インスタントの味噌汁、ヨーグ

ルト。大体これで固定になっている。固定といっても、どれも種類は豊富なものばかり

なので味を変えていけば毎日でも飽きはそうこない。

 自分で作れればよりいいのは納得してるけどさすがにそこまでの余裕はない。何度か

挑戦はしてみたがどれも長くは続かなかった。その時間は睡眠にあてたいのが素直なと

ころだ。

 朝食を終えると支度にかかる。毎日やっていることなのでほとんど流れ作業に近い。

思考がどこかに飛んでいてもきっちり終えられる自信はある。今朝の思考は熱帯夜で何

度か目が開いたせいで眠りが足りないかもしれないというところに飛んでいた。仕事に

差し支えがないかが心配ではあるけれど、まぁ満員電車に揺られてるうちに完全に覚め

てくれるだろうと安易な結論にいたらせておく。自分で考えておいてなんだが、こうい

うのは考えるだけ深くへ行くだけだ。

 もう一つ思考が飛んだ先があった。昨日の帰りぎわの同僚の嫌味だ。考えないように

とは思っているがこの類はそうそう離れていってはくれない。あんなふうに言っておい

て、今日会ったら何事もないようにされるんだろうな。ややこしくさせたくないからこ

っちも同じようにするだけだけど。




 7月23日の朝、柳舘修子の頭。

 朝の目覚めはいい・・・・・・はず。

 だるくて体が起きない。いつもは目覚まし時計と格闘しながらでも起きるのに、今日

はそういかない。

 昨日の呑みの量が多かったせいだ。デートではワインを軽くいれたぐらいだったけど、

家に帰ってからまた呑みなおした。日本酒。なんか呑みたいって気分のときには手を伸

ばしたくなる。

 特別に何かがあったわけじゃない。これといって何も起こっていない。

 要はそれが原因だ。

 特別なことがない。何も起こらない。それ。

 ありきたりなんだ、私にとって。彼が用意してくれるデートプランやプレゼントはよ

くあるタイプのものばかり。それが悪いなんて言わない。私のためにやってくれている

ことは嬉しい。でも、心を揺さぶられるようなものがない。

 海岸沿いのドライブは良い。風も気持ちいいし、景観も綺麗。

 高級レストランの食事も良い。緊張こそするけど気分はいいし、味もおいしい。

 夜景を眺めるのも良い。灯りの集いは素敵だし、ムードにもひたれる。

 ただ、そこまでにしかならない。それ以上の心の高揚がもたらされることがない。誰

かに言ったら生意気な小娘とか思われそうだけど、それが正直な思い。

 どこかのドラマで見たような、どこかの雑誌で見たような、今までの彼氏もやってい

た典型的な感じにしか思えない。というより、それが歴代の恋が終わっていった理由で

もある。

 私が冷めてしまう。デートをかさねてくうちにこの思いになり、物足りなさを感じて

きて別れをきりだす。それがいつものパターン。

 そして、今この思いになっているということは恋の終わりに向かってるっていうこと

になる。私の勝手な思いで別れるのは心苦しいけど、このまま続けてもおそらく未来は

変わらない。

 こうなってしまうことには理由がある。忘れられない恋がある。この心が揺さぶられ

た夢中になった恋が。それを自分の中で消化できず、それを越えてくような恋をしたく

ても壁になって出来ない。経験をかさねてくほどだんだん深みにはまってる。どんなに

大人な理想的とされる恋をしても越えられない昔のなんてことない恋が私をいつまでも

苦しめてる。



全六話、本に換算すると85ページになる量です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ