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午後一時。
人事面談。
会議室の中には三人いた。
人事課長の村瀬。
人事担当の若い女。
そして、堂本。
見た瞬間に、恒一は心の中で舌打ちした。
終わっている。
ヒアリングの場に、当事者を同席させるな。
それだけで、まともな場ではないと分かる。
「どうぞ、相馬さん」
村瀬はにこやかだった。
こういう手合いは、一番信用ならない。
怒鳴る堂本よりたちが悪い。
最初から“穏便な空気”で押し込むつもりだから。
恒一は座る。
スマホは胸ポケット。
録音は始めてある。
さらに、襟裏の受動記録子もある。
今日の自分は、少しだけしぶとい。
「今回、少し職場内のコミュニケーションで行き違いがあったと聞いています」
村瀬が言う。
行き違い。
便利な言葉だ。
暴力も、恫喝も、責任転嫁も、その言葉一つで丸く見せられる。
「まず、相馬さんの認識を教えてもらえますか」
「はい」
恒一は一拍置いた。
「堂本部長から、継続的に高圧的な叱責を受けていました」
「高圧的、というのは」
「怒鳴る、人格を否定する表現を使う、身体接触がある、などです」
「身体接触?」
村瀬が、初めて少しだけ顔を上げた。
堂本が口を開く。
「だから、それは指導の範囲だって言ってるじゃん」
「まだあなたに聞いてません」
恒一が言う。
場が止まる。
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
堂本のこめかみが動く。
だが、昨日のフロアの件があるからか、すぐには怒鳴れない。
村瀬が咳払いした。
「相馬さん、続けて」
「三日前、会議室で顔面に接触がありました。昨日も、叩こうとする動きがありました」
「叩こうとする“動き”?」
「はい。実際に接触はしていません」
「ほら見ろ」
堂本がすぐに乗る。
「未遂でしょ? しかも相馬の主観だよね?」
「主観ではありません」
「は?」
「記録があります」
今度こそ、場が固まった。
堂本の顔から血の気が引く。
村瀬の笑顔も少し削れる。
「記録、とは」
「音声と映像です」
「なっ……」
堂本が立ち上がりかける。
村瀬が手で制した。
「座ってください」
「いや、こいつ」
「座ってください、堂本部長」
少しだけ強い声。
堂本は荒く息を吐き、座る。
目だけが恒一を殺しそうだった。
恒一はその視線を正面からは受けなかった。
机の木目を見る。
そこに、自分の声を落とす。
「昨日の会議室のやりとりもあります」
「どのように記録を?」
「それは開示の必要がありますか」
「……確認のためには」
「違法性の有無なら、弁護士経由でも構いません」
言えた。
言いながら、足はかなり震えていた。
でも言えた。
村瀬の目が少し細くなる。
計算している顔だ。
この男は今、何が一番面倒かを計算している。
「まずは内容を確認させてもらえますか」
「条件があります」
「条件?」
「当事者である堂本部長を一度退席させてください」
「相馬ァ」
「あなたがいると、話しにくいので」
静かに言う。
堂本は机を叩きそうになったが、寸前で止めた。
たぶん記録を意識したのだろう。
いい傾向だ。
もっと自分の言動を怖がれ。
「……相馬さん」
村瀬が言う。
「会社としては、公平に――」
「公平なら、最初からこの場に同席させないはずです」
「……」
「少なくとも私は、そう認識しています」
若い人事担当の女が、初めて露骨に目を泳がせた。
図星なのだろう。
数秒の沈黙。
そのあと村瀬が、仕方なさそうな顔を作って堂本を見た。
「少し外していただけますか」
「は?」
「一度だけです」
「ふざけんなよ」
「堂本部長」
今度は少し低い声。
堂本は椅子を引いた。
露骨な不満。
だが出ていく。
ドアが閉まる。
恒一はそこで初めて、少しだけ呼吸を深くした。
「では、改めて」
村瀬が言う。
「データを見せてもらえますか」
「はい」
恒一はスマホを出した。
前夜、バックアップしたファイル。
時刻付き。
音声鮮明。
映像は会議室全景ではないが、堂本の手が伸び、途中で軌道が流れるところと、その直後の発言は十分に分かる。
再生。
堂本の声。
罵倒。
威圧。
“誰に向かって口利いてんだよ”
“お前、俺を疑ってんのか?”
そして、明らかに高圧的な態度。
映像が終わる。
村瀬は無言。
若い人事担当は青い顔をしている。
「……これは」
「昨日の会議室です」
「他にも?」
「三日前の音声もあります。顔面への接触前後」
「……」
空気が変わった。
さっきまでの“穏便にまとめる場”ではなくなった。
少なくとも、一方的に丸め込める場ではないと分かったからだ。
「それと」
恒一は続ける。
「経理からの精算差異連絡に対して、堂本部長が過剰に反応していた記録もあります」
「それは別件では」
「別件かどうかは、今の時点では不明です」
「……」
「なので断定はしません。ただ、関連性を疑うには十分な不自然さがありました」
事実。
解釈。
推測。
そこを分ける。
感情に任せて全部ぶちまけたら、たぶん向こうの土俵になる。
ヒステリックな被害者として処理される。
それだけは嫌だった。
村瀬が眉間を押さえる。
「分かりました」
「正式な調査をお願いします」
「……必要な対応は検討します」
「検討ではなく、いつ、誰が、どこまでやるのかを明示してください」
「相馬さん」
「曖昧にされると困ります」
村瀬はしばらく黙った。
その顔には、“面倒なことになった”がそのまま出ていた。
「本日中に一次対応方針を文書で出します」
「誰名義で」
「人事部名義で」
「分かりました。待ちます」
ようやく、言い切った。
短い沈黙。
そのあと、村瀬が言った。
「……この件、外部には」
「まだ出していません」
「今後も慎重に――」
「会社が適切に対応するなら」
それだけ返す。
脅しではない。
条件だ。
その条件を、向こうも理解しただろう。




