第2話 描きたいもの
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
いや、圧倒的な強さでもって敵を次々薙ぎ倒してるとか、そんなんじゃない。
圧倒的なのは目の前に広がる、完成されすぎている庭園であって、ちぎられているのはスケッチブック。
(正確には、投げてはない)
今日もひまりは、丸められたスケッチブックの山を築き上げていた。
―― ep.2 ひまりの場合
「――あーもーだめ!」
ビリッ!
ぐしゃぐしゃ。
そっ……
ひまりは、スケッチブックを勢いよく破ると丸め、積み上がった紙たちが崩れないよう、上にそっと乗せた。
この紙の山の方が芸術的なんじゃないかしらと、すん……と細い目を向ける。
ここ、庭園が美しい栗林公園へ来る前、直島の現代アートに触れてきたからだろうか。
自由すぎるアートたちに、背中を押された気になった。
何か今日はいい絵が描けるかもしれない! と息巻いたのが数時間前。
――やっぱり今日もだめかも、と思う絵が描けなさすぎて項垂れているのが、今。
(何で画家になりたいとか思っちゃったんだろ……自分で自分がわからない……思うんじゃなかった。…………でも好き)
ひまりは、再びスケッチブックと向き合った。
昔から、絵を描くのが好きだった。
得意でもあったと思う。
学校で賞を取ったり、卒業文集の表紙を描いたり。
将来は絵で稼ぎたい。
そう思って芸術学部に進学して、イラストレーターとして働き始めて。
そこで、あれ? と思った。
――なんか違うな。
絵で稼いでるよね。うんうん。
クライアントの言われた通りの絵を描いて、違うって全否定されて、イラストレーター替えろって罵られて、納期に追われて。
安月給。
……違わない?
そんなことしたかった?
そこで気づいた。
「絵で稼ぎたい」は、間違ってないけど、合ってもなかった。
多分、「好きに描くことを仕事にしたい」が正解。
(やってみて気づくことだって、あるよね)
そう、前向きに考えて。
私は何をしたいのか、という脳内会議を繰り広げた結果。
堂々、仕事を辞めた。
(私は、画家になりたい)
「……って思ったとたん、行き詰まるとか、向いてない……?」
白紙のスケッチブックへ視線を落としながら、ひまりは呟く。
いざ、「好きなものを描く!」と意気込んだとたん、描けなくなったのだ。
というか、はたと立ち止まってしまった。
――描きたいものって、何?
(……わからない……)
直島の現代アートは、自由だった。
何でこんなもの作っちゃったの? と思わされている時点で多分、心動かされていて。
何に見えるかな? これ何の意図かな? と角度を変えて見るたびに、やっぱり表現するっていいな! とわくわくした。
ずっと来てみたかった、栗林公園。
池の回りに広がる、息を呑むような庭園を前に、この美しさを表現できるかな! とスケッチブックを意気揚々と広げた。
――からの、ビリッ! ぐしゃぐしゃ。そっ……
そして、築かれる紙の山。
何を描いても、納得いかない。
というか、自分の心が踊らない。
「才能ないんじゃ……」
あまりに行き詰まったひまりは、その辺の野良猫を見ながら、遠い目をしたゆるいタッチの猫を、適当に描いた。
すると。
その猫が、ひまりが築いた紙の山にのんびり近づく。
「あっ」
ひまりが止める間もなく、ぱし! とあっさり山を崩すと、1つの紙のボールをぺしぺし転がしながら、戯れ始めた。
「あっ、こら! 煮干しとか入ってないから!」
いけません! と立ち上がる。
この整いすぎた庭園の池にでも入ってしまったら……!? と血の気か引く。
水に浮いて、紙が広がって、未完成の未熟な絵が晒されたりでもしたら――!?
(恥ずかしすぎて生きていけない!!!)
わなわなと震えると、紙を何とか奪取しようと走り出した。
ぺしぺし。
ころころ。
よくぞそんなに転がる紙を選びましたね! と感心するくらい転がる紙。
しかしすぐに、ぽふ、と、庭園を歩いていた人に紙が当たり、止まった。
ひまりは、ほっと胸を撫で下ろす。
しゃっ! と猫より先に紙を取り上げた。
「あっ、すみませ……」
ふと。
着物だ、と気づく。
その着物に描かれている柄に、無意識に目が留まった。
それは、一羽のうさぎだった。
(……うさぎ、でかくない?)
ひまりは、目を瞬く。
目の前の女性は、裾の方に大きなうさぎが描かれた、少し変わった着物を纏っていた。
思わず視線が引き寄せられたまま、固まるひまり。
(うさぎ柄の着物って……普通、小さいうさぎがたくさんのパターン柄か、数羽とか夫婦二羽とか……。こんな大きく一羽のうさぎの柄とか、ある?)
その着物はちょっと目立ち、何というか、変わっていた。
「あの、大丈夫ですか?」
固まるひまりを不審に思ったのか、着物の女性が声をかける。
「……あっ、えと、素敵な着物ですね」
「えっ! ありがとう。特注なの」
ふふ! とその女性は褒められて嬉しいのか、目を細めた。
よく見ると、着物なのにブーツ、裾も普通の着付けよりかなり上げられて、半襟からも黒のレースが覗いている。
要は、超個性的な格好をしていた。
それでも、その女性は堂々として、とても似合っていた。
会釈をして立ち去るその女性をぽー……、と見つめていると、後ろの裾にもうさぎが描かれていることに気がついた。
そのうさぎは、耳を毛繕いしているような独特のポーズをしていた。
多分、普通の着物職人はそのポーズは選ばないだろう、という。
(……自由だな……)
うさぎ愛が溢れているな、と感服した。
と同時に、そんなんでいいのか、と、何か肩の力が抜けた。
完成されすぎた庭園を前に。
別に、完成されすぎた絵を描かなくてもいいんじゃないか、という思いが頭をよぎった。
(……かわいいうさぎだったな)
戻って紙の山を整えると、再びスケッチブックを破ろうと、手を掛ける。
ビ……
少しだけ破いたところで、手を止めた。
このゆるい猫も、案外可愛くない?
隣に、さきほど見たうさぎを描いた。
前面のうさぎじゃなくて、後ろの毛繕いの方。
なんかいいかも、と少しわくわくした。
背景に、庭園を描き足していく。
美しすぎる感じじゃなくて、このゆるい猫とうさぎに合うような、少しだけかわいい感じに。
自由でいいんだ、と立ち戻った。
そもそも自由に描きたくて、仕事を辞めたんじゃなかった? と。
香川へ来る前、地元の神社で、願掛けのつもりで描いた絵馬。
昔から好きな、そこからの景色を描いたが、残念ながら曇っていて。
でも、晴れたら綺麗なんだよ、という思いを込めて、空を青で塗った。
そのままを描く必要なんてない。
じゃあ画家になって、一体何が描きたいのか?
あの、着物からうさぎ愛が伝わるような。
(何か、誰かに思いが伝わるような絵を描きたい……!)
そう思い、まじまじとスケッチブックを見た。
昔からの、よく見る自分らしいタッチの、ゆるい絵。
これは、何の思いが伝わる絵?
「………………ゆるくてもいいじゃん、みたいな?」
――その辺はまだ、考え中ということで。




