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泉鏡花『南地心中』 現代語訳  作者: らいどん


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二十一

二十一


 小指を外(そ)らして指輪を目の前にかざす……お珊(さん)は、それが縁結びのまじないであるかのようにした。

「ひそひそと話していやはったな。……そこへ私が行き合わせたことがいいきっかけになって、この結婚式をしてやろうと思いついたんだっせ。

 ここで夫婦にならはったら、すぐにな、別に店を出してもらうなり、新居に引っ越してそこから本(ほん)店(だな)に通うなり、あのお爺はんと三人で、心安らかに暮らして行(ゆ)かはるように、私がちゃっと引き受けた。これからは私の弟分、妹分として、丸官はんにもいやとは言わせぬ。よって、安心おしやすや。え、嬉しいやろ。美津さんが、ほら、嬉しそうに。

 どうや、九(く)太(だ)夫(ゆう)はん」

 と、お珊は多一のことをからかってそう呼ぶと、そっと声を立てて笑い、うち解けた笑顔になった。

 多一は素(す)袍(おう)の浅(あさ)葱(ぎ)色(いろ)が濃く見えるほどに身を縮めて、また頭をハッと伏せた。

「ほほほほ、多一さん、あんた、そない取っつきにくいふうにせんで、胡座(あぐら)組む気で杯(さかずき)しなはれ。私かて、丸官はんの傍(そば)にいるのやない。このひと月は富(とん)田(だ)屋(や)に籍があるんやから、以前の芸(げい)妓(こ)のつもりで酌(しゃく)をするのえ。

 仮(かり)祝(しゅう)言(げん)や、儀式も作法もお預けにするよってな。のちにまたあらためて、ちゃんとした仲人(なこうど)を立てる。私が仲人やったら、婚姻の席でこないな冗談は言えやへん。

 そない堅くならんといておくれやす。なあ、九(く)太(だ)夫(ゆう)はん」

「若奥様」

 と多一は片手を畳に支(つ)き、

「私はもう何もわかりません。胸いっぱいで、口がきけないようでござります。が、私のことを九太夫とお呼びなさるのは情けのうござります」

 と、差し迫った口調のなかにも、どこか嬉しそうな笑みを含んで言った。

「そうやかてあんた、一昨日(おととい)の暮れ方、餅屋で腰かける縁(えん)の下(した)に、慌てふためいて潜って隠れやはったやないかいな」

 と、その姿が忠臣蔵で縁の下に隠れた斧(おの)九(く)太(だ)夫(ゆう)にそっくりだったと言う。――そしてそれは事実だった。――

「はい、今だからこそ申します。若奥様がまたお意地の悪いことに、わざわざその縁(えん)に腰をお掛けなされまして、盆に乗せてあんころ餅をよこせ、茶をもてと、この美(み)津(つ)におっしゃるのでございます。

 そこから隠れようにも入る穴はなし、あなた様の召(め)しものの薫(かおり)が、魔(ま)薬(やく)とやらを嗅(か)ぎますようで、気が遠くなりました。

 あまりのつらさに、犬のようにのこのこと縁の下から這い出しましたときが、いっそう心苦しゅうござりました」

「ほほほ、いややわ、この人は。……最初はな、内緒で恋人に逢(あ)やはるより、なんの他人でもない私の姿を見て隠れやはった心の裡(うち)が水くさいなと、口惜(くや)しいと思うたけれどな……手を支(つ)いて詫(わ)びを言いやはる……そのとき、入り口の戸の端(はし)にちょんと乗って、もぐもぐ柿を頬張っていた、あの大きな猿が土間へ飛び降りて、あんたといっしょに頭を土に付けたのには、思わずうるうると涙が出たえ。

 柿は、あんたからの土産やったそうやな。

 四天王寺の境内で、以前舞わしてやった、あの猿。どないなったと問うたら、ちょっと知り合いの者がいて、そちらに……とだけ言うて、預けた先を話しはらん。住吉あたりの田舎へでもと思うたら、大事な人のとこにいるのやもの。

 おお、そのままあんたたちを、私のところへ無理やり連れてきてしもうたが……。うっかりしたな、お爺はんは、今夜は私の市(いち)女(め)笠(がさ)を持つ役目やから留守。あの猿はどうしたやろな」

「はい」

 とお美津が話を受けた。我が身の姿とこの場の光景(ようす)に気(け)圧(お)されて、躍りの稽古でセリフを言うような細く透る、しかし震える声で、

「お爺さんが留守のときも、あの、戸を閉めたなかにいて、ような、いつも留守番してくれますのえ」


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