192、信頼とエルフの事情
「もちろんです……!」
マルティナは村長の頼みにそう答えると、ドキドキとうるさい心臓を抑えるように深呼吸をしてから、そっと目の前の本に手を伸ばした。
それは薄い本だが、とても丁寧に綴られているようだ。
ペラッとページを捲ると、エルフ語がびっしりと書き込まれている。マルティナが学んだのはかなり似ているが別の言語であるため、分からない部分もあった。しかしこれだけの文章があり、大体の意味が掴めればあとは予想可能だ。
読み進めるたびに、エルフ語の能力が上がっていく。
「どんな本なのか分かるか?」
「はいっ。これはこの辺りで採れる薬草や果物などに関する情報をまとめたものですね。とても綺麗に整理されていて読みやすいです! そして今まで読んできた植物図鑑には載っていなかった植物や、知らなかった効能などがあり、とても興味深いです!」
目をキラキラさせたマルティナが村長をまっすぐ見つめながら告げると、村長は少し驚いたような表情を浮かべてから楽しげに笑った。
「それは良かった。人間社会にはあまり浸透していない情報は慎重に扱ってくれ」
「もちろんですっ」
大きく頷いたマルティナは、少しだけ躊躇ってから問いかける。
「あの、なぜエルフの皆さんは人間社会のことに詳しいのですか? ルイシュ王子のお母様も、なぜサディール王国の側妃になったのかと疑問に思っていたのですが」
「それは私も知りたいと思っていた」
ルイシュ王子もマルティナの質問に乗り、皆の視線が村長に集まった。そこで村長は真剣な表情で問いを返す。
「エルフは同族を信頼し、皆で助け合って暮らしている。それはルイシュも例外ではない。そしてルイシュの同行者である君たちのことも信頼している。君たちはその信頼を裏切らないか?」
その問いにマルティナは居住まいを正して答えた。
「はい。絶対にエルフの皆さんに不利益となるようなことはしません。ここで得た情報は許可いただいたもの以外は秘匿します。ただそれをどうやって信じてもらえるのかっていうのが、難しいのですが……」
マルティナは難しい表情で考え込んだ。
(こういう時はお互いに弱みを握るとか、何かを人質的な感じで預けるとか、そういうのが定石だよね。でも私に広められると困る弱みみたいなものはないから……)
ぐるぐると悩みにハマったマルティナに、村長は口元を緩めながら緩く首を横に振った。
「いや、その宣言で十分だ。マルティナを信じよう。エルフは人の嘘を見抜くのが得意だからな」
その言葉は何か特殊能力があるという意味なのか、ただ相手の内心を読み取るのが上手いというだけなのか。マルティナは分からなかったが、ひとまず信頼してもらえることがありがたくて、すぐに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「他の皆はどうだ?」
ロランやサシャたちに向かって投げかけられた問いに、全員がマルティナと同じように返す。そしてその返答に満足げに頷いた村長は、本題に入るようにゆっくりと口を開いた。
「まず、エルフは耳の形に特徴がある者と、人間と全く同じように特徴がない者がいる。そのため後者の人間はエルフという身分を隠して人間社会に紛れ込めるのだ。我々は人間の動向を探るために、定期的に人間社会に同族を送り込んでいた。ラクシェールもその一人だったのだ」
最初から衝撃的な話に、マルティナは息を呑んだ。つまり今この瞬間にも、普通にエルフが街や村にいるということなのだ。
隣にいる者がお伽話に出てくるエルフだなんて聞いたら、誰でも衝撃を受けるだろう。
「しかし普通は数年の潜入の後、村に戻ってくる。ただラクシェールはその数年の間にサディール国王に見初められて嫁ぐことが決まり、エルフの村に戻ることはなかったのだ。しかしたまに連絡は届き、楽しく暮らしているようだとは分かっていた。ラクシェールはエルフとしての能力が高かったし、いつでも村に戻れたはずだ。戻らなかったのは己の意志だろう」
そんな話を聞きながら、マルティナは隠し部屋の壁に書かれていたたくさんの文章を思い出していた。あれはエルフの村のことを忘れないように、そして懐かしむように書いたものだろう。
ラクシェールは王宮での暮らしを楽しんでいたのは事実だろうが、エルフの村への里帰りもしたかったのかもしれない。
(行き来できたら良かったけど、それは難しいもんね……)
マルティナがなんだか少し切ない気持ちになっていると、ルイシュ王子が問いかけた。
「そのエルフとしての能力というのは、特別な魔法のことだろうか。幻惑のような力が使えると母が残していたのだが」
「まさにその力だ。エルフは得意不得意あれど、誰もがその魔法を使える」
その言葉を聞いて、ルイシュ王子は居住まいを正してから口を開く。
「その魔法を霊峰に足を踏み入れた人間に使用しているか? 今回私たちがここを訪れた一番の理由は、そこを聞きたかったからなのだ」
核心に迫る問いかけに、マルティナは緊張から喉を鳴らした。後ろにいるロランとサシャ、さらにルイシュ王子の背後にいる他の護衛たちからも緊張が伝わってくる。
痛いほどの沈黙が満ちる中で村長は――頷いた。




