第9話 異端者の僕が異端狩りする側になった件(2)
「ハァハァ……」
「自力で来られるなんて想定外だったわ」
重い。マジでふらふらする。
洞窟から流れ込む冷んやりとした空気に晒され、おかげで目が覚めた気もするけど。
扉の背後では黒く変化した触手がゆらゆらと蠢いていた。四角い空間を埋め尽くすほど巨大で、不規則な軌道の一部が、侵入者に襲いかかろうとする。
しかし触手の一つが扉に入りかかった時、突風が起きてバタンと扉が閉まった。
ふと視界が明るくなる。そこにはラナの姿もあった。ぐっしょり湿った服が急に生暖かくなってきてくると同時に、顔も鮮明になっていく。疑いの目というより、純粋な驚きと戸惑いの表情だった。
多分あれだな。倉庫の中にいた連中と同類か調べたくて、僕はクロになったということか。
隔離区域とかに連行されるらしいけど、いつかの信者の言うとおり、ルクスの制約がないほうがむしろやりやすいかも。
真っ暗で狭い通路を歩いているうちに、雑談が始まった。
「隔離区域の地上では魔力の結界が張られているの。原理的には地下にも張り巡らせることは可能だった。でも、すべての物資を整えるのは実質的には不可能だから、地下水路はやむを得なかった。過去にも脱走事件は何度か起きていたの」
「なぜ僕にそのような話を?」
「協力してほしいことがあるからよ」
「まず一つ目。ここでは結界の代わりに、魔力回路が組み込まれている」
「魔力……回路?」
「地下水路の装置をコントロールするためには重要な動力源よ。魔力は本来、魔術師だけが所有していたの。彼らが世の中の表舞台から消え去った以降は、ほとんどの魔力がこの装置の維持に用いられている」
「HFT(高頻度取引)に使うケーブルのことかな」
「あなたの例えは本当によくわからないわね」
ラナは少し皮肉めいた調子で言う。
しばらく歩いていると景色がガラッと変わった。
わずかな光を反射し、緑や紫、水色のグラデーションにきらめく鉱石。
コケの絨毯のごとく、地面や壁を覆い尽くすそれは幻想的と言えるほど綺麗だ。
地下の洞窟って、別の言い方があったよな。マンションじゃなくてトランザクションか。
綺麗な景色は異世界ツアーでも見所になりそうだし、こういうのは僕にとっても大好物である。ただ、魔獣とやらモンスターが一向に出てこないし、戦闘プログラムを再現するためのサンプルが取れないというか。
やっぱり魔力で金貨を無限に生成する方法を見つけ出して、元の世界に戻って金貨を換金してからその技術特許を得て、生産をコントロールしながら金の市場価値を暴落させるとかそっちの方向性にしよう。
そういえば、盗賊が出てきた時に使った「微粒子攻撃」の効果はどうなったんだろ?
瓶の中にこっそりGPSを仕込んで、持ち主の後を追うようなものだ。所持ルクスが全然無かったから、微量でも使えそうなのを選んだつもりだった。
何人かの話し声が急に聞こえてくる。携帯の電波が悪い時みたいに、声はクリアでない。洞窟全体で響いてるのか、頭の中だけなのか、恐怖というよりハッキングみたいで面白かった。
「何か人の話し声が……」
「声? 亡霊でもいると思ったのかしら」
少し緊張が抜けた感じに、ラナは微笑む。
炎色反応のように鮮やかな色が交わる景色の傍で、影に死体が転がっていた。
「いそうですけど」
「無理やり土砂を削ると、魔力回路がそれを検知して、雑菌にまみれた汚水が逆流してくるわよ」
「むむっ、それは絶対にイヤだな……」
僕は割と潔癖なのだ。隔離区域行きで一つ、懸念が生まれる。
〇
突然、ラナが消えた。
と同時に道が一つ、二つ、三つと分かれていき、全方位に自分の姿が映り込んだと思いきや、その無限回廊は唐突に形を変えてしまう。
際限なく広がる「無」、360度が漆黒に包まれる中、色とりどりのネオンが対称的に、直線や曲線として、美しく幾何学模様を描いている。
褐色の土と鉱石だった足場はホログラムに置き換わり、高層ビルの空中通路を歩いている時よりも、底が果てしない。だが足下の感覚は確かだった。歩くたびにコツコツと音がする。
「カリス……お前は……重大な罪を犯す」
物柔らかな女性の声だった。知らない人なのに、なぜか僕に対する怨恨が籠もっている。
「それは未来のことではなく、過去のことですよ、多分」
「お前は……私の敵……世界を変えた罪は、今後お前が背負うことになる……」
「世界を変えて、金が入るならむしろ本望じゃないですか」
少しぶっきらぼうに言った。
「フフッ、自分が選ばれし者だと思ってるのね……」
「思いません。そんなの全て、詐欺師が使う欺瞞ですから」
声の主はどこかムッとした様子だった。この透き通ったガラスの空間をくまなく探せば、彼女が見つかるかもしれない。
だけど僕はあまり興味が無かった。しばらく居着いてもいいかなと、出来ればもう少し鑑賞していたい気分だ。
元に戻る方法なら簡単だろう。本物の道を一つだけ見つければいいのだから。
「錯覚」
現実と理想のギャップで金は動く……まぁ今のは魔力じゃなくて、ただの目視でズレを判断しただけ。
○
彼がパチンと指をはじいた瞬間、ネオンの線は粒子となって崩れ去った。
急に殺風景な景色に戻る。鍵も、扉もどこにもない、境界なき密室。
空から何かが降ってきた。雨粒にしてはかなり大きい。
「あれが……魔獣?」
「避けて!」
背後からラナの声がした。
一閃が振り落とされると、また一閃。
地面に落ちたのは、既に四肢が切り裂かれた肉塊。
彼女が使っていたのは剣ではなく、杖である。
錬は一歩引きながら天井を見つめていた。密室の抜け穴らしきものは見当たらない。
ぼうっとしてる彼に耐えきれず、降りかかってきた一匹を黒い杖で振り払うと性急に言った。
「戻るわよ、ついてきなさい」
「出口も無いのにどうやって?」
「転送魔法で最初の場所に戻るの」
「あぁ、バックドアがあるのか」
「ばっぐどあ」が何なのか分からない。面と向かって話すのはまだ間もないが、彼は謎めいた言葉をしょっちゅう口にする。
ラナが見えない何かに向かって手先を素早く動かす。その瞬間、血まみれになった地面や魔獣たちはデータストリームのように消失してしまった。




