190、珍しい生き物 : マルティナ
(もしかしたら、意外と登りやすくて私でも上に……)
そんなマルティナの期待は、ロープを掴んで片足を木の幹にかけた段階で消え去った。なぜならマルティナは、そこからもう片方の足を上げることができなかったのだ。
(もう片方の足を上げたら確実に背中から落ちる。これは断言できるね)
何にも自慢できないが、マルティナは木の幹と見つめ合いながらちょっとドヤ顔をした。
しかしそうしていても事態は解決しないので、奇跡を信じながらマルティナはもう片方の足を上げようとする。するとその瞬間にマルティナの細い腕には全体重がかかり、もちろんマルティナにそれを支えられる筋力があるはずもなく……。
数秒だけプルプルと震えながらなんとか耐えたが、すぐに限界がきた。手のひらがロープから離れて、背中から地面に落ちる。そう思ってマルティナが目をキツく瞑った直後、誰かに抱き止められたのが分かった。
「あっ、ぶなかったなぁ」
抱き止めてくれたのはロランだ。ロランはマルティナが確実に落ちると思い、助けるために動いてくれていたらしい。
「ロランさん、ありがとうございます……」
マルティナはロランの腕の中でホッと安堵した。痛みを覚悟していたが、痛くないに越したことはないのだ。
「これも護衛の仕事だからな」
仕方ないなと言うような表情で笑うとロランはマルティナを立たせ、肩をポンポンと軽く叩く。そんなやり取りを呆然と見ていたエルフたちは、驚愕の表情を隠していない。
「まさか、本当に登れないのか」
「そんな身体能力では生活ができないのではないか?」
「どこか体が悪いのか?」
「ほら、人間は木の上に住まないって習っただろ」
「それにしたって狩りができないじゃないか。あんなに弱い腕じゃ弓を引けないだろ?」
「人間は狩りをする個体としない個体で役割分担してるんだよ」
「確かに習ったような……いや、でもあんなに弱くちゃ生きていけないだろ」
エルフの生活は割と筋力や体力、強さがものを言うらしい。根本的には良い人たちなのだろうエルフたちは、次第にマルティナの生活の心配をし始めた。
喜べば良いのか悲しめば良いのか分からない微妙な優しさに、マルティナは複雑な顔をしつつ口を開く。
「えっと、本当に申し訳ないのですが、私はここで待機させていただくか、村長さんに降りてきていただくことは……」
「もしくは俺が背負って登ることもできるっすよ!」
サシャが元気よく手を上げながらそう言った。
「大変ではないですか……?」
「もちろんっす。マルティナさんはめちゃくちゃ軽いっすからね」
「でも軽いとはいえ、人一人ですし……」
ニコニコと笑ってくれるサシャの好意に甘えようか。でもさすがに迷惑をかけすぎじゃないか。マルティナがかなり悩んでいるところに、爆弾が投下された。
「君は、マルティナと言ったか? マルティナがエルフの文字をどこまで理解しているのかも確かめたかったので、本がある上に行ってくれると助かるのだが。本を持ち出すには基本的に村長の許可が必要で……」
「本!?」
マルティナは聞こえてきた『本』という単語に飛びつく。前のめりで、グイッとエルフの男に顔を近づけた。
「エルフの村の本を読ませていただけるのですか!?」
「……っ、きょ、許可されたものだけだぞ?」
キラキラというよりも、もはやギラギラしているマルティナに、エルフの男は気圧されている様子だ。そんな中でマルティナは、グルンッとサシャに視線を戻した。
「サシャさん、私を背負って上までお願いします!」
「おいマルティナ、さっきまでの葛藤はなんだったんだ」
ロランが呆れた表情を浮かべている。
「やっぱり私のせいで皆様にご迷惑をおかけするのは違うと思うんです。サシャさんにご迷惑をおかけしてしまうのは申し訳ないのですが……今度お礼に美味しいご飯をたくさん奢りますね!」
「本当っすか! 約束っすよ!」
「もちろんです!」
本と美味しい料理。それさえあれば満足であるという性格が、どこか似ている二人である。
「まあ、二人がいいならいいけどよ……騒いでしまってすみません。マルティナはサシャが背負うので上に行けます。ルイシュ王子もお時間を取らせてしまってすみません」
「いや、問題ない」
ルイシュ王子はマルティナを見てどこか楽しそうだ。
そうしてマルティナのおかげか雰囲気がかなり緩み、皆で一際大きなツリーハウスまで登ることが決まった。ルイシュ王子の護衛たちも仕方がないと受け入れたようだ。
マルティナさえ問題なければ、足場付きのロープを登るのはそこまで難しいことではなく。すぐにツリーハウスの上に着く。
するとそこには、かなり広い空間が広がっていた。絨毯が敷かれておりテーブルや椅子もある。そしてその椅子には、一組の男女が腰掛けていた。




