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その日の夕方。
堂本の不正は、思ったより雑な形で綻び始めた。
経理部から、関係者限定の追加確認メールが流れたのだ。
宛先には堂本、村瀬、法務、そしてなぜか恒一も入っている。
おそらく、堂本案件の実務担当者として巻き込まれた形だろう。
本文を読む。
外注先コードの重複登録疑義について、関連案件の実務担当者に確認を行います。
当該発注先A社とB社は取引先コードが異なる一方、所在地・連絡先に複数一致点あり。
発注経緯、業務実態、成果物受領記録について再確認をお願いします。
「うわ」
これは、かなり具体的だった。
疑義。
重複登録。
所在地・連絡先の一致。
まだ黒とは書いていない。
だが、だいぶ近い。
しかも“成果物受領記録”まで来ている。
つまり、架空発注や水増しの線も見ているということだ。
数分後、フロアの向こうで堂本が席を立った。
歩き方が荒い。
そのまま会議室へ消える。
誰も見ないふりをする。
でも、全員、気づいている。
空気が変わった。
上司が絶対者ではなくなる瞬間の空気だ。
恒一のところへ、社内チャット。
篠崎から。
ここから先、あなたは主戦場にいすぎると危ない
どういう意味ですか
堂本さんが落ちるなら、誰かが“管理不足”でまとめたがる
つまり
被害者面しすぎた人、みたいに処理される可能性がある
最悪だ。
だが、ありえる。
というか、この会社なら普通にある。
じゃあどうすれば
退路作って
短い。
退路。
その言葉が、やけに刺さった。
ここで勝ち切ることに意味があるのか。
この会社に残って、“正常化された職場”を享受したいのか。
違う。
違うだろ、と思った。
そんなもの、もう欲しくない。
殴られない会社。
怒鳴られにくい会社。
それだけのために、ここへ残るのか。
違う。
自分が欲しかったのは、最初からそんなものじゃない。
使い潰される側のまま、少し待遇が良くなることじゃない。
もっと根本だ。
自分の人生を、自分で使うこと。
誰かの機嫌で日々の価値が決まらないこと。
そこで、ようやく、はっきりした。
「……辞めるか」
口に出すと、妙に静かだった。
『重要な判断ですね』
ルイゼが言う。
「ああ」
『衝動ですか』
「半分は」
『残り半分は』
「……たぶん、やっと追いついただけだ」
ずっと前から壊れていた。
辞めるべき理由は、たくさんあった。
でも気力がなかった。
足場がなかった。
未来の想像もできなかった。
今は違う。
まだ何も始まっていない。
なのに、少なくとも“このままでは終わらない”という感覚だけはある。
『辞めた後の計画は』
「ない」
『それはよくありません』
「分かってる」
『ですが』
「ですが?」
『計画を作ることはできます』
その一言が、妙に重かった。
できる。
作る。
未来を。
それは今の恒一にとって、ずっと遠かった言葉だ。
「……一人でやるなら、無理だったかもな」
『今は一人ではない、と』
「そういうことになるのか?」
『少なくとも、私は通信先です』
「雑な言い方だな」
『地球語の“味”を学習中です』
「変なところばっか吸収してないか」
『あなた経由なので、偏りはあります』
「否定できねぇ……」
少し笑う。
その笑いの奥で、別の感情が立ち上がっていた。
怖い。
でも、少しだけ高揚している。
辞める。
その先を作る。
それは破滅にも見える。
同時に、救いにも見える。




