第1話 始まりの駅
目の前に広がる青い空、青い海。
海。海。海。
その青すぎる青の中に、ぽつんと佇む、パステルカラーの小さな駅舎。
「……なんっ……にもねー――……!」
「海に一番近い駅」に降り立った翔太は、思わずそう口にしていた。
今の俺みたい、とか、思ってないけど。
―― ep.1 翔太の場合
愛媛県にあるJR下灘駅は、遮るものがなにもない、目の前に伊予灘が一面に広がる、映画やポスターなどで有名な無人駅だ。
昔、国道が整備されるまでは、本当に線路のすぐそばまで海が迫っていたそうだ。
今でも充分すぎるほど海に近いが。
翔太は、青春18きっぷで名古屋から松山まではるばるやって来た。
青春18きっぷって、青春真っ盛りな18歳までしか使えないんだと思っていたけど、青春をすっ飛ばした24歳フリーターにも使えるとは、意外だった。
松山駅周辺で自転車をレンタルし、真っ直ぐこの駅へと向かった。
ここ下灘駅をスタートに、目指すは道後温泉。
この旅の目的は……
――ない。
強いて言えば、人生を見つめ直す。
この、散りかけの桜が舞う春うららな瀬戸内で、そんな寒いことを思ったのには、理由がある。
「みゃあ」
わかっているかのように、野良猫が鳴いた。
『あんた、将来どうするの?』
ある日。
電話越しの母親の言葉が、超ド直球に刺さった。
そんな、ダメ息子を心配するありきたりな言葉が母親の口から出たのにも、もちろん理由がある。
話は大学に遡る。
「数学がまだ得意だったから」という理由で何となく大学の理工学部へ進学した翔太は、案の定、すぐに勉強が嫌になった。
そもそも、何かみんな行くから、という理由で大学進学を選び、みんなが受験勉強しているから机に向かい続けた高校3年で、一生分の勉強力を使い果たしたんだと思う。
進学、合格が目標になって、結果、達成したとたん、燃え尽きた。
同時に、一人暮らしの生活費のため始めた居酒屋バイトが楽しくなった。
増えるシフト。減る勉強。
結果、大学中退。からの、居酒屋のバイトマスター。
新人には社員だと思われ、社員にすら敬意を表される。
深夜までバイトをし、昼近くまで寝て、またバイトへ。
こないだ「翔太さん、ここに住んでるんですか?」と新人女子が無邪気に聞いてきた。
なわけない。
まあでも、それなりに楽しく過ごしていたある日。
例の、母親の言葉が飛び出した。
刺さった。
確かに、楽しいけど、どこか満たされない。
そんな毎日だった気がする。
(そこを真正面から突いてくるあたり、僕のことをよくわかってるさすが母親としか言いようがない)
結局は、母親の言葉はただのきっかけだっただけで。
ずっと、これでいいのか。やりたいことは、本当にこれなのかと。
考えずに逃げていたことを、あっさり気づかされたのだ。
「……って来てはみたけど……」
「にゃあー」
翔太は野良猫を撫でながら、一人呟く。
「この一人旅すらも、なんか現実逃避感……?」
いや、将来……このままじゃだめだよな……とぶつぶつ呟きながら、徐々に遠い目になる。
その時――ふと、真っ青の中に、レトロかわいい駅舎が佇む、そのコントラストの効いた風景に、視線が引き寄せられた。
しばし、ぼー……っと見惚れる。
「……切り取りたいくらい、いいな」
スマホを構えると、シャッターを押す。
映え、ってもう言わないんだっけ? と思いながら、姿勢を低くする。
「おまえ、肖像権とかないよな?」
そう言いながら、野良猫を入れてもう一枚撮った。
撮った写真は、思った以上に満足感のある写真だった。
すぐさまSNSにアップ。
「一人旅。時々猫。」
なんだか、少しだけいい方向に行きそう、と、不思議とそんな期待が沸いた。
「来てよかったかも。わかんないけど」
翔太は颯爽と自転車に跨がると、ペダルを踏み込む。
そよそよと届く海風が心地よい。
前を向くと、海から照りつけるきらきらした日差しに目を細めながら、自転車をこぎ始めたのだった。
海沿いの道をひたすら真っ直ぐ進むサイクリングは、それだけで鬱々としていた気が晴れる。
どこを見ても非日常の風景が広がり、絵画の中を走っているようで気分がいい。
鼻唄なんかも口ずさんだ。
ここ瀬戸内の独特の気候なのか、柔らかな日差しと海風が心地よく、どこまでも走っていける気がした。
――数十分後。
「しんどい……休憩……」
どこまでも行ける空気はあれど、体力はなかった。
(……おっかしーな……店で何時間も立ちっぱなしでも苦じゃないのに……自転車しんど……)
ケチらず、電動自転車にすればよかった……! と呟きながら、自転車を降りる。
周囲にカフェとかないかな、と見渡してみるも、何もない。
すると少し先に、神社らしきのぼり旗と、上へと続く階段がひっそりとあった。
自転車を押していき、その入り口に立ってみた。
木々に吸い込まれていくような階段は、そのゴールが見えない。
「いや、今階段とか無理でしょ……無理……――」
その時。
階段の奥で、猫の長い尻尾のようなものが揺れた気がした。
ふと、先ほどの下灘駅の、切り取りたくなるような絶景が、頭をよぎった。
(……いい眺望が望める……かも?)
どうせなら、いい景色見ながら休憩がいいよな、と、ペットボトルの水を飲みきると、階段に足をかけた。
息も絶え絶えで、何とか階段を登りきった翔太は、肩を落とした。
木々に覆われ、景色がほぼ開けていなかったからだ。
(……なけなしの体力を……!!!)
くそ……猫め……! と崩れ落ちた。
(いやいや、こうやってすぐ人のせいにするのはよくない)
そういえば、旅の無事を祈願してなかったじゃないか! と顔を上げる。
階段を登りきった先にある鳥居で一礼し、拝殿まで歩いていく。
神社なんて初詣にしか来ないのに、こうやって参拝に来るなんて、何か不思議な感じだ。
ふう、と一呼吸して息を整えると、拝殿への階段をさらに登っていった。
参拝を終えて、絵馬でも書こうかと思い立ったのは、偶然だった。
強いて言えば、そちらの方で、猫の鳴き声が聞こえたような気がしたから。
絵馬の裏に書くことは、少し迷った。
旅の安全? 将来の安泰?
少し迷って、「無事やりたいことが見つかって無事帰れますように」にした。
絵馬をかけている時だった。
1つだけ違う絵馬に、視線が留まった。
あれ? 干支以外のデザインの絵馬あった?
とそこで、それは表のデザインではなく、裏に描かれた絵であることに、気がついた。
え、嘘だろ、と駆け寄る。
よく見れば、それはちゃんと油性ペンで描かれていた。
それに差し色――青が一部に塗られた、風景画だった。
下に小さく「画家になりたい」とサインかのように書かれている。
ん? と、描かれたその景色に、目を瞬いた。
しかと目を凝らす。
ゆっくりと、絵馬を書いた台まで下がる。
そこで、ぱっと後ろを振り返った。
その木々の隙間から見える、伊予灘の景色に、鳥肌が立った。
まさに、絵馬に描かれていた景色だった。
多分この景色だけ見ても、あーいい景色だな、と感動して、写真を撮って終わっていた気がする。
鳥肌が立ったのは、多分。あの絵馬を見たから。
ただの油性ペンの、青のみを差した絵馬。
画家になりたい、の文字。
それがなぜだが妙に、心を打った。
翔太はスマホを構える。
全く同じアングルで、写真を撮った。
もう夢を見つけている羨ましさと。
それでもまだ叶えられていないという親近感。
そんなものが、見知らぬ誰かに対して、勝手に沸いた。
(画家に、なってほしいな)
そうしたら、あの時絵馬をうっかり見てしまった者です、って言いたい。
そう伝えた時、自分も何か、自信を持って、自分のやりたいことをやっていたい。
そう願いながら、写真をSNSにアップした。
下灘駅で撮った写真に「いいね」がついていた。
いいのは下灘駅なのか、猫なのかわからないけど。
自分の行動を「いいね!」って言ってもらえているようだった。
この旅が意味のあるものになるかは、まだわからない。
それでも、夢見る誰かと少しだけ繋がれた今この一瞬は、日常の中でも価値のあるもののような気がする。
――まあ、わかんないけど。




