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「そんな想像をしたもんだから、なんだか大変なことが起こったような気がして、くやしいけれど()いているんです。

 実はね、昨夜(ゆうべ)(どう)(とん)(ぼり)(なか)()で芝居を見物したとき、すぐ隣の()(じき)にいたんだよ、さっきの女が……」

 と、うなずくようにしながら(はつ)(ざか)は言った。

 (おとこ)(しゅ)はまた笑った。

「知ってますとも。それをおっしゃらずに、しらばっくれて、今初めて見たという顔でお()きになるから、はぐらかしてあげましたんでさ」

「だって、住吉神社も四天王寺も見ないうちから、大阪に着いていきなり、あの女は? と訊くのもどうかと思う。それじゃあ慌てすぎて、(ふり)(そで)()(つまず)いて転んだみたいだから、やせ我慢をして黙っていたんだ」

「けれども辛抱できなくなった、というわけでしょう。ごもっともですとも。実は親方もね、目の保養にあの若奥様をご覧にかける、ちょうどいい機会だからって、昨夜もわざとあなたを隣の()(じき)へご案内したんです。

 あちらもまた桟敷席を予約してね、旦那といっしょに来ていました。取り巻きに六、七人(げい)()がついて」

 初阪は男衆の顔を見て、

「はあ、とするとあの女は(かた)()なのかい……以前は(くろ)(うと)だったとしても」

 男衆はまた、そう聞かれることを予測していたようにうなずくのだった。

「ところがあなた、今もまた南新地の(くるわ)から出てきてるんです。……いいえ、旦那が替わったというわけでも、別れたというわけでもありません。昨日御覧になったあの男が、以前からの旦那でね。ええ、しかも、ついこの四、五日前まで、以前に身請けされたまま、(さくらの)(みや)のお屋敷におられました。それこそ浮世絵の画題にでもなりそうな若奥様でいたんですがね。

 あの旦那のとんだ物好きから、一度堅気になったものを、(しゃ)()()を出してまた政府の鑑札を受けて、以前と同じお(さん)という名で、あらためて芸妓のお披露目をしました」

 と、冗談で言っているふうでもなく話す。

大阪(かみがた)は風流なもんだね。せっかく自分の女房にした女を冗談で芸者に出すなんざ、(さと)ったもんですぜ。金で根こそぎかっさらった女を、人助けのために他の男たちにも拝ませるってことか。そのおかげで私なんぞも、いい土産話にありついたというわけだ」

「いいえ、隣桟敷で()(もう)(せん)(ほお)(づえ)ついてたり、橋の(らん)(かん)に振袖を掛けたり、なんて姿どころじゃありません。あなた、もっと立派なお土産をご覧になることでしょうよ。明日、明後日(あさって)の晩は、先ほど目にされたお珊の方が、千日前から道頓堀、新地にかけて(たから)(いち)のお()りに出るのを、どうぞご覧なさいまし。下げ髪に緋の(はかま)という扮装(なり)で、八年ぶりにお練りの行列に参加するんですから」

 下げ髪、緋の袴ということばが、大阪城の上にかかる雲を目のあたりにして、豊臣滅亡の幻を思い浮かべた初阪の耳に鋭く響いた。

「なんだって? 下げ髪で、緋の袴?……」

「もちろんお珊の方一人で、というわけじゃありません。――たしか十二人、同じ姿でそろって練り歩きます。それでも入れ髪なしの自分の髪で、解きほぐすと緋の袴の(すそ)をちょっと越えるくらいの長さになるっていうのは、あの女だけだともっぱらのうわさです。以前、(くるわ)から身を退いてからもうそんなに経ちますけれども、(わっし)あ今日も、つい目の前で見て驚きました。

 苦労も(ほう)(とう)もしてきただろうに、娘みたいに狭い額の生え際が、ほんの少しも抜け上がっていませんやね、ねえ。

 宝の市に自毛の洗い髪で出て、お練りの屋台を()けそうなどころか、象をつないでも大丈夫じゃないかってほどの豊かな黒髪ですわ。

旦那もね、宝の市に出して、お珊さんのその姿を見たり、見せたりしたいばかりに、おそろしく派手な(げい)()のお披露目をしたんだって評判です。

 お練りの行列の(いち)()は、芸妓だと決まってるんです。しかも芸なり容色(きりょう)なりが一流でないと、世話人のほうで出しませんから……そこで選ばれた女は、その後一年ぶんの名声を得るってわけです。

 お珊はそのなかの一番人気だ、あなた。何しろ大阪じゃ、(はま)(でら)(うお)(いち)には本物の龍宮が顕れる。この住吉の宝の市には、天人の素足が見られるって言います。一年のなかでも特別の祭ですから、まあ、ぜひお目にかけましょう。

 あなただったら、ひと目見て立ちすくんでしまわれそうな……」

「立ちすくむってのは大げさだね。人聞きが悪いじゃないか」

「だって、今あの女をちらりと見ただけで、ぞっとなさってたじゃありませんかね」


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