透明な日々にさよならを
君は今、どこでなにをしているのだろう。
君の側に僕はちゃんといるだろうか。
あ、もしかして僕じゃない誰かを好きになったとか?
でも約束したし、そんなことはないか。
そうだったとしても、そうでなかったとしても君が少しでも今を「生きたい」と思ってくれているのならそれでいい。
……それでいいはずなのに。
君には僕じゃないと嫌だ―――――なんてそんなの僕のエゴだし、それを言ったら君は困るだろうか。
けど、困った顔もきっと可愛いんだろうね。
でも一つだけ我儘を言ってもいいだろうか。
もし、もう一度、君に会えるのだとしたら。
君に「今、幸せか」と問いたい。
―――――凪。
誰が僕にこの力を与えてくれたのかはわからない。
でもこれだけは言える。
たとえ僕が、未来にいっても過去にいっても。
「君には死なないでほしい」と―――――。
朝起きると、ポツポツと雨粒が窓ガラスを叩いていた。
昨日も雨、今日も雨。おそらく明日も雨だろう。
雨、雨、雨、雨、雨。
もううんざりだ。
一体誰が恵みの雨と言い出したんだろう。
私は雨から恩恵を受けた覚えは一切ないというのに。
雨なんて大嫌いだ。
体がだるくなるとか、片頭痛になるとかそんな理由ではない。
雨は私にあの日の記憶を想起させる。
―――――早く学校に行こう。
そうすれば少しは気が紛れるだろう。
雨の日はいつもそんな思いで家を出る。
「行ってきます」
私は玄関にある写真立てに今日も学校へ登校することを告げる。
中には、体格のいい男性と朗らかな表情を浮かべる華奢な女性、その二人の間には女の子が二人が写っていた。
それはとても幸せそうに。
「起立! 礼!」
今日もなんでもない一日が始まる。
雨の匂いがツンと鼻の奥を刺した。
私はそれから逃げるように、窓に背を向ける。
視線から少し離れた先には、椅子と机がまるで主を待ち続けているかのように鎮座していた。
もう、その席の主は戻ってこない。
戻ってこれないんだよ。
私にはもう何も残っていない。
私はあの日から、心に穴が空いたような虚無感とともに生きている。
『凪ー!』
『凪、起きろー』
『凪、また夜更かししたの?』
『なーぎー』
私は大事なものなんていらない。
作らないと決めている。
だって、私の大事なものは全て―――――。
無慈悲に奪われてしまうのだから。
「今日は転校生を紹介するぞー。じゃあ入ってきて」
転校生……ね。新しい学校での生活の始まりがこんな土砂降りだと、後先が思いやられそうだ。
「自己紹介を」
私は雨の光景と匂いと音、全てから遮断するように机に伏せた。その時だった。
「浅葱彩斗です!! 趣味はスポーツ全般!! よろしくお願いします!!」
雨の音に負けないぐらいの声量が教室中に響いた。
私は無意識に顔を上げた。
決して綺麗にセットされたわけでもなく、むしろ湿気で少し跳ね上がった真っ黒の髪、身長は私より少し高いくらいだろうか。そして私が一番気になるのは、ぱっちりとした大きな瞳。瞳孔が大きいからそう見えるだけなのか、吸い込まれそうだった。
彼のそのルックスとその声、それだけで教室の中の天気は一気に晴れた。
―――――不思議な人だな。
なんとなく直感的に。
「浅葱は、水波の隣に座ってもらおうか」
私の隣?
運悪く私には初対面の人で軽々しく会話できるほどのコミュ力を兼ね備えてはいない。
「凪さん! よろしくお願いします!」
「なんで、私の下の名前を……」
さっき先生は苗字しか言っていなかったはずだ。
「あ、えと……さっき職員室で座席名簿をちらっと見ちゃって!」
最初の間はなんなのか少し気になるが、ちらっと見ただけで人の名前を覚えれるとか、ある意味才能だ。
さっきまで煩わしかった雨音が一つも気にならない。
それは恐らくこの人のこの目と声だろう。
他の部分はまあなんというか……普通だ。
「あのー……僕の顔になにかついてます?」
しまった、見すぎた。
すぐに視線を逸らす。
「いや、なにも」
考えなくてもわかる。
彼は私とは真逆の人間だ。
なら関わらないほうが自分の身のためだし、彼の身のためだ。
まあ、端から関わろうなんて思っちゃいない。
ただ偶然に隣の席になったクラスメート。
それだけが、私と彼の今いる立ち位置。
なのに……。
「凪さん! 一緒に昼食食べませんか!」
「は……」
転校したてで色んな人が彼に話しかけているのを見た。もちろん、昼食のお誘いもあったことだろう。まさかのそれを押し切ってまで私と昼食をとるなど……もはや不思議を通り越して変わっている。
「好きにすれば」
「ありがとうございます!」
私の席に前の席をくっつけ、相席という形でお弁当を広げ始める。
別に断っても良かったが、それが原因で不仲になって大事になるほうがよっぽど面倒くさい。
彼より私のほうが後先思いやられそうだ。
「敬語はやめて」
「え?」
「同い年に敬語使うやつなんて見たことないから、タメでいい。あと名前も凪さんじゃなくて呼び捨てで呼んでくれたほうがしっくりくるから」
良好な関係を築くつもりはさらさらないが、同い年なのに敬語とか「さん」付けだったら周りから不審に思われそうだ。
「わかった!」
その場に流されて気づかなかったが、私とは初対面のはずなのに距離が異様に近い気がする。
まるで、今まで会ったことがあるかのような―――――。
「ねぇ、凪。一つ聞いていい?」
白米の最後の一口になるまで特に話さなかったのに、最後の一口を口に入れようとした時そう尋ねられた。
「何?」
私と違って、明るいやつだから趣味は何? とか最悪の場合、休日暇なら遊びに行こう! とか誘われるかもしれない。彼の考えてることはいまいち予測不可能だからありえない話ではない。
もしそう言われたら即断ろう。
「凪は今、幸せ?」
最後の白米を運ぶ箸の動きが止まる。
初対面の相手に普通そんなことを聞くか?
やっぱり私は彼とどこかで会ったのだろうか。
どうもその記憶は私の引き出しには入っていなかった。
「なんでそんなこと聞くの?」
「まあいいから!」
それでは理由になっていないのだか……。
ニコッと微笑み、大きな目が一気に細くなる。
幸せ……か。
そんなこと考えたこともなかった……というか、考えないようにしてきたという方が正しい。
幸せになりたいという願いは、あの日からもう望んではいない。
私はもう幸せになんてならない。
そうすれば、大事なものなんて必要なくなるし、私もその方が気が楽だと知った。
「幸せじゃないよ」
幸せか? と聞かれたら幸せではない。
だけど今日あったばかりの彼に私の何かを言う義理はない。
その時彼は「じゃあ!」と言ってバッと立ち上がる。
ガガッと椅子が床を擦る音が床を伝って私の椅子に響いた。
「君が幸せになるまで僕と付き合って!」
このたった一言を理解するのに数秒かかったのは、相手が私でないくても同じことだっただろう。
付き合って……つきあって……ツキアッテ……。
さっきの言葉を無意識に頭の中で反芻していた。
いや、待て待て待て。
「一応聞くけど、その付き合ってというのは……」
「もちろん、彼氏彼女の方!」
突拍子もないにも限度がある。
そんな純粋無垢な目を向けられてもこっちが困るだけだ。
彼の言葉を一つ一つ噛みしめるように頭で整理をしてみる。
結局脳が処理しきれず、その代わりに山程の質問が浮かんでくるだけだった。
「私達ってどこかで会ったことある?」
聞けたのはそれだけ。
私は今でこそ、1人で学校生活を送っている。
それまではどこにでもいる、人と関わるのが好きな女の子。
今は人と関わる気なんてない。
だけど、こんな明るい男子と出会ってたら間違いなく忘れない。
けれど、彼についての記憶を探そうともう一度私の中の引き出しを開けても出てくることはなかった。
「ううん! ないよ!」
ほら、やっぱりだ。
私はハアとため息が溢れた。
「私が幸せになるまで」だって?
なんともくだらない条件だ。
そんな考えはとっくに捨てたというのに。
今更どうこうするつもりもない。
「初対面の人と付き合うのは反対。君みたいな人なら私じゃなくても他にいい人いるでしょ。それに私はもう……幸せになりたいなんて思ってないし」
そもそも付き合うというのはお互い好き同士じゃないと成り立たないもの……だと思う。
今日あったばかりで、それも「私が幸せになるまで」という条件付きなら、彼は私に好意なんてないわけで。
それは私も同じ。
というか、なんで私は彼にこんなことを話しているんだか。
これ以上会話を続けても時間の無駄だと判断した私は席を立ち上がった。
その時腕をガッと掴まれた。
「ダメだよ……それじゃあ……絶対、ダメ」
「浅葱……?」
さっきの笑顔をとは一変して、眉をよせ苦悶の表情を浮かべている。
そんな表情もできるんだなと少し驚く。
「じゃあこうしよう」
手をパッと話し、私の目を真っ直ぐ見る。
「僕が君を幸せにするよ! それなら僕の勝手だし、君は何も困ることはない。いいでしょ?」
多分彼みたいな人間は何を言っても無駄なタイプだ。
でも……なぜだろう。
彼の吸い込まれそうで、見透かされそうなこの瞳を見ていたら自然と口が「はい」と紡いでいた。
重い手で鍵を穴に差し込む。
ガチャと音がし、扉を開けおぼつかない足取りで自室へと向かう。
部屋に入るなり、カバンを床に放り投げ脱力するようにベッドへ倒れ込んだ。
ボフッという音とともに少しホコリが舞ったが、それも気にする余裕もなくなるぐらい疲弊しているのは、確実に浅葱のせいだ。
なんで私、「はい」なんて言ったのかな。
別に断っても良かったじゃないか。
そう、そうだ。あれは脅迫だ。
浅葱の言葉が……浅葱のあの目が、断ることを許してくれなかった。そう私は感じたのだから仕方がない。
疲れに身を任せるように瞼を閉じた。
決して心の奥底に眠る昏いこの感情に気づかないふりをしたわけではないと、自分に言い聞かせて。
やはり、私の予想通りだった。
「凪ー!!」
この梅雨の時期には似つかわしくないほどの、晴れやかな声が私の名前を呼ぶ。
何が予想通りって、今日の天気が雨だったことに決まっている。
朝の登校時間で浅葱に会うなんて馬鹿げた現実は、もし天地がひっくり返ったとしても予想がつかないことなんだから。
「何よ、朝っぱから。そんな大声で話しかけないで」
「ひどいなー。僕はただ、凪が見えたから呼んだだけなのにー」
少し強めの言葉で言い返したら離れてくれるかと思ったが、そんなものはお構い無しにと私の隣を平然と歩いている。
どうも近すぎる彼と適切な距離を置く方法を考えていたら、頭が痛くなってきた。
「ねね! 今日の放課後とか空いてる? 二人で遊びに行かない? ほら、席隣同士だけど僕、まだ凪のこと全然知らないし。遊びに行くのを機会に凪のこと聞かせてよ。いいでしょ?」
マシンガントークのように喋る浅葱にイライラしてきた。
理性を保たないと……だけど、今の彼を目の前にした私には不可能だった。
「ねえ、ねえってば!」
「うるさい!!」
私の怒号が雨音をかき消す。
その声で同じ制服を来た生徒が私達をチラチラと見ているが、そんなことは気にせず私は感情に任せるがままに口を動かす。
「なんなの、あんたは! 何で私なんかの所に引っ付いてくるの!? いい加減にしてよ!!」
怒りに任せるがまま、人の目が晒される前で私は彼に怒鳴っている。
「私は、浅葱が勝手に私を『幸せ』にするって言うから了承したわけで、私自身がそれに干渉するなんて一言も言ってない!」
「で、でも……」
「言ったでしょ!? 私はもう『幸せ』になろうなんて思ってないの!! だから他人と関わることもやめた! だからもう放っておいてよ!」
その時、浅葱は困ったような泣きたくなるようなそんな顔で、私を見ていた。
なにか言いかけた彼を置いて私は学校へと走った。
やってしまった……。
浅葱と私は今席が隣同士なわけで、朝あんなことがあったら気まずくて仕方がない。
自分がまいた種とはいえ、あれは申し訳なかったと反省している。
でも、浅葱があんなことを言い出したせいもある。
って、そんなことをうだうだ考えていたら、浅葱とは一言も喋らないままいつの間にか放課後になってるし。
荷物を整理している浅葱を横目で見ながら、自分も荷物をまとめる。
浅葱が席をたった瞬間、私は浅葱の腕を掴んだ。
「ご、ごめん!」
……待って。私は何を言っているんだ?
朝、私が怒鳴ったのは紛れもなく浅葱のせいであって、私のせいじゃない。
私は……悪くない。
「朝のこと謝る……だから……!」
ここで私が浅葱を引き止めなかったら、彼はきっと私から離れていっただろう。
その後はいつも通りの……一人ぼっちで、他人とは無関係の生活が戻ってくる。
ほら、私がずっと望んでいたことじゃないか。
なのに、なんで……なんで。
「離れないでよぉ……」
あれ、涙を流したなんていつぶりだっけ。
事実、私は会ってまだ2日の彼に縋りつこうとしている。
あれだけ関わらないでって威勢を張ってたのに、なんとまあ無様な姿に笑いたくなる。
涙を拭おうと彼の腕を掴んでいた手を離した時。
「凪……」
フワッと暖かいものに包まれ、視界に入る光量が少なくなったのがわかった。
雨の匂いの代わりにシトラス系の匂いが私の鼻をくすぐる。
もしかして、いやもしかしてなくても。
私は今浅葱に抱きしめられている。
「あ、浅葱……何して……」
「彩斗」
予想していた回答と違った回答が返ってきて「へ……?」という情けない声が出る。
「これからは彩斗って呼んで。そしたら許す」
「な、何で?」
「だって、僕が凪のこと凪呼びなのに、凪が僕のこと浅葱呼びだなんて、ずるくない?」
パッと視界が明るくなり、目の前にはフフッと笑う浅葱の姿があった。
本当にそれだけでいいのだろうか?
私、あんな酷いこと言ったのに。
「それに、あれは僕が無神経だったこともあるし、これ以上はとやかく言う立場じゃないっていうか……」
「彩斗」
ブツブツと小言が多い彼を「彩斗」と呼んでみた。
その瞬間、彼の口の動きは完全に止まった。
「これでいいの?」
私がそう言うと彩斗はうんうんと、もげそうなぐらい首を縦に振っている。
これだけで、機嫌が良くなるなんてなんて単純なんだろう。
まるで餌を前にした仔犬みたい。
「なにそれ……」
そんな彩斗がおかしくて、自然と口元が緩む。
「凪が笑ってる……」
彩斗にそう言われ、私の口角が上向きに上がっていることに気づいた。
さわさわと頬を触っている私をじっと見ていた彩斗が言った。
「凪って、可愛いね」
彩斗にとっては何気ない言葉かもしれないが、私にとっては爆弾みたいなもの。
「可愛い」なんて家族以外で、それも同い年の男子から言われたのは初めてだった。
頭が真っ白になり、顔が熱くなるのだけはわかった。
「もう、彩斗って呼ばないから!」
「ええー! なんでー!?」
ああ、楽しいな。
何で忘れてたんだろう。
こんなどうでもいい会話をしたり、怒ったり泣いたりして過ごす時間を。
私は失うことが怖かった。
あの日からずっと。
「これからも、私に話しかけてくれる?」
彩斗が席をたったあの時、もう彩斗が私のもとに帰ってこなくなる気がした。
だから私は彩斗の腕を掴んだ。
もし、神や仏がこの世にいるのだとしたらお願いがあります。
どうか、もう二度と……。
『凪……』
『待って! いかないでよ……! 私を……置いていかないで……! 一人にしないで……』
「もちろんだよ」
私の側にいてくれる人たちを奪わないでください。
「凪!!」
「凪ー課題の答え見せてー」
「今日筆箱忘れたからさ、シャーペンと消しゴム貸してくれない?」
彩斗と和解した日から、彼は必要以上に私に絡んでくるようになった。
今でも面倒くさいとは思うけど、意外と居心地が良いから、まあ一緒にいてあげてる。
と言っても、話しかけてくれって言ったのは私なんだけどね。
「今週の土日、二人でどこか遊びに行かない?」
梅雨明け、窓の外も眺めれるようになった頃、彩斗からそう誘われた。
あの時も誘ってくれたけど、私がキレちゃったから……。
誰かと遊びに行くのもいつぶりだっけ。
でも……楽しそう。
彩斗となら―――――。
「うん、行く」
土日になり、彩斗との出かけ先は海だった。
ちょうどこのぐらいになると、海開きの時期だ。
頭上から降り注ぐ日光がジリジリと照らす。
私は白のワンピースに日傘を一本、彩斗は白のTシャツにベージュの短パンといったお互いに簡素な服だ。
私は日焼け止めを塗っているから多少マシだが、彩斗は悔しいほどに私より肌が白いから、焼けるのではないかと少し心配になる。
そんな暑苦しかった外だったが、涼しい潮風が私達の体を撫でるように吹いた。
私はなんで海なの? と聞いた。
「まだ海開きになったばっかりだし、人も少なくていいかなって!」
なんとまあ、彩斗らしい意見だ。
想像通りの理由で思わず、笑ってしまう。
ザザァッとさざなみが聞こえる。
「彩斗、なんで泣いてるの?」
彩斗は私をじっと見たまま固まってしまって、目からポロッと一筋の涙が頬を伝っていた。
「え? あ……いや、ちょっと砂が目に入ちゃって」
ゴシゴシと目を擦り、ニコッと笑ってみせる。
今、何か隠した?
そう思うほどの不自然さに私は思い出した。
この前も……私と付き合おうって言い出したときもそうだった。
彩斗はいつもどこか苦しそうなんだ。
まるで、一人で何か大きなものを抱え込んでいるようで。
でも、聞けなかったのは、多分……。
「暑いから僕、近くのコンビニでアイス買ってくるね!」
と物凄いスピードで砂浜を駆けていった。
次第に姿が見えなくなり、このだだっ広い砂浜にポツンと立っている。
近くにあったベンチに座り、さざなみの音を聞きながら足をブラブラと揺らしていると、頬に冷たい何かが当たる。
「ひゃあ!」
あまりにもびっくりして、変な声が出てしまった。
「何その声……」
ケラケラと笑う彩斗を見ていると、羞恥心が襲ってきて口を手で覆う。
「はい、これ。凪の」
と渡されたのは、かの有名なアイスメーカーのいちご味のアイス。
「ありがとう。でも、私がこのアイスが好きなの、言ったっけ?」
私は一度も彩斗にその話はしていないはずだ。
なのに、なんで。
「えっと、それは……」
そうやって、また笑いながら誤魔化そうとしている彩斗にしびれを切らし、つい聞いてしまった。
「ねえ、彩斗。私に何を隠してるの?」
私がそういった時、彩斗の顔から完全に笑顔が消えた。
まるで、隠していたことが親にバレてしまった時の子どものように。
笑顔が消えてしまった彩斗を見て、迂闊だったかもと思ったが、ここまで来たら聞いてしまおう。
「彩斗って転校初日から私との距離が近かったし、さっきも私の好みも知ってて、それに……いつも笑ってるように見えて苦しそうだったから放っておけなくて」
待って、最後のはまるで私が彩斗のことをずっと心配してるみたいで、なんか誤解されそう。
でも、言ってしまったものは仕方がないし、それに彩斗ならまあ、そんなこと気にしなさそうだし、いっか。
「これから僕が言う事、全部信じてくれる?」
彼の表情はさっきの嘘を吐くものとは全く違った。
―――――私は、彩斗の言う事を信じたい。
私は頷いた。
「僕ね、未来から来たんだ」
初日の交際の申込みと言い、まだ彼の言うことには予測ができなくて困ったものだ。
けれど、未来からか。なんとも非科学的なことだこと。けど、妙に納得してしまうのは相手が彩斗だから?
じゃあ、彩斗なら……。
「未来から来たなら私の未来ってどんな感じ?」
私の好みも知ってるくらいだし、未来の私達は関係があって、それくらいの仲なんだろう。
そんな出来心で聞いた……はずだったのに。
「あ……えっと……」
彼の表情が一気に曇り、これ以上は聞いてはならないと雰囲気でわかる。
そのぐらい、彼の表情は重かった。
天気は快晴で絶好の海日和だというのに、周りを晴れにするような力のある彼は今日は雨のようだった。
私はなんとなく察しがついた。
「もしかして、死んでるとか?」
俯いていた顔をあげ「どうして……」と呟いている。
私はああ、やっぱりと思った。
「私ね、ずっと死にたかったんだ」
そう、ずっと、私はずっと死にたかったんだ。
自分でもこの気持ちに気づかないふりをしていたのに。
彩斗に話すつもりなんてなかったのに……。
「だから、『幸せ』にもなりたくないの、ごめんね」
なんの謝罪なのか、多分わかってる。
私がずっとこんなことを思っていたら、私を「幸せ」にしてくれる彩斗に申し訳なくなったんだ。
いやでも、彩斗は勝手に私を「幸せ」にするのであって、私は何も悪くないのでは?
自分で何を言ってるかよくわからなくなってきた。
私がそう言った瞬間、彩斗は私の肩を掴んだ。
「何……」
「なんで……なんでそんなこと言うの……?」
力強く掴まれた肩が痛みだして、文句を言おうと思ったが……彩斗がポロポロと涙を流していることに気づいて私は何も言えなくなった。
「折角凪と会えたのに……僕が凪を『幸せ』にできなかったら、僕は……なんのために」
彩斗がなぜこんなにも私を「幸せ」にすることに執着しているのか……どれだけ鈍感でもわかるだろう。
「僕は凪が好きなんだよ……ずっと……ずっと前から……だから、死にたいなんて言わないで。お願いだから」
押し殺すように泣く声が耳元で聞こえ、落ちる涙が私の服をジワリと濡らしていく。
さざなみの音と彩斗のすすり泣くような声しか聞こえない。
彩斗が私を「好きだ」と言った。
自分の心臓が普段よりも早く脈打っているのがわかる。
それよりも私はその後の言葉が気になった。
―――――ずっと前から。
その「ずっと前から」というのは、間違いなく未来で私と彼が出会う前の出来事を指していないと辻褄が合わない。
「ねえ、彩斗。やっぱり、私達どこかで会ったことがあるの?」
彩斗の言っていることが正しければ、私達は学校で会う以前に会っているということになる。
彩斗は頷いた。けれど。
「ごめん、言えない」
それだけ答えた。
彩斗は全部話してはくれなかった。
私、何してるんだろう。
久しぶりに誰かと遊ぶ休日だったのに、あんなこと言うんじゃなかった。それぐらいちょっと考えたらわかることだった。
それにあんな顔されたら、私もあれ以上言えなくなった。
彩斗が言ってたことを整理すると、多分私達は今までどこかで会ったことがあって、それで彩斗は私を好きになって、だけどその後私は死んで……。
彩斗が私をどれだけ好きなのかはわからないけれど。
好きな相手がいなくなる気持ちは私が一番よく知っている。
それなのに本当に私、余計なこと言っちゃったなぁ。
あーと自己嫌悪に陥る。
休日明けたら謝ろう。
それで、許されるのかは本人次第なのだけれど、それでも謝ろう。
これからも彩斗と一緒にいるためにも―――――。
「え? うん! 大丈夫だよ! そんなに謝らなくても」
あまりの返事の軽さに無駄に緊張していた体が一気に脱力する。
「僕はただ、凪を『幸せ』にして凪の生きてる世界にする。それができたら十分だよ」
柔らかく笑う彩斗を見ていると胸が苦しくなる。
彩斗は私がこれからどうなるかを私に知られないように、ずっと笑顔で隠してた。
私なんかのために。
彩斗の優しさに触れるほど、つくづく自分を嫌いになっていくのはなんでだろう。
きっと、彩斗はなくなってしまう相手がいるからこそ、彼は前を向いて私を「幸せ」にしてくれようとしている。なのに、私は……あの日からなんにも。
変われてない―――――。
「……凪……凪!!」
彩斗の声がはっきりと聞こえ、我に返る。
目の前に彩斗の大きな目があって、体が動かなくなってしまう。
「顔色、悪いよ?」
右手で私の頬を触り、顔色を確かめてくる。
少し冷たい手のひらにビクッと体が反応する。
あれ、たしかに、体が少しだるいかも。
視界もグラグラ揺れるし、息もしづらい。
「凪、保健室行こう」
手を握られ、否応なしに教室を出た。
さっきは手冷たかったのに……今は暖かい。
ジンジンと伝わる彩斗の体温が手のひらにはとどまらず、全身を侵食していくような感覚に当惑する。
……なんてそんなのは体調が悪いせいであって。
違う、絶対……そんなんじゃない。
「ほら、熱ある。横になってなよ」
勝手に保健室の体温計で体温を計り、横にさせられる。
まるで子供扱いなのが、なんか気に食わない。
心がモヤモヤするこの感覚をうまく言葉にできる自信がない。
「もしかして無理してた?」
布団を私にかけたあと、彩斗はそう呟いた。
「全然気づかなかった……それなのに休日連れ回ちゃって、本当にごめん」
顔を歪ませ、私に背を向けた。
どうして、そんな顔をするの?
とにかく笑って自分のほんとうの気持ちを隠そうとする彩斗よりも、何かに苦しむ彩斗を見るほうが私は嫌だ。
「私、彩斗と遊んだの楽しかったよ……彩斗は、楽しくなかった?」
彩斗は振り返り、保健室では静かにという規定を堂々と破るほどの大きな声で「そんなことない!!」と叫ぶ彩斗を見て少しびっくりした。
「じゃあ、そんな顔しないでよ」
私の言葉に彩斗はまた泣いてしまった。
意外と泣き虫なのかなと思ってしまうほど、彩斗の涙腺は緩い。
こんなに自分のことを想って泣いてくれる人がまだいたことに、私はただ素直に嬉しかった。
「あ、もうすぐ予鈴がなる。僕、もう行くね」
立ち上がり、ベッドから離れようとした彩斗の動きがピタッと止まった。
どうしたんだろう? と思ったが……違う。
私が彩斗の制服の裾を掴んでいたのだ。
自分でも自分の起こした行動の意味がわからなかった。
ぱっと手を離し、誤魔化すように今度は私が彩斗に背を向ける。
「凪……」
「ごめん、なんでもない。授業遅れるしもう行ったら?」
ああ、私はどうしてこうも意地を張ってしまうのか。
もう少し言い方というのがあるだろう。
だから、私は私が嫌いなんだ。
その時ギシッとベッドが沈んだ。
振り返ると、彩斗がベッドの端に座り、予鈴があと数秒で鳴りそうだというのに、その場から一歩も動かない。
「僕もここにいようっと」
予想通り、キーンコーンカーンコーンと今すぐにでも壊れそうなチャイムが授業の始まりを告げる。
「なんで……?」
「なんでって、凪が好きだから」
サラッと好きと言ってくる彩斗には恥ずかしさというものはないのだろうかと、ここまでくると呆れてしまう。
「僕の服を掴んでまで、離れてほしくなかったんでしょ?」
「……っ」
「ほんと、そういうところも可愛いよね」
よくもまあ、そんな言葉をペラペラと。
彩斗じゃなくて、こっちが恥ずかしくて堪らない。
「うるさいっ……」
そんな言葉しか出てこない自分に叱ってやりたくなる。
それでも、彩斗はニコニコと笑ってくれる。
今度は、嘘じゃなくて本当の笑顔で。
だからいつもと違うその表情にドキッとする。
さっきから、心臓が騒がしいのは熱があるから。
でも、この痛みがなんなのかは知らない。
いや、知っていたのかもしれない。
けれど、それを知りたくない気持ちと言いたい気持ちが入り混じって、私はその感情に蓋をしてしまった。
私を「幸せ」にしたいという彼の優しさ、こんな私を真正面から「好き」って言ってくれる誠実さ。
今まで他人に向けられたことがなくて新鮮に感じているからであって。
私が私に正直になれる日はいつか来るのだろうか。
「ねぇ、凪」
窓の方を向きながら、彩斗が私の名前を読んだ。
窓からフワッと一陣の風が吹いて、彩斗の短い髪が後ろへと靡く。
梅雨の時みたいに湿気を含みジメッとした風ではなくて、乾いていてでもどこか爽やかでとても心地良い。
「僕から告白しといてなんだけど、返事はしなくていいんだよ」
口ではそう言っているくせに、振り返った顔は寂しそうだった。
だから私は「なんで?」と聞いたんだと思う。
「だって、僕はこの世界の住人じゃないしね。この世界にはこの世界の僕がいるから」
ということは、この世界には今彩斗という存在が二人ということになる。
あまりにも非現実過ぎるが、まるで一つの物語みたいで少し面白い。
「でも、その代わりに一つだけ教えてくれないか?」
顔を少し近づけ、彩斗はある質問をした。
それに、答えるか答えまいか……彩斗には知られたくなかった。
けれど、彼が未来の住人であるなら、結果は同じなんだ。
「なにが、君をそんなに死にたいって思わせてるの?」
彩斗は私を認めてくれているし、私はその優しさに答えたい。
彼は自分の気持ちを正直に話してくれた。
なら、私も正直に話したい。
―――――私の過去を、私の全てを。
私の家族はもうこの世にはいない。
それ以前は、幸せを絵に描いたような家族だった。
あれが、私の「幸せ」だったんだ。
そして、こんな私と仲良くしてくれた彼女も……。
あの日、私が中学3年の時。高校の合格祝いで、家族と少し遠くまで旅行することになった。
両親は「陽毬も誘ってみたら?」と提案した。
日向陽毬。責任感も強く人望に厚い彼女は周りからも慕われ、その上顔もよく整っていた。私が「陽毬」と呼んでいた彼女とは、よく私の家にお泊りしていたぐらい親しかったし、彼女も私と一緒に同じ高校に受験し、一緒に合格した。だから彼女の両親も了承した。
まあ、所謂幼馴染っていうやつだ。
昔の私だって、今みたいな内気な性格じゃなかった。
どこにでもいる……人と関わるのが大好きな女子高校生。
あんなことが無ければ……。
行く途中、大雨が降った。
前の車が見えなくなるほど降り、雨粒が車の天井を叩く音が尋常じゃないほど鳴っていた。
せっかくの旅行なのに……でも家族も陽毬も一緒ならそんな雨でも楽しかった。
「今日は何するの?」
「とりあえず、ホテルについて荷物をバラして、そのあとは二人が行きたかった場所に行こうか」
「やったー!!」
私は、こんな生活が続けばそれで良かったんだ。
家族と旅行行って、陽毬となんでもない会話をしたりするだけで良かったのに……。
車が曲がり角を曲がった瞬間、水たまりで車のタイヤの足がとられ大きくスリップした。
その反動で車は横転し、そのまま滑ってガードレールに激突し、少しして車の動きが止まった。
最初は何が起こったのかわからなかった。
運転席と助手席に座っていた両親はピクリとも動いていなかったし、視界が悪くてよく見えなかったが手から赤黒い液体が滴るのが見えた。
陽毬……陽毬は?
私の隣りに座っていた陽毬は、横転した衝撃で地面に叩きつけられ頭から血がとめどなく流れていた。
陽毬は私の下敷きになっていたのだ。
回らない頭で、体を起こし陽毬を揺らす。
頭がグラグラと揺れ、あ、とか、う、とか言葉になっていない声を聞き、ようやく今の状況を理解した。
「い、いやあああああ!! ねえ!! なんで!! ねえ!! 陽毬!! お母さん! お父さん!!」
なんで? さっきまで楽しく会話して……それで……それで……。
それで……。
受け入れたくない現状に私は叫ぶことしか出来なかった。
「な……ぎ」
頭と虚ろな瞳をこちらに向け、私の名前を弱々しく呼ぶ。
「ひ、陽毬……?」
頭から流れた血が目に入り、目が赤く染まっているのが見えた。
私は、陽毬の手を握った。
そのときヌルっとした感覚がし、その時はじめて自分の腕が怪我していることに気づいた。
腕だけじゃない。少しだけど頭から血が出ている。
この怪我ですんでいるのは、陽毬が私の……。
「凪……あなただけは……」
陽毬はそう言った後、目をゆっくりと閉じた。
「待って! いかないでよ……! 私を……置いていかないで……! 一人にしないで……」
私がどれだけ手を強く握っても、彼女の目は二度と開くことはなかった。
人の声も車の音も聞こえなかった。
外では雨音だけがうるさく響いていた。
「そう……だったんだね」
まあ、確かにこんな話をされて何も言えないか。
「つらかったね」とか「寂しかったね」とかじゃなくて、「そうだったんだ」と言える彩斗は優しい。
「だから、私は『幸せ』になっちゃいけない。みんながいない世界で生きてる意味なんてないんだよ」
その時ズキッと胸が痛んだ。
私を「好き」と言ってくれた彩斗にこんなことを言うなんて、私はなんて酷い人間なんだろう。
でも、正直に話さない私では彼の隣に立つべきでない気がして。
私はこれからも彩斗と一緒にいたいんだ、これからもずっと。
いつの間にかそう思うようになっていた。
「じゃあ、凪の家族と陽毬さんは君に死んでほしくて死んだの?」
「違う!!」
彩斗と言葉を重ねるように私は叫んだ。
違う、そうじゃない。
その時、私はずっと忘れてた……思い出さないようにしていた陽毬の最後の言葉を思い出した。
『凪……あなただけは……生きてね』
思い出さないようにしていたのは、それが私にとってただ自分がこの苦しみから逃げるための口実だったらいいという願望。
なんとも酷い話だ。
「君は、誰にも置いていってほしくないって言ってたのに、僕のことは置いていくの?」
私の考えはいつだって浅はかだった。
正直に話したら彼の隣にいれる……そんなものは綺麗事で「生きたくない」と言った時点で私は彼の気持ちなんて考えていなかった。
それを改めて思い知った。
「ごめん……ごめんなさい……」
本当は彩斗が泣きたいはずなのに、私のほうが涙を流している。
私という存在は、どこまでも薄汚く汚れていて、被害者面してるただの偽善者だ。
「ううん、話してくれてありがとう。けど、僕は僕が好きな凪が生きてくれれば……他はなにもいらないんだよ」
それでも、彩斗が言った私を「好き」という言葉は、こんな私でもいいということだと……そう自惚れてもいいのだろうか。
溺れてもいいのだろうか。
優しく、頭を撫でる手先が繊細で心地よくて安心できる。
私も彩斗が隣りにいたら……私が彩斗の隣りにいられたら、なにがあっても大丈夫な気がする。
彩斗は私の前からいなくなることは絶対にないと言い切れるぐらい、彼は私に「生きる」ことの大切さを教えてくれる。
「好き」でいてくれる。
今でも、未来でも、ずっと―――――。
これからも彩斗の「好き」な私でいるために、私は私として生きる。
彩斗の手を両手で握ると、彩斗は少しびっくりした後耳まで真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
あれだけ私のこと「好き」って言ってたのに、手を握っただけで顔を真っ赤にするなんて、意外とウブなんだなとおかしくて笑ってしまう。
指は細いのに、全体的にゴツゴツしていて彩斗が男の子なんだと改めて認識させられる。
彩斗の手の温かさに瞼を閉じた。
彩斗はいつだって、私の見てない世界を見させてくれる。
今になって気づいた。
私も彩斗が好きなんだ。
ずっと一人でいいと思っていた私だ。それも未来の人間を好きになるなんて。
本当にどうかしてる。
それでも私は彩斗が好きだ。
そう伝えたら、彩斗はどんな反応するのかな?
喜びのあまり叫んでしまうのか、目を見開いてそのまま固まってしまうのか。
早く、見てみたいな……。
いろんな彩斗を想像しながら、私は眠りに落ちた。
ハッと目を覚ますと、最初に飛び込んできたのはベージュの天井でも、薄ピンク色のカーテンでもなく、彩斗の顔だった。
寝起きで脳が働き始めるのに少し時間がかかったが、今の状況はおかしいと判断した瞬間「ぎゃあ!」という男子並みの声量を上げながら、勢いよく上体を起こすと彩斗と私の顔が思いっきりぶつかる。
ゴツッと鈍い音がなり、二人で頭を押さえる。
痛みで生理的な涙が出てくる。
「寝起きでそれならもう体調は良さそうだね」
おでこ部分を擦りながら、微笑む彩斗。
それを見た瞬間私は、顔を反対方向に向けた。
彩斗が「好き」だと自覚したからか、彩斗の顔がまともに見れない。
恋ってこうなの? 相手の目を見て話せないとか不便すぎる……。
「凪?」
今までは大丈夫だったのに……彩斗に名前を呼ばれるだけで、心臓が口から出そうだ。
布団がぺしゃんこになるまで強く抱きしめ、そこに顔を埋める。
「まだ体調悪い? 顔も赤いし」
見ないで、見ないで、見ないで!
そんな思いも虚しく、頬を両手で掴まれ強制的に彩斗の方へと向けさせられる。
そして……互いのおでこをコツンとくっつけたのだ。
「熱はないみたいだね」
顔から火が出そうとはこういうときに使うのだろうか?
彩斗の顔が数センチ先にあるのに耐えれなくて、私は彩斗を手で押しのけた。
早く彩斗のいるこの空間から抜けないと、正気でいられない。
ベッドから足を下ろし、そそくさと保健室から出たかったのに、右腕を彩斗に掴まれた。
「本当に大丈夫?」
保健室から出たいから腕を離してほしいと思う自分と、それを振りほどくことも出来ずそれどころか離してほしくないと思う自分がいる。
矛盾だからけな感情にどうしていいかわからなくなる。
「言いたいことがあるならはっきり言ってほしい」
まっすぐに……何色とも言えない瞳が私の心まで探るように突き刺した。
頭と心がぐちゃぐちゃだった私はつい口を滑らしてしまった。
「……き」
あまりにも小さな声に彩斗は「ん?」と聞き返す。
なんで、人の考えてることを的確に突いてくるくせに肝心な所はこうも鈍いのか。
「彩斗が好きって言ったの!! そのぐらい察しなさいよ! この鈍感! 馬鹿! アホ!」
今から言う事の恥ずかしさと鈍い彩斗への怒りで、小学生レベルの罵倒を浴びせる。
あーあ、漫画とかアニメだとこうロマンチストな展開で告白するのが定番なのに、これはそういう雰囲気の欠片もない、ただ感情をぶつけただけの一方的な告白。
高校生になって初めての青春、恋愛。
もっとこう……なんかあったでしょうが。
「え……本当に?」
私は頷いた。
その時の彩斗の表情はどのように表現するのが的確なのか、私にはわからなかった。
だって、彩斗は私を「好き」って言って、私も「好き」と返した。
普通に考えて、両想いというわけで彼にとっては嬉しいことだろうに……その顔はとても寂しそうだったから。
しかし彩斗が返事をしなくていいと言った理由がそこにはあった。
「ありがとう……けど、僕はずっとここにはいれない。いつかは未来に帰らないといけなんだ……ごめん」
彼と私では物理的な意味で住んでいる世界が違う。
当然の結果だった。
それでも私は彩斗が「好き」なんだから。
いいじゃないか、それで。
「謝らなくてもいいよ」
「……僕がここに居続けたら、僕と凪が出会ってない世界になるかもしれない……それだけは絶対嫌だから……」
顔を両手で覆って小さく蹲りガタガタと震える彩斗を見ていられなくて、私は彩斗を抱きしめた。
「なら……何度も過去に戻って、私を『幸せ』にしてよ」
彩斗の震えがピタッと止まった。
「本当にそんなことができるのかはわからないし、私には過去にもどる方法も知らないけど、やってみる価値はあるんじゃないかな。だって、彩斗は私に『幸せ』でいてほしんでしょ?」
やっと彩斗が顔をあげた。
涙で顔がグシャグシャな状態で、子どものように「うん」と同じ単語を繰り返していた。
その姿は「本当に私を『幸せ』にしてくれるんだ」と思わせるには十分だった。
「じゃあ、凪も僕と一つだけ約束してほしい」
私の右手の小指にそっと自分の小指を絡めた。
「未来でこの世界の僕と出会ったら、その時は話しかけてね」
そう私に微笑んだ彼は、寂しそうだったけど最初に出会った頃の笑顔よりよっぽど良い表情をしていた。
「もし無視したら?」
「泣いちゃうかも」
「もう泣いてんじゃん」
プッと吹き出しそこから誰もいない保健室で二人一緒に馬鹿みたいに笑いあった。
彩斗と出会って一ヶ月ほど。
本当に色んなことがあったな。
けど、もし私が死んでいたらこんなふうに笑い合うこともなかった。
今までの私にあったのは傷と痛みと苦しみだけだった。
必ず訪れる日々を何度も呪い、憎み、奪われた大事なものは二度と戻らないこの世界で何度「死にたい」なんて思ったことだろう。
でもこれからは彩斗がいる。
それだけで、私の心は少しずつ癒えていく。希望が照らされる。
「明日」を生きようと思える。
「一緒に帰ろう」
明日は晴れだろうと思わせるほどの茜色の斜光が差す中、私達は帰路を歩いた。
その次の日から、彩斗が私の目の前に現れることはなかった。
―――――4年後。今や私は大学生となり、昔のように人とたくさん関わり大学生活を満喫している。
そんなある日の夜、私は大学の友だちと3人ほどで飲食店でお酒を片手にレポートがどうとか、アルバイトがどうとかの話をしていた。
私は友達と違って、お酒に強くはないが全く飲めないわけではない。
そんなどうでもいいようなどうでもよくないような話をしながら飲んでいた時、隣の席に同い年ぐらいの男性3人ぐらいが椅子に腰掛けた。
隣の席だからか、別に聞きたいわけでもないのに、聞き耳を立ててしまう。
その中にそれは聞こえた。
「そういえばさ、プレゼンの準備大丈夫なの?」
「大丈夫だって。どうにかなるさ!」
「どうにもならないから、心配してるのに」
「本当彩斗って心配性だよな」
私はガバっと席をたち、テーブルの上の食器がガタガタッと鳴ると同時にその人の腕を掴んだ。
彼はびっくりして、私を見て固まってる。
「ちょっと、こっち」
腕を引っ張り外へ連れ出す。
真っ黒の髪、丸い目に何色とも言えない瞳。
それらの情報が彼を「彩斗」だと確信させる。
背だってあの時は私と変わらなかったのに、大人になった「彩斗」はここまで大きくなるのか。
それに比べて高校時代から対して伸びていない私。
少し悔しい。
「あのーどちら様でしょうか?」
この「彩斗」は高校生の私の前の私に会った「彩斗」。
だから、今の彼には高校生の私の記憶はない。
それは以前「彩斗」が教えてくれた。
「彩斗」がいなくなったその日、未来に帰ったんだと……そう思わざるをえなかった。
私をこんなに「好き」にさせておいてなんの前触れもなくいなくなるなんて、なんて薄情なやつなんだと……私も未来に行って正直そう叱ってやりたいくらい。
でもそうしないといけないほど、私の未来を守りたかった「彩斗」の優しさはもう痛いほどわかってる。
それでも、「彩斗」のいない日々は心細く……恋しかった。
けれど、今こうして私の前に来てくれた。
「凪。水波凪」
それだけ答えると、彩斗は大きく目を見開き、「本当」の笑顔を浮かべた。
―――――ねえ、彩斗。見てる?
私今もこやって生きてるし、約束通り君に話しかけたよ。
君が私に一ヶ月かけて与えてくれた、「幸せ」という未来の中で。
私あの後の日々はすごく楽しかったよ……「幸せ」だったよ。
作るつもりなんてなかった友達もたくさんできて、全然一人ぼっちじゃなくなった。
むしろ、遊びに誘われたり、部活や生徒会まで勧誘されたり、色んなところに引っ張りだこで毎日忙しかった。
それも全部君のおかげだ。
彩斗。
海に連れて行ってくれてありがとう。
看病してくれてありがとう。
「好き」って言ってくれてありがとう。
「生きる」ことを教えてくれてありがとう。
「幸せ」にしてくれてありがとう。
側に居てくれてありがとう。
「ねえ、君は今『幸せ』?」
これからは君が私にくれたものを、私が君に私のこれからの全てを懸けて返そうと思う。
もう、今までみたいに「幸せ」を拒んだりしないから。
どこにでも連れて行くよ、困ったときは助けるよ。
側に居るよ。
君が私にそうしてくれたように。
だから「『幸せ』だった」だけでは終わらせない。
今度は私が……。
「君が『幸せ』になるまで私と付き合わない?」
君に「幸せ」を与える番だ―――――。
少しでも面白いと感じていただけたら、是非評価ポイント、リアクションよろしくお願いします。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。




