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キス  作者: tkkosa
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一巡目



○登場人物


  古武雅治・ふるたけまさはる(29歳、女性に対してコンプレックスのかたまり)


  野倉智枝美・のくらちえみ(29歳、良い女だけど男性に不信感を持っている)


  桑畠潤蔵・くわばたじゅんぞう(29歳、社会適応力が少なく会社を転々してる)


  浜森信枝・はまもりのぶえ(29歳、フリーターで将来への希望も特にない)


  千代原靖司・ちよはらやすじ(27歳、過去の恋愛の傷を振りきれられない)


  柳舘修子・やなぎだてしゅうこ(27歳、過去の恋愛の傷を引きずっている)





 7月22日の昼、古武雅治の頭

 暑っちぃ。こんなんどうすりゃいいっつうんだ。

 昨日、天気予報士が梅雨明けって言ってた。明けた途端にこのありさまだ。梅雨は梅

雨でさっさと終われよって思うけど、終わったら終わったらで惜しみたくなる。勝手と

いわれようがかまわない。それほど暑い。

 暑いといっても今日は真夏日を過ぎる程度らしい。これからもっと暑い日はやってく

る。なのに、もうノックダウン寸前の状態だ。多分、体が暑さにまだ慣れてないからな

んだろう。とりあえず、そう思っとこう。

 汗が滴になっておでこから行きたいとこに行ってる。前の方に流れると眉毛でいった

ん止まる。そこからなかなか流れていかねぇのがムカついてきて手でいつも拭く。横に

流れるともみあげを通過して顎にたまって垂れていく。そんなんに気ぃ取られてるうち

に首とか上半身とかからいつのまにか訳分かんねぇぐらいの大群が発生しててシャツに

ぴったりと貼っついてやがる。この様を見て、周りのやつらはきっと「あいつ、暑苦し

そう」とか思ってるんだろうな。俺だって太って汗だくになってるやつ見てたらそう思

うんだから、そう思われてるに違いない。決定。

 なんともいえぬ嫌悪感。「どうだ、どうだ」ってほっぺたをペシペシ軽く触れるよう

に叩かれてるみたいにイラついてくる。

 でも、これはどうにもならない現実。この暑さを止めることなんて出来やしない。そ

んな力、いっぱしの地球人になんかあるわきゃない。

 あぁ、こんなこと考えてる時間がどれほど無駄なことか。でもよぉ、こんな愚痴でも

こぼしてないとやってらんねぇんだよ。ふざんけんじゃねぇよ。俺がなんか悪いことし

たのかよ。なら、なんでこんな仕打ち受けなきゃなんねぇんだよ。

 ・・・・・・そう思っても何も変わらない。なのにやってる俺。

 そう、この暑さを一瞬でも忘れるための逃避行。どこに行くかも分からずに飛んでく

だけ。まぁ、忘れられるならどこにでも飛んでくぜ。ブンブンブンブン飛んでくぜ。

 あははっ、頭が変な方に行っちまってる。たまんねぇぜ、この野郎。てめぇ、夏。い

きなり挨拶もなしに来やがって。この礼儀知らずがっ。挨拶のお菓子は羊羹だぞ、てや

んでぇ。

 俺、こんなやつじゃないのに。崩壊です。ガチコンくらいましたっ。悪く思わんとい

てよ。

 要はこれも俺ってことさ。人間、表と裏があるんだから。ただいま、俺は裏に占拠さ

れております。でもさ、なんか裏って気持ちいいなぁ。普段しまいこんでる分、開けて

しまうとなんとも快感。真っ裸で外にいるみたい。いいじゃん、いいじゃん、ノッてる

よ、裏の俺。

 太陽なんかくそくらえ。




 7月22日の夕、野倉智枝美の頭。

 到着、市橋塾。

 ったく、なんだよこの暑さは。何がしたいんだよ。消えろ。

 あぁあ、今日からどっと暑くなるっていうからせっかく新しい夏物の服にしたのにも

う汗じっとりじゃん。終わったな。

 どうしよう。このままだとオヤジ講師どもに下着のライン見られる。あんなしみった

れたやつらにエロい目で見られるなんて寒気がする。いちおう上に羽織るものも持って

きたけどこんな暑さで着たくないし。

 まぁいい、このままいこう。見たけりゃ見ろよ。どうせ家ではごぶさたなんだろうか

ら目の保養にでもしな。

 「おはようございまぁす」

 第一声の挨拶は笑顔で元気よく、ちょっとかわいさをプラスして。これが鉄則。ウケ

を良くしておけばマイナスは少ない。

 「暑っついですね、今日」

 とりあえず、鉄板の話題をふっておく。あとは適当に誰かれノッてくるから相槌だけ

うっとけばいいから。

 講師用の控え室には半分ぐらいの講師が来ている。ベテランのオヤジ社員もいるし、

就職にありつけない余り者のアラサー契約社員もいるし、自給の良さ目当ての大学生バ

イトもいる。私はちなみに契約社員。でも、余り者なんかじゃなくてよ。他のダメダメ

どもと同じにしてもらっちゃ困るっつうの。就職はしてたけど自主的に退職しただけ。

ここ重要。

 っていうか、パッとしないんだよねぇ。仕事場に求めることじゃないかもしんないけ

どさ、前の職場のときはもっと全体的に空気が張ってたって感じだったから。社員たち

は生活的にも年齢的にも落ち着いてて話題も年くさいし、バイトたちは逆に地に足が着

かずに社会ナメてやがるし。そこにきて、私たち契約社員は危機感あるから多少は張り

もある。

 未就職者は見下されてる感あるけどふざけんなってのよ。そいつらの顔写真、一枚ず

つ切り刻んでってやろうか。人にはそれぞれ事情ってもんがあんのよ。それも知らずに

ああだこうだ言ってるやつらの気が知れないわ。物事を上辺でしか見れないなんて可哀

相だこと。皮肉をたっぷり添えてあげる。

 低脳ども、くそくらえ。




 7月22日の夕、桑畠潤蔵の頭。

 「君ねぇ、どうかと思うんだよねぇ」

 言われた瞬間は体に冷えたものが流れた。今日の暑さにはちょうどいいなんて思える

はずはない。そんな余裕があったら、俺ってずいぶんな人間だ。きっとこんなところに

はいないだろう。もっと良い会社のもっと良いポジションでもっと良い人間としている

に違いない。

 上司の迷うような言葉は本当は迷っていない。ストレートな言葉をぶつけて恨みを買

うのが嫌なだけだ。結局、自分がかわいいってことか。典型的な現代の人間だな。面倒

なことはできるだけ避けて生きたい自分主義。

 言葉の意味は要はクビ。もう来なくていい、必要ありません、戦力になりません、迷

惑です。そんな棘のある言葉を隠して柔に包んだもの。よっぽど頭の悪いやつだったら

裏の意味に気づかずにこれからも平然と出社しつづけることだろう。一応、そこまで底

辺じゃない。

 上司はその後も似たようなニュアンスの言葉を並べていった。確信には触れぬまま、

遠めに遠めに分かりずらくクビを宣告していく。このぐらいで気づけよ、そう言いたい

んだろう。

 「分かりました。ありがとうございました」

 こっちも確信に触れぬように返した。あなたの言いたいことは分かりました、今まで

ありがとうございました、そういう意味。明日は退職願を持って出社。退職金がせめて

もの罪滅ぼし。それで納得して辞めてくれ、そういう運び。

 こっちはそれで納得するしかない。ここで反対したところで本当にクビを言いわたさ

れるだけだ。そうすれば退職金も出るのか危うい。悲しいけど流れに乗っておくのが今

はかしこい。

 話が終わったら平然を保って帰り支度をして仕事場を後にしていく。会社から距離が

離れたところまで歩くと線がぷっつり切れて全身から脱力していった。前からすれちが

ってく人も、後ろから追いぬいていく人も気にかからない。今ここに独りきりの空間が

拡がっていった。

 終わった。最悪だ。

 この世に神も仏もありゃしない。あるんなら、ずいぶん弱い者いじめが好きな神と仏

だな。何も信じたくなくなるよ、そんな世界。人の人生を面白おかしく操りやがって、

ふざけんな。

 こんな現実、くそくらえだ。




 7月22日の夕、浜森信枝の頭。

 流れる波。人の波。来ては去り、来ては去り、その連続。工場のベルトコンベアーに

長時間むきあってるみたいな連続的作業。いや、そっちの方がまだマシだ。こっちは規

則ただしく動いてくれない。

 「あれぇ。ないなぁ」

 来たよ、ストップ。この夕暮れ時の混みあうスーパーのレジ事情を分かってくれない

老人が。こっちは来る波を一つずつ流してくだけで手いっぱいだってのにそれをせきと

めてくれてよぉ。あんたが止まると後ろから次々に波が来るんだよ。どうして分かって

くれないかねぇ。

 「おかしいなぁ」

 多分、老人は会計の値段をぴったりの小銭で出そうとしてそれを見つけきれないでい

る。ぴったりで出してくれるのはおつりを渡す手間が省けるから助かるけれど、それに

時間をちんたら使うのはぜひ止めてもらいたい。

 大体、後ろで待ってる人の気持ちになればすぐに分かるんじゃない。混んでて列がで

きてるときに自分が前の人にそうされたら嫌なはずでしょ。なんでそれが出来ないのか

なぁ。こういうのって大概はある程度の年齢いった人なんだよね。年とると自己主義に

なるのが多いんだよな。自分がよけりゃいいっていうわがまま。振り回される側の身に

なってよ。

 「確かにさっきはあったんだよ」

 知らねぇよ、そんなの。無いもんは無いんだから言い訳すんな。さっきあったんなら、

それから使ったか盗まれたか落としたか単なる目の錯覚だ。

 老人は怒りぎみに千円札を出した。はっきりいって怒りたいのはこっちと後ろに並ん

でる人たちだ。あんた一人のせいでここにいる数人の時間が奪われた事実に気づかずに

怒ってるんだから幸せなもんだよ。

 「なんだよ」

 捨てゼリフの後、舌打ちして老人は去っていった。

 正直、噴火寸前。顔は愛想笑いを浮かべながら心で握り拳をつくって我慢する。客商

売だし、他の人たちも被害者なわけだから。なんなら、みんな仲良くあの老人に中指を

突き立ててやろうぜ。

 わがまま老人、くそくらえ。




 7月22日の夜、千代原靖司の頭。

 高層ビルの上階、窓の外を眺めれば心が洗われる夜景が広がっている。晴れた日には

昼も夜も結構ポイントの高い景色が見渡せる。仕事場の環境としては何も言うことはな

いだろう。

 ただ、集中してしまうとそこに気を捉われる隙間はなくなる。目の前のデータや書類

に向き合うだけになっていく。たまに同僚に話しかけられたのにも気づかないことさえ

ある。シカトしただとか機嫌を損ねられることもあってよくないけれど体に沁みついた

ものは中々変えられない。

 「お先です」

 今日の仕事を終えるとそそくさと会社を後にしていく。だらだらと同僚と話しこんだ

りはしないし、仕事帰りの一杯にくりだしたりもしない。仕事場の関係をあまり緩くさ

せたくはない。気を張りつめるつもりはないけれどそれなりの緊張感も必要な関係だと

思うから。

 エレベーターに乗ると長めの時間をそこで過ごす。この時間は案外気に入っていたり

する。大きく下降していく間に仕事用に張っていた気持ちを落ち着かせるのがなんとも

いえず心地いい。逆に、朝はここで大きく上昇していく間に仕事用に気持ちを張らせて

いく。

 ビルから外の世界へ出ると涼しい風が吹いてきた。今朝の通勤は暑さに萎えそうにな

っていたけれどこの時間にもなれば気温も下がっている。とはいえ、夏本番の夜の気温

もバカにならないが。

 「あっ」

 思わず声が出た。忘れ物だ。自らの失敗でどこにも責任を泳がせられず、天を仰いで

息をつく。

 しかたなく会社へと戻っていく。近くで気づいたのがまだ不幸中の幸い。自分をなぐ

さめるようにそうする。

 会社に着き、デスクのある部屋へ入ろうとする。入らない。入るのを止めた。ピタリ

と止めていた。理由は部屋の中から聞こえた言葉。最初は直感で感じとったものだった

けどだんだんそれが正しかったものだと分かっていく。部屋の中では同僚たちが自分に

対する嫌味を言っていた。言葉はさまざまだけどどれも胸の内をチクチク刺すものばか

りだった。

 結局、忘れ物は取らずにその場を後にした。同僚の嫌味も最後まで聞くことはせず。

聞いてても気分は悪くなるだけだし、聞いたからといって何がどうなるわけでもない。

相手への接し方が変わるのは嫌だし、自分自身のスタイルを変えることもしたくない。

他人から少し悪い言葉があったぐらいで大きく揺れ動くような柔な軸で立ってたら簡単

に吹き飛ばされてしまう。ここは本音は噛み殺して明日からも同じ空間を保つのが大人

の行動だ。

 陰口ごとき、くそくらえ。




 7月22日の夜、柳舘修子の頭。

 国道を走る中古のスポーツカーの助手席。乗り心地はいい。車自体の質の良さも当然

あるし、新車にはない安心感が中古にはある。ただ、運転席にいる男は中古ということ

を一度も口にはしてこない。言ってこないからこっちも触れやしない。男のプライドっ

てやつか、めんどくさい。

 なぜか私が付き合う男には見栄っぱりが多い。自分を高く見せようとする。まぁ、私

がそうさせてしまってるのかもしれない。私の外見はどうやらお嬢様育ちみたく見える

らしい。全然そんなことないのに。どこにでもある一般家庭でどこにでもある人生を送

ってきただけ。

 デートは海岸沿いをドライブ、リッチなレストランで食事、夜景を眺める。今までの

どの男もそのコースを用意してきた。計画してくれるのは嬉しいけど、どれも見せかけ

の私だけを見られてるようで気が乗らない。本当は家の近くを散歩するデートとか憧れ

るし、ごはんと味噌汁とおかずっていうザ・和食が好きだし。ちゃんと心の奥まで見て

くれる人がいない。

 運転席にいる男はさっきから休みなく話しかけてきている。よくそんなに喋ることが

あるなって思う、男のくせに。

 本格的な喋り好きか意識的に喋ろうと心がけてるのか。

 前者なら今後が辛い。いっつもそんなに話されてたらうざくなる。基本的に男の喋り

好きは嫌いだ。女は自分の話したいことをあるだけ話して、それを聞いてくれる男がい

いもんだから。男側の話したいことなんてどうでもいい。むしろ、喋んない男の方がま

だマシ。無駄な言葉を発しない男はかっこいいし、お互い黙っててもそれが一つの空間

として成り立つならいい。

 後者なら好印象だけど今にかぎっては違う。意識的ならこんなにペラペラ言葉は続か

ないはず。用意してあった会話なら用意していたと思われないように逆に流暢にならな

いようにすると思う。こんだけ流れざまに言葉が出てくるなら前者だ。

 だから、きっと私にはこの人は合わない。この関係もそう長くはないだろう。

 あぁあ、結局は人はイメージでしか見ないものなんだな。なんだかんだ言いながら、

綺麗な男は綺麗な女と結ばれていくばかりだし。性格重視ってよく聞くのに。そりゃ性

格もいいんだろうけど、だったら綺麗じゃなくて性格のいい女でもいいじゃん。シンデ

レラストーリーなんてそうそうないのかな。ないからシンデレラストーリーって言われ

てるんだろうし。要はシンデレラストーリーなんて言葉になってる時点で問題なんだよ

ねぇ。

 上っ面しか見れない男どもなんてくそくらえ。



全六話、本に換算すると85ページになる量です。

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