五
五
「ええ、そうですよ。穴の前で願い事を、一心に蛇に言い聞かせます。そして袋の口を開くと、にょろにょろと這い出てくるんですが、必ず一度、目の前でとぐろを巻いて、首をもたげて、その人間の顔をじっと見て、それから横穴に入って隠れるって言います。
そのくらい念のこもった蛇ですから、その蛇屋に買い手が来て、びっしり詰まった大瓶の押し蓋を外すと、どうなると思います?
黒焼きの注文のときだと、うじゃうじゃと我先に下へ潜って、瓶の口のあたりにぐっと空きができる。……願掛けで放すつもりの客のときだと、ぬらぬらと争って頭を上げて、瓶から煙が立つようになるんですって。……ねえ、不気味ですよねえ」
初阪はぐっと背をそらせて空を見た。そのとき城にかかっていた雲は、にぎやかな町に立つ埃よりも薄くなっていた。
なんの広告だか、屋根いっぱいに大きな布袋の絵がかかげられているのが思いがけず目に入ってきた。下から見上げたそれが唐子のように見えるのに、思わず苦笑しながら、
「昨日もその話を聞きながら、兵庫の港や、淡路島や、煙突の煙に覆われていないところは屋根ばかりが見える大阪を一望できる高津の宮の高台に上って……湯島の女坂に似た石の階段を下りて、それから蛇屋の前を通ったんだが、軒から真っ黒な氷柱が下がるように蛇が吊られてるのを見てヒヤリとしたよ。いっぺんに寒くなって――ただでさえ煮え上がって湧きたっているような大阪が、あの境内にはおでん屋、てんぷら屋、炒り豆屋が、かっかぐらぐらと煮立て、蒸し立て、焼き立てて、それがまた天日にさらされているんだからね――びっしょり汗をかいていたのが、おかげですっかり涼しくなった。ただし、あまり気持ちのいいおかげではないけどね。
大阪へ来てからはお天気続きだし、夜は万灯会の燈光のなかにいるんじゃないかというほど明るいし、町を歩くときでも寝るときでも暗いと感じたのは、蛇屋の前を通ったときと、ついさっき城の雲を見たときだけさ」
話の途中で男衆は、ふと口を挟んだ。
「何を御覧になってます?」
「いえね、今すれ違った、ほら」
と、ちょっと振り向きながら、
「ほら、あの、梅川忠兵衛の芝居の忠兵衛の養母みたいなご隠居さんが、紙袋を提げているから……」
「冗談じゃありません」
「私は例の袋かと思って……」
「ありゃ天満の亀の子煎餅の袋です……たぶん亀屋の隠居でしょう。あなた、どうしてあんな婆さんが、まじないの蛇を持つもんですか」
「ははあ、若者でなくっちゃ利かないのかね」
「そりゃ……恋愛の願掛けならばですけど……欲のほうとなると無差別ですから、年寄りはいっそう激しいかもしれません。
とりわけこの二、三日は、蛇屋の蛇が売れまくるっていいます。……誓文払というやつで、大阪じゅうの呉服屋が年に一度の大売り出しをしますんでね。市中もこの通り、また格別に賑わいまさ。
心斎橋の大丸なんかでは、景品の福引きに十両、二十両という品物を奮発して出しますんで、ひとつ引き当てようというつもりで、まじないに蛇の袋をぶら下げて、杖をつきながらお十夜法要とみせかけながら、夜中に霜を踏んで願掛けをしようと、橋を渡る白髪の婆さんもあるにゃあるんで」