六
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男衆も素速く町なかを見回した。
「本当にありえるかもしれません。なにしろ、この誓文払の前後に、何千匹も売れるんですからね。蛇屋の瓶が空になったことがあるっていいますから。欲は恐ろしい。運悪くぶら提げたやつにぶつからないとも限りませんよ」
「ほら! だから言わないことじゃない」
と初阪は、控えめにステッキを二振り、三振りして、
「それでなくてもここから見渡した大阪の町は、通りも路地も、どの家も、カッと陽気に明るいなかに、どこか一箇所、陰気な暗いところが潜んでいて、礼儀作法にも、謂れや因縁にも、先祖の位牌にも、色にも恋にも、占いの本やら蛇のまじないやらが支配する何かが隠れていそうな気がする。そこへ蛇瓶の話を昨日聞いて、つま先立ちになりながら実際に蛇屋の前を通ってからというものは、ひょっとすると若い娘も年増女も、着物の前を合わせた内側の奥に、蛇をひと筋隠していそうな気がしてならない。
昨夜も、劇場で……」
男衆は、自分が話の腰を折ってしまったからと気を利かせて、今思い出したというふうに手を打って見せた。
「そういえば、いったいどうしたというんですか。お珊さんが、その旦那と?……」
「まあ、お聞きなさいよ。――あの女と隣り合った私の桟敷にもう一人、まだ肩揚げをしている十六、七の娘が入ってきた。髪を桃割に結って、緋色の半襟で、黒繻子の襟を掛けた、黄色が目立つ柄の八丈の着物を着て、紬か何か、絣の羽織をふわっと羽織っている。ふさふさとした簪を前寄りに挿して、人柄の良さそうな、澄んだ目に、優しい眉、素直な口もとをしている。……できるだけ着飾ってきたのだろうが、着物も帯も、あまりいい家の娘じゃないようだが」
「おりました。ええ、親方があなたにご用意した桟敷に他の人が入ってくるはずがないから、たしか私がどうしましょうと伺いましたよね。あなたが『構やしない』とおっしゃるし、そこはね、大したお目障りになるものでもないし……あの通りの大入りで、ちょっと移ってもらおうという空いた席も見つからないものですから、そのままお邪魔を許していただいておりました。
後で聞きますと、案内係があの娘を喜ばせてやろうと思い遣って、内緒であなたの桟敷に入れたんだそうで。
ありゃなんですって、逢阪下の辻――ええ、天王寺に行く道です。公園寄りの十字路に、屋台にちょっと毛の生えたような小さな店で、あんころ餅を売っている娘だそうです。いい娘ですね」
初阪は初めてそれを知った。
「そうか、餅屋の娘さんか……そしてあれなんだぜ、あの劇場の便所番をしている爺さんね、でっかいどてらを着たたくましいおやじだが、どことなく影の薄い、ひどくよぼよぼしてる……」
「ええ、駕籠伝、駕籠屋の伝五郎っていう新地の駕籠屋で、ありゃその昔、ここらで名を知られた男です。もう年配の上に、体を張って働いた無理が出て、今は便所の番をしています。その駕籠伝が?」
「その爺さんが娘の父親なんだ」
これは男衆のほうが知らなかった。
「へい」
「知らないのかい」
「そうかもしれません。私は御存じの通りこの土地の出じゃないんですから、見たり聞いたりしたこと以外は、知らないことも多くて。へい、どうして知ってらっしゃるんで?」
「そりゃこういうわけだ。……私が昨夜、あの桟敷に入ったとき、空いていた場所は私の所と、隣に一間だけ」
「そうですよ」
「その二間しかなかったんだ。開演が近いことを知らせる二丁の柝が打たれたときさ。年配の案内係が娘を連れて――桟敷の横手にある通路への扉が、中座では竹格子なんだね――扉をスッと開けて姿を見せると、後ろの廊下で小さくなるというのが決まりで、桟敷のなかには入れないから、顔だけ出して、しゃがんで言ったんです。
『旦那、この娘を一人、お願いできませんでしょうか。内輪の者で、客ではございません。楽屋に知れるといけないことですが、あなた様のご裁量次第で』
と、至って慇懃な口調です。
自分の懐が痛むわけでもなし、こういうとき、おのぼりさんは気前よくしなきゃと思ったから、さあさあご遠慮なくと答えて、まずは引き受けたんだ」