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暗い。


 目が覚めた瞬間に、まずそう思った。


 カーテンは閉めたまま。

 スマホの充電は切れかけ。

 枕元には、飲みかけの安い栄養ドリンク。

 床には脱ぎっぱなしのワイシャツ。

 鼻の奥に残っているのは、汗と、埃と、昨日の自分の終わりみたいな臭い。


 月曜日。


 死ね、と思った。


 別に比喩じゃない。

 本気でそう思った。

 月曜日が死ねばいいとも思ったし、会社が死ねばいいとも思ったし、できれば世界もまとめて爆発してくれれば助かると思った。


 けれど、爆発しない。


 世界は、そういうところだけ律儀だ。


「……は」


 喉がひりついた。

 空気が乾いている。

 エアコンは切れていた。

 電気代が惜しいから、寝る前に消したのを思い出す。


 相馬恒一、二十七歳。


 独身。

 友達ほぼなし。

 恋人なし。

 趣味らしい趣味も最近はない。

 あるのは、会社に行くことと、怒鳴られることと、終電近くで帰ってきて、翌朝また会社に行くことだけ。


 人生の要約としては、かなりゴミだった。


 それでも布団から出る。


 出なければならない。

 誰も助けてくれないから。

 出ないと、また連絡が来る。

 連絡が来たあと、言われる。

 社会人としての責任感が足りない。

 自己管理がなってない。

 その程度の体調不良で仕事を休むのか。

 代わりがいないことを自覚しろ。

 お前の仕事は誰がやるんだ。


 知るか、と思う。


 だが、知るかと思ったところで、相手は困らない。

 困るのは、いつもこっちだ。


 洗面台の鏡に映った自分の顔は、ひどかった。


 目の下に濃い隈。

 頬はこけ気味。

 唇は少し切れている。

 右のこめかみに、薄い青痣が残っていた。


 三日前。


 会議室で、部長の堂本に殴られた跡だ。


 いや、訂正。

 正確には、机を叩くふりをした肘が当たった、だったか。

 本人はそう言っていた。

 事故だと。

 指導に熱が入ってしまっただけだと。


 熱が入ると、顔に当たるらしい。


「……くそ」


 泡立てもしない適当な洗顔で顔を擦る。

 痛い。

 痣に触れると鈍く痛む。


 でも、その痛みより嫌だったのは、あのとき周囲にいた連中の顔だった。


 見て見ぬふり。

 少し気まずそうな顔。

 しかし誰も止めない。

 誰もあとで声をかけない。

 あれはおかしいですよ、なんて言わない。


 当然だ。


 他人を助けると、自分が損をする。

 だから誰も助けない。

 合理的。

 賢い。

 正しい。


 それでいて、こういう会社は平気な顔で“仲間”とか“チーム”とかほざく。


 笑わせる。


 笑えないけど。


 恒一はネクタイを締めながら、今日やるべき仕事を頭の中で並べた。


 午前、顧客提出資料の修正。

 昼までに数値差し替え。

 午後、進捗会議。

 そのあと、障害報告書の草案。

 夜、堂本から投げられる追加作業。

 たぶん帰れるのは二十三時過ぎ。

 最悪、終電。


 毎日それだ。


 毎日、少しずつ削られる。

 心も。

 時間も。

 人間としての輪郭も。


 何がつらいって、終わりが見えないことだ。


 これがあと一年続くのか。

 二年か。

 三年か。

 転職?

 そんな気力はどこにある。

 休日に面接対策?

 笑わせるな。

 休日がないのに、どうやってやる。


 玄関のドアを開ける。


 朝の空気は冷たかった。


 世界は澄んでいた。

 空も、道路も、コンビニのガラスも、通学中の高校生の笑い声も、全部がやけに普通で、だからこそ腹が立った。


 こんなに世界が平然としているのに、自分だけが泥の中にいる。


 そういう感じが、たまらなく嫌だった。

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