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株式会社レグナント・ソリューションズは、表向きは成長企業だった。
駅近。
オフィスは綺麗。
採用ページには笑顔の若手社員。
挑戦できる環境。
裁量ある仕事。
風通しの良い組織。
最短距離で成長。
全部、嘘ではない。
成長はできる。
壊れる方向に。
「相馬ァ」
席に着いて十五分後。
来た。
堂本圭介。
営業企画部部長。
四十三歳。
声がでかい。
態度がでかい。
自尊心もでかい。
そして自分より下だと判断した相手への当たりも、ひどくでかい。
「お前、これ見た?」
机に叩きつけられたのは、昨夜二時過ぎに送った資料のプリントだった。
赤が入っている。
訂正というより、八つ当たりみたいな赤字がびっしり。
見た瞬間に分かる。
今日は長い。
「……確認します」
「確認します、じゃねぇんだよな」
「申し訳ありません」
「そればっかだなお前。申し訳ありませんって言っときゃ済むと思ってる?」
済むと思ってない。
済まないことを、一番よく知っているのはこっちだ。
「ここの数字、なんでこうなってんの?」
「昨日時点の集計値で――」
「聞いてねぇよ。なんでこうなってんのって聞いてんの」
同じだろ、と思ったが、言わない。
言ったら終わる。
「集計条件の認識に齟齬がありました」
「は?」
「確認不足です」
「確認不足で済む話じゃねぇんだよ。お前のせいで俺がどんだけ面倒被ると思ってんの?」
知らない。
たぶん大して被らない。
最終的に“部下の教育不足でした”で済ませるだけだろう。
だが、もちろん言わない。
「すみません」
「すみませんじゃなくて、どうするか言えって言ってんだよ!」
怒鳴り声がオフィスに響く。
何人かが視線を寄越す。
すぐ逸らす。
いつものことだ。
面白くもない日常風景。
「午前中で修正します」
「できんの?」
「やります」
「やりますじゃねぇよ。できんのかって聞いてんだよ」
「……できます」
「ほんとかぁ?」
堂本が顔を寄せてくる。
コーヒーと煙草の臭い。
気色悪い。
「お前さ、最近、顔に出てんだよね」
「……」
「なんか被害者みたいな顔してるだろ」
ぐ、と喉が詰まった。
「別に」
「別にじゃねぇんだよ。お前みたいなやつ、いるんだよなぁ。自分は頑張ってるのに環境が悪いとか思い始めるやつ。違うから。お前は単純に能力が低いだけ」
「……」
「分かる? 会社が悪いんじゃなくて、お前が足引っ張ってんの」
何か言い返せるなら、人生はこんなことになっていない。
だから、恒一は黙る。
黙るしかない。
堂本は、黙っている相手を見ると気が大きくなるタイプだった。
「返事は?」
「……はい」
「聞こえねぇな」
「はい」
「で?」
「修正します」
「今すぐやれよ」
資料を持ち上げる。
仕事を始めようとした、その瞬間だった。
ぱしん、と。
後頭部に衝撃。
一瞬、視界が揺れた。
「動きおせぇんだよ」
堂本のファイルだった。
厚い紙ファイルの角で、叩かれた。
別に、これくらい。
そう思おうとした。
思わないと持たない。
だが、今日は駄目だった。
頭の奥で、何かが切れた。
「……っ」
「なに?」
「……今、叩きましたよね」
「は?」
「叩きましたよね、今」
オフィスの空気が、一段、静かになる。
堂本の眉がぴくりと動いた。
信じられないものを見る顔。
普段黙っている犬が、急に歯を見せたときの顔。
「だから?」
「……暴力ですよね」
「はぁ?」
その“はぁ?”に、周囲がまた固まる。
「お前、なに言ってんの?」
「今、叩きましたよね」
「指導だけど?」
「指導で人を叩くんですか」
「相馬」
声が低くなる。
危険なやつだ。
「お前、マジで調子乗ってる?」
「……」
「誰に食わせてもらってると思ってんの?」
「……」
言い返せ。
今しかない。
そう思う。
でも、喉は動かない。
心臓だけがうるさい。
手のひらが冷たい。
視界の端が少し白む。
「お前みたいなゴミ拾ってやってんの、誰だと思ってんだよ」
「……」
「転職もできねぇ、営業もできねぇ、コミュ力もねぇ、愛想もねぇ。そんなやつが、どこ行っても使えるわけねぇだろ」
笑い声がした。
堂本じゃない。
近くの席の、誰かの乾いた愛想笑い。
それが、妙にきつかった。
「身の程を知れよ、相馬」
「……」
「お前は、使われる側でちょうどいいんだよ」
その言葉だけ、やけに鮮明に残った。
使われる側。
ちょうどいい。
その瞬間、恒一は理解した。
ああ、こいつらは、最初からそういう認識だったんだ、と。
同僚じゃない。
仲間じゃない。
人材でもない。
ただの消耗品。
押せば動く便利な部品。
壊れるまで使って、壊れたら交換するだけのもの。
「返事は?」
「……はい」
結局、それしか言えなかった。
堂本は鼻で笑って、去っていく。
オフィスの音が戻る。
キーボード。
コピー機。
電話。
誰かの咳払い。
全部、何事もなかったみたいに。
くそったれ。
本気でそう思った。




