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午後、会社で最後の引き継ぎをしている最中、法務から連絡が来た。
堂本圭介部長について、当面の出社停止措置を決定しました。
関連業務は別ラインへ移管します。
短い。
だが十分だった。
出社停止。
恒一はその文面を見ても、思ったより感情が動かなかった。
ざまあみろ、という気持ちがゼロではない。
でも、もう少し違う。
「ああ、終わったんだな」
そういう感覚の方が強かった。
『復讐の熱は思ったより低いですね』
ルイゼが言う。
「そんな分析までしてくるのか」
『今のあなたにとって、優先順位が変わったのでしょう』
「……そうかもな」
堂本を落とすことより、自分が次へ行くことの方が、今は大きい。
その変化は、たぶん良いものだった。
夕方、三島が静かに言った。
「堂本、正式に止まった」
「そうですか」
「……いろいろ、悪かったな」
「三島さんが全部じゃないでしょう」
「それでも、現場にいたからな」
恒一は少し考えてから答えた。
「じゃあ、次からは見ないふりしないでください」
「……ああ」
それで十分だった。
許しでも、和解でもない。
ただの条件だ。
でも、その条件の方が現実的だ。
◇
その夜。
先輩との二回目の短い打ち合わせで、追加説明をしたあと、正式に報酬振込の連絡が来た。
月末締めじゃなくて今週中に払うわ
その一文を見た瞬間、恒一は妙な静けさの中にいた。
振り込まれる。
自分の作った整理案に対して。
会社の給与ではなく。
誰かに使われた時間への補填ではなく。
役に立ったことへの対価として。
それが、妙に重い。
「……俺、今ちょっと感動してる」
『分かります』
ルイゼの声。
「三万で」
『金額だけの問題ではありません』
「だよな」
『あなたは今、“代わりの部品”としてではなく、個人として値をつけられた』
「……」
その言葉は、たぶん今日一番深く刺さった。
個人として。
それが、どれだけ遠かったか。
恒一はベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。
暗い。
でも、前よりずっと狭く感じない。
「なあ、艦長」
『はい』
「これ、いけると思うか」
『何がですか』
「事業」
『長期的に、ですか』
「うん」
『現時点では、不明です』
「厳しいな」
『ただし』
「ただし?」
『初動は悪くありません』
「……」
『そして、あなたは今、“自分が役に立つ場面”を少しずつ再学習しています』
「再学習、か」
『はい。長く損耗しすぎたので』
それは、嫌なくらい正しかった。
役に立つ。
その感覚がずっと壊れていた。
会社で使われることと、自分が役立つことが、頭の中でごちゃごちゃになっていた。
でも違う。
今の三万は、その違いを少しだけ教えてくれた。
「……悪くないな」
『はい』
「かなり」
『はい』
ルイゼはそこで、少しだけ黙る。
その沈黙の奥に、別のものが混ざっていた。
少しの喜び。
少しの安心。
そして、ほんの少しだけ、遠い寂しさ。
「お前、どうした」
『……いえ』
「いや、なんかあるだろ」
『あなたが前進すると、良いことです』
「うん」
『同時に、あなたが地球側で自立すると、私への依存は減る』
「……」
『それも、良いことです』
妙に静かな言い方だった。
恒一はしばらく何も言えなかった。
分かる。
それはたぶん、本音だ。
良いことだと思っている。
でも、それだけじゃない。
「……減らないかもな」
『何がですか』
「依存」
『それは良くありません』
「そうか?」
『健全ではない』
「じゃあ訂正する」
「頼る、かもな」
『……』
今度は、向こうが少し黙った。
「仕事が回り始めても、別に、お前がいらなくなるわけじゃない」
『……』
「むしろ、そこは別問題だろ」
『別問題』
「そう。かなり」
言いながら、自分でも少しだけ顔が熱くなる。
何を言っているんだ自分は、と思う。
でも、嘘ではなかった。
ルイゼは、しばらく黙ったあと、小さく言った。
『では、その件は今後の交渉事項とします』
「なんだそれ」
『曖昧なままにすると危険なので』
「艦長らしいな」
『はい』
そして、ほんの少しだけ、向こう側で笑った気配がした。
それだけで、部屋の空気が少し柔らかくなる。




