186、側妃の残したものとは
隠し部屋の壁に書かれていた文章を脳内に思い浮かべ、今学んだばかりである言語の知識を総動員させて、マルティナはなんとか端から解読を進めていった。
(かなり似てるけど、ちょっと違うところもあるから完全に理解はできないかも……)
途中でその事実が判明するが、ルイシュ王子も全てを完璧に理解することを望んでいるわけではないだろうと思考を切り替える。
最後に母親が残した言葉を知りたいだけなのだと思う。そのためには細かい部分の正しい翻訳よりも、書かれている文章の全体的な意味を優先して――。
そう思って解読を進めていたマルティナだったが、少しずつ内容が分かるとともに、意識を切り替えていた。
なぜなら、その内容は――。
(もしかして、ルイシュ王子のお母様ってエルフだったの……?)
エルフにまつわる詳細だったのだ。エルフとはサディール王国内で読んだお伽話に出てくる種族だ。誰も実在するなんて思っていない、架空の種族である。
そんな種族が本当に実在していた、さらに側妃だったとなれば、大騒ぎ間違いなしだろう。さらにそれだけでなく、マルティナは読み進めるたびに眉間の皺を深くすることになる。
側妃が残した文章は自分が忘れないようにとメモしたものなのか、エルフの習慣やレシピなどに始まり、エルフが持つ幻惑のような特殊能力について、さらにはエルフの村への行き方なども書かれていたのだ。
(もしこれが全て真実だと仮定すると、エルフは今も霊峰の森の中に住んでいて、もしかしたら霊峰探索軍が奥に進めないのは、エルフの魔法のせいなんじゃ……)
マルティナはこの情報をどうすべきなのか、真剣に悩んだ。もし本当にエルフが原因で霊峰探索が進まないなら、その原因を取り除くまでは探索をしても意味がないことになる。
とはいえ隠し部屋から得た情報を公開したら、エルフの村への行き方を試してみることになり、もし本当にそんな村があったら、悲惨な結果になる可能性は高いだろう。
話し合いでなんとかなれば良いが、マルティナは楽観視できなかった。戦闘となって両者に大きな被害が出る光景が、脳裏をよぎる。
(そもそも、この情報は破棄してほしいっていうのがルイシュ王子のお母様の望みだよね。公開するのは避けたいけど、霊峰探索に関係があるなら隠し続けるのも……)
マルティナは自分一人で悩んでも結論は出ないと判断し、明日の夜にでもルイシュ王子に時間をとってもらおうと決めた。
(とりあえずルイシュ王子に内容を全て話して、どうするべきか相談かな)
その日の夜はマルティナにしては珍しく、ベッドに入って目を瞑っても、しばらく眠りにつけなかった。
翌日の夜遅く。前回と同じようにマルティナの部屋にルイシュ王子がこっそりやってきた。マルティナとロランの二人だけとルイシュ王子が話をするには、こうして夜にこっそり会うしかないのだ。
今回は最初からロランも室内にいるため、ロランが窓を開けてルイシュ王子を出迎える。
「ルイシュ王子、来てくださってありがとうございます」
マルティナは少し声を潜めながらそう言って、ソファーを示した。マルティナとルイシュ王子が向かい合って腰掛け、ロランは護衛としてマルティナの後ろに立つ。
「いや、構わない。それよりもこのメンバーということは、暗号が解けたのだろうか」
ルイシュ王子は平静を装っているが、興奮が隠せないようだった。そんなルイシュ王子に、マルティナは真剣な表情で口を開く。
ちなみにロランもまだ何も聞いていないため、後ろで緊張しているようだった。
「まず一番大切な事実ですが、ルイシュ王子のお母様は――――エルフかもしれません」
エルフという言葉がマルティナの口から発されると、ルイシュ王子はその言葉の意味を飲み込みきれないようにぽかんと固まった。ロランも思わぬ言葉だったのか、ぱちぱちと目を瞬いている。
「エルフって……あのおとぎ話に書かれてたやつか?」
先に復活して口を開いたのはロランだ。
「はい。そのエルフだと思います。少なくとも発音は同じでした」
「あのエルフって、空想の種族じゃないのか?」
「私もそう思っていましたが、実在するかもしれないんです。少なくともルイシュ王子のお母様が残したあの文章は、エルフにまつわることが細かく書かれていたものでした。忘れないようにとメモをしていたような形です」
そこでやっとルイシュ王子も話を飲み込めてきたのか、大きく深呼吸をした。それからふと思い至ったように、客室にある鏡の前に足を向ける。
「確かエルフは金髪に青い目が特徴だと……」
ルイシュ王子は自らの容姿を改めて確認し、自分の髪に触れた。
「私はそのままのようだ」
「はい。さらに人間離れした美貌というのも、まさにその通りだと思います。ただ耳が尖っているという部分だけは当てはまらないのですが……」
マルティナのその言葉に、ハッと何かを思い出したようなルイシュ王子がソファーに戻ってくる。そして何かを思い出すように告げた。
「私の母も金髪に青い瞳で、とても美しい人だった。そしていつか、私が幼い頃だったと思うが、私の耳に触れてこう言ったことがあるのだ。『あなたの耳が丸くて良かったわ』と。その時はなんの話だと不思議だったのだが……」
ルイシュ王子の母親は、自らの子供の耳が普通とは違う可能性に怯えていたのかもしれない。
「もしかしたらエルフとは、耳に特徴がある人とない人がいるのかもしれませんね」
マルティナのそのまとめを聞いて、ルイシュ王子は自らの手を見つめる。
「まさか、私がエルフの子だというのか……」
それからしばらく無言になったルイシュ王子のことを、マルティナは静かに待った。ロランも口を開かず、室内には沈黙が満ちる。
十分以上は静かに考え込んでいたルイシュ王子は、ゆっくりと息を吐き出すとマルティナに視線を向けた。