前触れ
「がぁぁぁあ! あのタヌキ親父め!」
「こら! ユウキ、それは不敬罪に当たるぞ。一度目は聞き逃してやる。次は無いと思え!」
「ぬぁぁにが聞き逃してやるだ!! まんまと厄介事を押し付けやがって!」
怒鳴りながら、ユウキは壁を蹴りそうになるのを辛うじて堪えた。
王の間を出てから、苛立ちは収まらない。
磨き上げられた大理石の床が、やけに白々しく見えた。
——守れなかったらどうするつもりだ。
そう問う前に、話は決まっていた。
「たぶん、ユウキが捕らえたあの賊から情報を取れたんだわ」
ヴィオラが静かに言う。
「……殺しておけば良かった」
「対策が出来るという点では、行幸じゃない?」
「くそっ……」
ユウキは頭を掻きむしる。
「そもそもだ。姫の警護に、どこの馬の骨を据える奴がいる?」
「私の護衛は、実質上ひとりなの」
「何でだよ! それなりに裕福そうじゃねぇか。傭兵を雇うなり何なり——」
「姫様の立場は、大変難しいのだ」
横からメアリスが口を挟む。
「説明! 説明を求める!!」
説明を聞いた限り、こうだ。
ラファーヌ王国は、周辺を大国に囲まれた小国。
世界の海運を担う港湾都市。
世界の全てが集まると謳われる王都。
資源は乏しいが、険しい山々が鍛え上げた傭兵を多数輩出する地方都市。
現王の手腕により侵攻の危機はない。
——だがその繁栄は、常に誰かの喉元に置かれた刃でもあった。
二人いる王子は、それぞれ別の国の支援を受けている。
どの国も王国を自陣営に引き込もうと、水面下で画策していた。
このままでは、王家は二分されかねなかった。
だが。
歳の離れた娘——第一王女ヴィオラの誕生が、情勢を変えた。
王族のみならず、国民までもが彼女を溺愛した。
敬愛された妃アウラの忘れ形見。
各地を巡り、病人に触れ、奇跡を起こす少女。
「世界に二人といない神の奇跡を起こせる、心優しき姫様。“愛姫様”なんて呼ばれるわけだ」
ユウキが肩をすくめる。
「何か言いたい事がありそうね? ユウキ」
「いいや〜? 一時は国を割るほどの緊張状態が、今や一致団結。工作していた国は面白くねぇよなぁ」
「国だけではない。教団もまた、姫様の処遇で荒れている」
「出た出た、宗教か。どれくらいの規模なんだ? その何たら教会は」
「フォノト神聖教団だ」
メアリスの声音が、わずかに強張る。
「通称フォノト教団。大陸最大の宗教勢力だ。王侯貴族から平民まで、信徒は数知れん」
「“最大”ってことは、他にもあるんだな?」
「……ある」
空気が、わずかに重くなる。
「だが今、王都で最も影響力を持つのはフォノト教団だ。内部は聖女派と教皇派に分裂している」
「その聖女様が姫様、と」
「そうだ」
「教皇派は?」
メアリスの表情が曇る。
「奇跡は神のものであって、人のものではない。
そう主張する者たちだ。王家の下に奇跡がある現状を、良しとしない」
「……排除寄りか」
否定はなかった。
ヴィオラが小さく呟く。
「私は、皆が笑ってくれればそれで良いのだけれど」
「箱入りは自分の立場が分かってないらしい」
「立場……?」
ヴィオラが小首を傾げる。
「アンタだよ、姫様。国をまとめる象徴。宗教にとっても政治にとっても、喉から手が出る存在だ」
「フォノト様は、争うために私に奇跡を授けた訳ではないと思うのだけれど」
無垢なその言葉に、ユウキは眉をひそめる。
——理解していない。
それがどれだけ危うい位置か。
「……俺が選ばれたのは、教団絡みか?」
ユウキの脳裏に、あのヒゲ男がよぎる。
「フォノト教団の使者が来ていた。姫様に会いたいと」
「だろうな」
嫌な予感が、隊列を組んで迫ってくる。
まるで誰かに盤上へ駒として置かれたような感覚だった。
ユウキは空を見上げる。
遠くで鐘の音が鳴る。
それは、フォノト神聖教団の鐘だった。




