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望郷の魔法使い

視力を奪われた魔法使いと千の顔を持つ道化の話



 かつてバロットケール地方には魔法使いが住む森があった。そこで生きた人々は皆、魔法を操ることが出来たという。

 長い歴史の中でただ静かに存在し、近代になって突如として姿を消した。

 隣国との戦争ではない。魔法使いは争いを好まないからだ。

 大災害による崩壊でもない。魔法使いは自然と共に生きているからだ。

 魔力を多く含んだ空気を体内に取り込めば取り込むほど魔法との繋がりが深まり、誰でも魔法を使うことが出来る。ある時の権力者はバロットケール地方の森ごと奪ってしまえば魔法騎士団を作り上げるのも可能だと考えた。しかし、森に住む魔法使いがその考えに賛同するはずもない。

 女は殺され、男は兵役に就かされ、子供は目を焼かれた。

 『魔女狩り』と呼ばれた、あまりに自己中心的な政策が行われたのは半世紀も前の話だ。たった一人を除いて、もう誰も生きていない。

 紺のローブに身を包んだヒスタは今日も一人で森に向かおうとしていた。フードを顔が隠れるほど被り、整えられた木の杖を頼りにして歩いていた。腰が深く曲がっているが、その足取りはしっかりとしている。

 めったに人の通らない道は草が無造作に生え、気を付けていないと足を取られてしまいそうなほど酷い状態だった。しかし、ヒスタは安全に通れる道を分かっているかのようにスタスタと進んでいく。

 そんな彼女を森の中で見かけたハクは、手を貸しましょうか、と話しかけるのを止めた。そんなことをしなくても彼女は何年も森を歩いているのだと、静かに思った。もしかしたら、手を貸したほうが自分の不注意で彼女に怪我をさせてしまうかもしれない。

 ハクは遠くからヒスタを眺めていた。

「坊や、見ているだけなら誰だってできるんだ」

 確かにヒスタは、ハクのほうを向いてそう言った。

「見えているんですか」

「いや。そんなことより、これを持ってくれ。最近は花だけでも重たくて仕方がない」

 ヒスタが差し出した籠には、バロットケール地方に自生するメラエスの花がいっぱいに入れられていた。

 真夜中の空を思わせる花弁と星のように散る花粉。手を伸ばしても届かない、遠い、遠い青。

「どこに行くのですか」

「この森の一番深い場所さ」

「そんな場所に何があるんですか」

 ため息をついたヒスタはもう一度、わざとらしく息を吐いた。

「若い子は質問ばかりだ。何も考えやしない。聞けば必ず答えが返ってくると思っている。意味のない行動は不必要かい。まったく」

 歩き始めたヒスタの背中をハクは黙って追いかけた。

 二人はどれほど歩いたのか。光の差し込んでいたあの場所からすれば一足早い夜が来てしまったようだ。森の深いところまで来てしまったのかもしれない。もしかしたら、それだけの時間歩き続けているのかもしれない。しかし、ヒスタは止まらない。ハクが草に躓いて体勢を崩しても心配する様子はなく、むしろ歩調を早めるばかりだ。

 ハクはその足を止めようと、思いついた言葉を投げた。

「その傷は」

 ヒスタは初めて足を止めた。

「貴女が魔法使いだから付けられたものですよね」

 止まったまま振り返らない。思わずハクも歩みを止める。

「質問じゃないことを言い出したかと思えば、失礼なことを言うじゃないか」

「すみません」

「はぁ、すみませんって。素直なのか素直じゃないんだか」

 ヒスタはまた歩き始めた。だが、歩調は落ち着いて

「ここだよ。木の根元にでも花を撒いてくれ」

 ヒスタが指差したのは森で一番の大樹だった。近くの若木を何本も呑み込み、十人と手を繋いでようやく囲える太い幹。表面は黒の強い茶。脈を感じるほどの生命力は、自然の偉大さと同時に恐怖すら抱く。ただ静かに、そこにある。

 ヒスタはそっと木に触れた。赤子の頭をなでるように優しく、包み込むように。

「お墓ですか」

「そんな立派なものじゃない。墓すら作らせてもらえなかったんだ」

「よく来るんですか」

「気が向いたときに来るだけだ」

「そうですか。では、木の根元にあるメラエスの花は別の人が持ってきたんですね。籠で二杯くらいでしょうか。この森に生きている人が他にもいるかもしれないですね」

 ハクが目を向けた先には、籠の中にある花と同じものが山になっていた。籠から雑にひっくり返された花は日にちが経ってしまったのか萎れて小さくなり、凝縮された青が溶けて出しそうになっている。

「私は全員の死を見届けた。生きているのは私だけだ。ここにかけられた森羅万象を受け入れる魔法も、魔女狩りの時に消えた。最初に森に立ち入った大魔法使いが人間も受け入れようとしただけで、もともと人間はこの森に入れなかったんだ。森に入れるということは、私がまだ魔法を使えることの証明であり、坊やが人間でない何かだという証明だ」

「なるほど」

「森は人間を嫌う。共に生きていた時代は終わった」

 土には焦げ付いた跡が残り、人が住んでいたであろう家屋は焼け落ちて黒く染まっている。緑の空にぽつりと穴が空いて、村の上空だけが青く眩しい。

「悪魔に魂を食われたんだろう。見た目は取り繕えても、もう二度と人間には戻れないよ。異形化しなかっただけ良かったと思いな」

「ええ、そう思っておきます」

「今は青年の姿かい」

 確かにハクの姿は青年だった。ブロンドの髪に深い青の瞳をしている、北の国では一般的な見た目だ。少し小柄ではあるが、腰の曲がったヒスタの倍ほどの身長はある。

「見えるんですか」

「いや、そんな感じがしただけだ。この目じゃ何も見えやしない」

 ハクの方を向いていたヒスタは目を覆っていたフードを取り、焼かれた瞼を見せた。火傷の跡が仮面のように残っている。開かれたヒスタの沼のような瞳にはハクの姿だけがぽつりと浮かび、光は落ちて消えている。

「魔法で治せないんですか」

「そんな便利なものじゃないよ。魔法は森と人間を繋ぐ架け橋の役割を持っているだけ。火を付けるだとか、物を移動させるだとか、それだけ。昔の権力者が求めたような立派な魔法は使えないし、私たちもそれ以上のものは求めなかった」

 ヒスタは頭を押し込むように深くフードを被りなおした。

横倒れになった木に腰をかけたヒスタの隣にハクも座る。

「それに、見えたところで良いことなんて何もありやしない」

「そうですね。でも、僕はこの森に来て良かったです」

「何もないよ。本当に」

「貴女が生きている」

「それだけだ」

「それだけでも良かった」

「一つしか魔法を使えない無能な魔法使いだ」

「僕は何もできません」

「みんなの死を受け止めてなお生き続けようとする醜い老婆だ」

「みなさんの分まで生きているんですよ」

「仲間を見捨てて逃げ、復讐をしようともしない裏切り者だ」

「裏切り者は花を供えません」

「そんな私を誰が赦してくれる」

「悪魔に魂を喰われた僕ですら存在を赦されたのに、心優しい魔法使いである貴女が赦されないわけがない」

 ヒスタは言葉を切らした。

「坊やは良い人に出会えたんだね」

「そうでしょうか」

「良い方に捉えられているなら、悪い関係ではないんだろうよ」

「彼にとっては良いものだったのでしょうか。彼は僕を……」

 言葉を詰まらせたハクに呆れたようにヒスタは言う。

「ふん。他人の心配をするくらいなら、自分の人生を楽しみな。それに、坊やの言う彼はもう死んでいるんだろう? 死人に口なしだ。あの世で文句を垂れていようが、この世に生きている私たちには何も聞こえやしない」

「そういうものですか」

「案外そんなもんだよ」

 ヒスタはハクの方を見て小さく口角を上げた。

「誰にも文句を言われないなら赦しを得なくていいんじゃないですか」

「良いこと言うじゃないか」

 ヒスタは杖を地面に置き、両手を合わせて指先にそっと言葉を乗せた。その部分が光を帯び、ぽぅと淡い青色に染まる。

「坊や、特別に魔法を見せてあげよう」

「魔法……」

「期待するんじゃないよ。私はこの魔法しか使えないんだ。まぁ、この魔法を使えるのも私だけなんだがね」

 青い光が粒子となり、ヒスタの周りに舞い始めた。

「手を貸しな。そして、目を瞑るんだ」

 ハクは両手でヒスタの手を覆った。そして、目を瞑ると青い光が手に集まって一つの点となり、勢いよく空へと飛んだ。上へ上へと飛んでいき、破裂した粒子がドーム状に降りかかって村を包み込む。

「もう手を放していい。目を開けても大丈夫だ」

 暗がりの森とは似ても似つかない、爽やかな風の吹く丘の上に二人はいた。

「ここは?」

「坊やの故郷だ。身体が覚えている一番古い記憶。それを呼び起こした」

「こんな場所知りません。何かの間違いです」

「記憶に間違いはない」

 ハクの表情が歪む。

「僕は北の街で生まれて、その土地で育ったんです。こんな鮮やかな緑は無かったはず」

 声も、魂の形も歪んでいく。指先が鋭利になり、肌の一部が黒い鱗に変化する。

 ハクは慌てて隠そうとするが、ヒスタはそんなものより風の方向を見ていた。

「まぁいい。せっかく綺麗な景色が出ているんだ。坊やの言葉で私に教えてくれ」

「わかり、ました」

 胸に手を置いて何度も息を吐くとハクは元の姿に戻った。

「丘の上に僕らはいて、今と同じように小さな岩の上に座っています。目線の先には海が広がっていて、水平線もはっきり見えます。くるぶしが隠れるほどの高さの草が辺り一面に生えています。白や桃色などの花がつぼみを付けていて、もうすぐ咲きそうで」

「景色のことはいい。坊やがどう思ったかを教えてくれ」

「どうも何も、知らない場所に何の感情も湧きませんよ」

「そうかい」

「でも、こんな場所で死ねたら幸せだろうなと」

「ほう」

「死ぬにはとてもいい景色です」

 ハクは息を吸う。肺に花を咲かせる。

「悪魔にも死への願望があるのかい」

「死ぬのを諦めただけです」

「そうか」

「ここに住んでいる魔法使いなら悪魔が死ぬ方法を知っていると思ったのですが」

「知らないね」

 ヒスタは再び手を合わせた。散らばっていた粒子が弾け、雨となって二人と村に降りかかった。そこは元いた森の中で、深い青色をしたメラエスの上で露が光っている。

「私の魔法は望郷の魔法だ」

「魔法は人を傷付けないんでしたよね」

「そうだ。だから、魔法使いに期待するんじゃない」

「分かりました」

「気が済んだなら帰りな」

「貴女は戻らないんですか」

「今日はもう少しここにいる」

 ハクは立ち上がって服を軽く整えると、ヒスタに向かって深く礼をした。

「ありがとうございました」

「勝手に付いてきただけだろう」

「今度は僕にエスコートさせてください」

「私を死なせない気かい」

「ええ。お互い様ですよ」

「気を付けるんだよ。真っすぐ、ただ真っすぐに進むだけだ。迷うことはない」

 ヒスタは来た方向とは別の道を指さした。どこを指さしても同じように見えたが、ヒスタの指した方向だけは空気が歪んでいる。ゆらゆらと葉の影が動き、樹皮が蛇のように動いて生きていた。

「やっぱり見えていますよね」

「それは今度話そうか」

 二人は声を出して笑い、また会うからと別れをあっさり告げた。

 ヒスタは焼け焦げた村の方を向いて口を動かしていたが、ハクには何を話しているかは全く分からなかった。ただ、自分には見えない景色が彼女の中にあるのだと思った。

 ハクが村を出た瞬間、先ほどの淡く青い光が村を覆った。青い光はガラスのようにきらめき、空気に溶けていく。そこにあったはずの村は消え、深い深い森の中に丸い原っぱが現れ、最初から村の存在が無かったかのように、もとからそうであったかのように、静かな風が吹いていた。

 振り返ったハクは、目に刺さった光を瞼でゆっくりと押し込んだ。そして、言われたように森の道を真っすぐに歩いていく。変わらない景色、同じような木々が永遠に続いている森は暗いままだったが、目の奥に残る青い光は足元を照らして正しい方向を伝えてくれた。不思議なことに森に入る前にいた場所に出ることができ、ハクは森を振り返って深く礼をした。

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