22話 取材
早瀬亮太がナイロビに来たのは、あの記事から八ヶ月後のことだった。
工房の前に立った早瀬は、隆志が想像していたよりも若く見えた。三十二歳。細身で、眼鏡の奥の目が落ち着かない。肩にかけたカメラバッグが大きすぎて、体の均衡を崩している。赤土の風に目を細め、工房の看板を見上げた。
「SAKURA MOTORS……」
「来たか」
隆志は工房の入口に立っていた。作業服のまま。手は油で汚れている。
「田中さん。お忙しいところ、ありがとうございます。今回は、ちゃんと取材をさせていただきたくて」
早瀬は深く頭を下げた。その角度は、ジャーナリストの取材依頼というより、謝罪に近かった。
「前回の記事は、裏取りが不十分でした。匿名の情報源をそのまま使った。現地に来ず、電話とメールだけで書いた。ジャーナリストとして、最低限のことを怠りました」
「あの記事で、うちの工房に石が飛んだ。サミュエルの息子が学校で殴られた。日本にいる俺の娘が泣いた」
早瀬の顔が強張った。唇を噛んでいる。
「……知りませんでした。記事を出した後のことまで、追いかけていなかった。それも含めて、ジャーナリスト失格だと思います」
「謝罪を聞きに来たのか」
「いえ。今度は、ちゃんと書きたいんです。ここで何が起きているか。あなたが何をしているか。自分の目で見て、自分の言葉で」
隆志は早瀬を見つめた。この男の記事一本で、工房は危機に陥った。サミュエルの信頼が揺らぎ、智子の声が震え、みゆきが泣いた。許すつもりは、まだなかった。だが、ナイロビまで来た足は本物だった。
「好きに見ろ。触るな、邪魔するな。質問は作業の合間に受ける」
早瀬は三日間、工房に通った。
初日は見ているだけだった。隅に座り、ノートを膝に置き、整備の様子を眺めていた。エリックがブレーキパッドを交換する手順。オモンディがエンジンのタイミングを調整する指先。サミュエルが若者たちに指示を出す声。隆志がホワイトボードに記録を書き込む背中。
二日目、早瀬はエリックに話を聞いた。エリックは最初警戒していたが、早瀬が工具の名前を一つずつメモしているのを見て、少しだけ口を開いた。
「あの記者、工具の名前を知らないんですよ。ラチェットレンチを『これは何ですか』って聞くんです。でも、馬鹿にしてるんじゃなくて、本当に知りたそうだった」
エリックが隆志にそう報告した。隆志は黙って頷いた。
三日目、早瀬はサミュエルにインタビューを申し込んだ。サミュエルは最初断った。「前回の記事を読んだ。お前の質問には答えない」。だが早瀬が「前回の記事は間違っていました。あなたの言葉で、正しいことを伝えたい」と頭を下げ続けた。三十分後、サミュエルは椅子を引いた。
サミュエルは二時間語った。工房を始めた理由。十年前、ナイロビの整備工場で働いていたとき、オーナーが客に請求した金額の半分しか整備士に渡さなかった。技術は自分のものなのに、名前も報酬も奪われる。それが嫌で独立した。だが独立しても、部品がない、工具がない、客がいない。黒田のような安売りブローカーに客を取られ、品質を守りたくても守れない年月が続いた。
隆志が来てから変わったこと。最初は信じなかった。何人もの日本人が来ては去った。金だけ持っていく者、口だけの者、三ヶ月で消える者。隆志も同じだと思った。だがプラグを研磨し、ワセリンで端子を磨き、自腹で工具を取り寄せた男は、去らなかった。
搬送事業のこと。エリックの成長のこと。そして、息子のダニエルが学校で殴られたこと。
「あんたの記事のせいで、俺の息子が殴られた。息子は何も悪いことをしていない。日本人と一緒にいるというだけで殴られた」
早瀬はペンを止めた。ノートの上に、涙が一滴落ちた。すぐに拭い、顔を上げた。
「書きます。全部書きます。ダニエルくんのことも、含めて」
「嘘を書いたら、今度は俺が殴りに行く」
サミュエルは笑わなかった。本気だった。早瀬も笑わなかった。本気で受け止めた。
*
早瀬が帰国して一ヶ月後、記事が出た。
前回と同じオンラインメディアだった。だが、タイトルが違った。
〈ケニアの赤土に根を張る日本人——「命を運ぶ車」を作る元営業部長の挑戦〉
記事は長かった。一万字を超える。隆志のリストラ、百社の不採用、ケニア行きの決断。サミュエルとの出会い、工房の変遷、搬送事業。エリックの父の話も書かれていた。エリックが許可を出したのだろう。写真も載っている。整備中の隆志の手。ホワイトボードの記録。看板の「SAKURA MOTORS」。そしてエリックの笑顔。
記事の最後に、早瀬はこう書いていた。
〈八ヶ月前、筆者は匿名の情報を元に、この工房を「搾取」と断じた。現地に行かず、当事者に会わず、裏取りもせずに。そのことを、ここに記して反省とする。ジャーナリズムとは、足で稼ぎ、目で確かめ、手で書くものだ。椅子に座ったまま書いた記事は、ジャーナリズムではない。〉
記事はSNSで拡散された。今度は、前とは違う言葉が並んだ。「すごい」「応援したい」「こういう日本人がいるんだ」。コメント欄に投げ銭のリンクを貼る人もいた。記事を読んで工房に直接連絡してきた日本企業もあった。中古車の輸出を手がける商社が、品質管理のコンサルティング契約を持ちかけてきた。
半年後。サクラモーターズは、ウガンダとタンザニアにも拠点を広げた。
ウガンダのカンパラには、サミュエルの知人が工房を構えていた。そこにサクラモーターズの整備基準と記録システムを導入した。最初の一ヶ月は隆志が現地に泊まり込み、整備士たちに日本式の点検手順を教えた。ブレーキ、灯火類、ステアリング、サスペンション——チェック項目を一枚のシートにまとめ、壁に貼った。「SAKURA STANDARD」と名付けた。カンパラの整備士たちは最初「細かすぎる」と渋い顔をしたが、整備後の車の仕上がりを見て黙った。ブレーキの効きが違う。エンジン音が静かになる。目に見える差が、言葉より早く人を動かした。
タンザニアのダルエスサラームには、JICAの支援で搬送車両の整備拠点を開設した。こちらはエリックが研修の主担当を務めた。十九歳になったエリックが、二十代後半の現地整備士たちに工具の使い方を教えている。年下の指導者を見て最初は不服そうだった整備士たちが、エリックのトルクレンチの扱いを見て姿勢を正した。技術は年齢を超える。エリックはそれを証明していた。
工房の壁のホワイトボードは、もう一枚では足りなくなった。三枚に増え、それでも追いつかず、エリックがパソコンでデータベースを作った。中古のノートパソコンを市場で買い、独学でスプレッドシートの使い方を覚えた。十八歳の少年が、工房のデジタル化を一人で進めていた。
ある日の夕方、隆志はサミュエルと工房の前に座り、帳簿を広げた。
「サミュエル。先月の売上を見てくれ」
数字が並んでいた。整備台数、搬送件数、コンサルティング収入、補助金。すべてを合算すると、月間の売上が二千五百万シリングを超えていた。日本円にして約二千五百万円。年間にすれば三十億円に届く。
「三十億か」
サミュエルは数字を見つめた。
「お前が来たとき、この工房の月の売上は二十万シリングだった。百二十五倍だ」
「数字は風だ」
隆志は言った。かつて日本の会議室で追い続けた数字。売上、達成率、利益率。その数字に人を切らされた。だがここでの数字は違う。三十億円の裏に、搬送で救われた命がある。整備記録に名前が残った整備士がいる。学校に通い続けられたエリックの妹がいる。薬を買えたオモンディの母がいる。
「風は目に見えない。だが、帆を張れば船が進む。数字も同じだ。数字自体に意味はない。その数字で何をするかに意味がある」
サミュエルはビールの缶を開けた。隆志にも一本渡した。
「三十億の風か」
「まだ足りない」
「足りない? どこまでやるんだ」
「みゆきが千羽鶴を折り終わるまでには、もう少し先に行きたい」
サミュエルは笑った。
「お前の娘は、何羽まで折ったんだ」
「最後に聞いたときは、四百二十羽」
「あと五百八十羽。その間に、お前はどこまで行くつもりだ」
隆志はビールを飲んだ。苦い。だが、ケニアの夕暮れに飲むビールの苦さは、日本の缶コーヒーの甘さとは違う種類の味だった。
「行けるところまで」
赤い夕陽が工房の看板を照らしていた。「SAKURA MOTORS」の文字が、金色に輝いている。
三十億。だが、まだ通過点だった。




