平穏
現在、ユウキはラファーヌと隣国エルドナム帝国の国境を越えるところだった。
正面では、堅牢な石造りの門がゆっくりと開いていく。
鎖が軋む音が、やけに重く響いた。
両脇には槍を持った兵士。
門上にはラファーヌの百合紋と、エルドナムの双頭鷲。
空気が、少し違う。
同じ草原のはずなのに、風が冷たい。
匂いも、色味も、わずかに濃い。
異世界の中の、さらに“外国”。
(パスポート無しで国境越えとか、普通にアウトだよな)
「ラファーヌ王家より正式な通達が出ている!」
熊が一喝すると、兵士たちの背筋が伸びた。
そして視線が一点に集まる。
――トラック。
馬車でも騎獣でもない、鋼鉄の箱。
目が泳ぐ兵士たち。
「………最新式の馬車です」
嘘は言っていない。
多分。
緊張が走る、わずかな静寂。
やがて門は完全に開いた。
アクセルを踏み、白石の境界を越える。
その瞬間、背中がぞわりとした。
(おいヒゲ。今、フラグ立っただろ)
返事はない。
だが、どこかで笑っている気がした。
遠くに塔が見える。
夕日に照らされた教会の尖塔が、金色に輝いている。
――あれが、フォノト教団の勢力圏。
胸が、わずかに高鳴る。
だが、それ以上に。
「狙われてるってのに、何でわざわざ出向くかね?」
――バカなのか。
その一言は、さすがに飲み込んだ。
背後から、きゃあきゃあと笑い声が聞こえてくる。
敵地に入った直後とは思えない騒がしさだ。
「この度、ヴィオラ様は我らがフォノト神聖教団にて、正式に“聖女”として列聖されることになりました!」
胸を張っているのは、教団から派遣された聖騎士に付き従う少年。
ロロだかルルだか……名前はもう曖昧だ。
「列聖って死後認定されるもんじゃないのか?」
「おお! ユウキ殿はフソウ教徒であられたか!」
隣の巨体が声を上げる。
聖騎士、テオ・ルードヴィグ・ベーベル。
体も声もでかい。ほぼ熊だ。
その熊が、なぜかシートベルトに苦戦している。
「……締まらん」
「締めろよ。国境越えよりそっちの方が危険だぞ」
「むう……」
真剣な顔でベルトと格闘する熊。
さっきまでの緊張感が、どこかへ消えた。
「……いや待て。勝手に納得するな。フソウ教は何の何なんだ?」
言った瞬間、軽く後悔する。
少年の目が輝いた。
ああ、スイッチが入った。
教団絡みになると途端に早口になる。
説明は長い。分かりにくい。そして思想が偏っている。
合間合間に、いかに自分たちが優れているかを挟み込む。
語りたい年頃なのだろう。
だが熊。
テメーは頷いてないで要約しろ。
「つまり、二大宗教の一つで、ラファーヌの隣国フソウ国で信仰されている歴史ある宗派、ということでいいか?」
「色々と省いてはいるが、概ねその認識で間違いない」
低い声で熊がまとめた。
……やればできるじゃないか。
人数が増えたため、四輪駆動車から大型トラックへ乗り換えた。
助手席は熊が「ぜひとも」と言い張り、こうして情報交換という名目の世間話に付き合わされている。
広いはずの軍用トラックの運転席が、やたら狭い。
少年が小柄で助かった。
荷台は、トラックを出現させてから二日でラファーヌ王室御用達の大工が魔改装している。
もはや客室だ。
そこではヴィオラ、メアリス、そしてもう一人。
メイドを名乗るが明らかに素人ではない女――パメーラが女子会を開催中である。
がたん、と仕切りが開いた。
「ユウキ様。姫様の甘味がなくなりました。次を」
「補給のタイミングおかしいだろ」
「国境通過記念です」
「記念するな」
パメーラは涼しい顔だ。
「ユウキ! さっきの白い石、境界線でしたよね? 踏んだ瞬間、何か感じましたか?」
「感じたけど言わない」
「えー!」
メアリスがくすくす笑う。
完全に遠足である。
「この端末も、まさかオヤツ製造機にされるとは思わなかっただろうな」
端末を操作すると、空中に甘味一覧が展開される。
「わあ……!」
「……全部、本当に出てくるのですか?」
この世界では甘味は貴重らしい。
最初に携帯食料用のカロリーバーを出した日から、定期的に要求されている。
あのヒゲに通販並みの機能を付けさせておいて正解だった。
「どうぞ。好きなの選んでクダサイ」
途端に客室が騒がしくなる。
ユウキが従う理由は一つ。
ちゃんと支払ってくれるからだ。
今の金庫番はパメーラ。
そして彼女は甘味に目がない。バレバレだ。
熊はビーフジャーキー。
少年は飴をちびちび。
聖騎士の懐事情は、あまり潤っていないらしい。
「そろそろ日が暮れるぞ。ほどほどにしとけよ」
「はーい」
「あと一個だけです!」
「ユウキ様、期間限定と書いてあります」
「期間って何だよこの世界に」
笑い声がトラックを満たす。
敵地。
宗教の本拠。
狙われている立場。
それでも。
トラックは、エルドナムの領土をゆっくりと進んでいく。
荷台から聞こえるのは戦の相談ではなく、
どの甘味が一番かという不毛な議論。
……まあ、悪くない。




