二
二
工場からの煙であろう、七筋ほどの黒煙が、風がないからまっすぐに立ちのぼると、城の櫓のてっぺんをとり巻いて、覆いかぶさったその暗い雲の端が乱れて、むらむらと崩れては、そこからまたせり上がって淀川の空のほうになびいている。……
なびきながらも脈打つように揺らいで、七筋すべてがところどころに斜めから差す太陽の光を浴びて、白い泡を立てるように渦巻いている。そんな光景の凄さといったらない。
家康軍の大砲が炎を吹いて、城の天守にある千畳敷に砲弾が転がりこむと、淀君をはじめ多くの美人の練絹の衣や紅の袴がずたずたにされて、城といっしょに滅びる様子が目に見えるようだ。……雲を貫いて吹き上げる工場の太い煙は、身の丈よりも長い黒髪がもつれて乱れるようで、いったん崩れた黒煙の柱がふたたびせり上がるさまは、とこしえに消えぬ人々の怨みを表すかと思える。
そんな淀川の両岸には、細い木の枝に薄紫の靄が、すらすらとなびいている。人力車は矢輻をきらきらと輝かせながら走り……川面は船の帆をすっきりと映す晴天のなか、どうして大阪城の上空だけが、暗澹として曇っているのだろう。
「ああ、あの雲だ」
と初阪は橋の北側のたもとにびっしりと並んだ商店の、今は軒の看板に隠れて見えなくなった櫓の上に掛かる雲を、ふと仰ぎ見た。
そしてうつむいて足もとに目を落とすと、連れだって歩く自分たちの影を見た。
「大丈夫だろうかね」
「雷様のご心配ですか」
男衆はいち早くそれと察して、
「冗談じゃありませんぜ。こんな早い時間から鳴るもんですかい」
「そんならいいが」
と言って歩きだす。暗くなりかけた二人の影も、真っ昼間の天満筋を激しく行き交う人脚にまぎれて、塵になったかのようだ。
初阪は晴れやかな顔になった。
「あの黒雲を見てぞっとしたんだよ、私は。……そのくせ、この陽気だから淀川にも自然と水蒸気が立ちのぼり、陽炎のようなものがひらひらとただよっていて、それが城の櫓に重なって見えると、なんとなくパッと美しい幻が寄り添うようで、天下の名城を彩っているように思えたんだよ。でも、その花やかななかにも、長くて濃い黒髪がひそんでいて、瀧のように動いていた」
城のことを語るとき、初阪は酔ったような調子になって、慣れない土地で足もとをふらつかせるさまが危なげに思えたが、連れがしっかり者の男衆だけに、面倒を見てくれる相手がいる酔っ払いのように、すれ違い、行き交う人混みのなかを、脇目もふらずにしゃべり続けるのだった。
「ところで、あのことなんだが」
「あの美人のことでしょう。私たちが立ち止まって、お城を見ていたとき、十メートルも離れていないあたりに美しく立って、同じ方角をながめていた。あれのことでしょう。……あなたが『今のは?』って尋ねたのは。ほら、奴を一人、お供に連れていた」
「奴だって?……小間使いらしき十五、六の娘だったぜ」
「大阪じゃ奴って言うんですよ。ああいう島田髷の元結の上に結んだ白丈長紙をピンと立たせた、りりしいなりをしています。若奥様にはああいう小女が付き添ってるのがお約束でしてね。あれで若奥様の髪型が元禄髷だったりしたら、菱川師宣えがく浮世絵の女ですね。
あれはなんだとあなたがお尋ねなさるのは、わかっておりました。……逆にあれを御覧になってお聞きにならないようだと、大阪じゅうが不満がるでしょうね」
「人が悪いな、この人は。そこまでわかっていながらはぐらかすんだから。『大阪城でございます』とは、釋に障るじゃないか」
「はははは」
「しかしあの女と大阪城は、まったく無関係だとは思えない。あの姿を見て、一方であの煙のなかのぞっとするような櫓を見つめていると、想像してしまうんだよね。
十メートルほども離れていない場所に、上品な絵の具の淡彩で描かれたようにたたずんでいた、さっきのあの美人の姿だがね……淀川の流れに惑わされた、私の目がおかしくなったんだろう。スッと向こうに浮いて行って、遠くの、あの、城の矢狭間のような細い窓から顔を出して、こっちを見ていたように思えた。いつの間にか城のなかに入って、こちら向きになって。……
黒雲の下の煙のなかで、ぞっとするわ、美しいわといったらなかったよ」




