182、離宮の隠し部屋
隠し部屋に繋がる階段を少し下ると、すぐ細い通路に出た。そして、その先に扉がある。
その扉を開くと――そこは、こぢんまりとした部屋だった。ルイシュ王子の護衛が魔道具を弄って光を強くすると、部屋全体がしっかりと照らされる。
「これは、凄いですね」
マルティナは思わずそう溢した。部屋は先ほどまでいた豪華な作りとは違って無骨な作りなのだが、その壁に刻まれた暗号がとても異様な雰囲気を放っていたのだ。
人が数人入るとちょっと狭く感じるほどの広さの部屋には、小さなテーブルと椅子が置かれているだけで、四方の壁には天井から床までびっしりと文字のようなものが書かれている。
「少し不気味だろう? 私は初めて入った時、怖くてすぐに出てしまった。しかし次第に母上が残した暗号かもしれないと思い、何度も足を運んで色々と調べたのだが、まだ何も分かっていないのだ」
そんなルイシュ王子の説明を聞きながら、マルティナは壁に近づいた。
「この壁に書かれた文字以外は何か残っていないのですか?」
「何も残っていなかった。この隠し部屋からは、母上が亡くなった時から何も移動させていない」
つまりこの暗号のような文字が他に残っている可能性は低いということだ。この隠し部屋の壁に刻まれた文字だけで、その内容を特定しなければいけない。
マルティナはじっと文字の形を見つめた。一つ一つ確認していき、ある可能性を確信に変えていく。
「すみません。あの辺りが見えづらくて、もう少し強く照らしてもらえますか?」
「分かりました」
ルイシュ王子の護衛の男性が魔道具を掲げると、天井付近の文字も鮮明に見えた。それを見て、マルティナはさらに確信する。
そんな一連の動きを見ていたロランは、何かを察知したのか、信じられないと言うように問いかけた。
「もしかして、この暗号が分かるのか……?」
その問いかけにマルティナが反応するより早く、ルイシュ王子が目を見張って口を開く。
「そ、それは本当か!」
マルティナの肩を掴んで顔をグイッと近づけたルイシュ王子に、マルティナは驚きつつ曖昧に頷いた。
「分かるというほどではありませんが、これとよく似た文字を、ある書物の中で見たことがあります。文字の系統がかなり似ているので、何かしら関係はあるかもしれません。つまりこれは暗号というよりも、過去に使われていた文字である可能性が高いですね」
数百年前の古い書物に、さらにその書物が書かれた時から数百年前に出会った特殊な地域言語という形で、この隠し部屋の壁に書かれた文字とかなり似たものが紹介されていたのだ。
「さすがマルティナ嬢だな……!」
ルイシュ王子はいつでも完璧なその笑顔を崩して、少し幼いような表情をしていた。瞳を期待に煌めかせて、壁に刻まれた文字を見つめている。
「本当に、読めるかもしれないのか」
「はい。ただ今の段階では無理です。その文字に出会ったと記載されていた時代、地域に関する書物をたくさん集め、この言語に関する情報を集めなければなりません」
「分かった。それは私が請け負おう。……ただ、なぜ母上はそのような言語を知っていたのだろうな」
ルイシュ王子がポツリと呟いた疑問は、マルティナも考えていたことだった。現代にはほとんど記録が残っていないような言語だ。ルイシュ王子の母親が平民であったことを考えると、そんな特殊な言語を学ぶ機会などなかったはずである。
(中古本屋でたまたまその言語の本を見つけたとしても、それを覚えようなんて考える人はほとんどいないと思うし、さらにそれをこうして使いこなせるほどに練習するのも不自然だ。隠し部屋に刻む文字として選んだのも、そもそもなぜ壁に書いているのかも、色々と疑問が残る)
不思議だらけの壁の文字を見つめていると、ロランが首を傾げながら言った。
「この文字、何で書かれてるんだ? ちょっと特殊なインクじゃないか?」
その疑問を聞いて、マルティナはインクに意識が向いた。確かに青みがかったような、ちょっと特殊な色のインクである。
普通なら黒を使う。青色のインクというのは比較的高価であり、何か意味がなければ文字を書くためだけには選ばないものだ。
「ルイシュ王子は理由が分かりますか?」
「理由というか、この青は多分、母上が好きで育てていた花の色だ。ネフィアという花をよく庭で育てていた」
「ネフィア……聞いたことがありません。私が今まで読んできた植物図鑑にも載っていませんでした」
マルティナが聞いたことがないということは、ラクサリア王国周辺では全く咲かない花か、もしくは呼び名が違うかだろう。
「私も母上が育てているネフィア以外を見たことがないのだ。花はたくさん咲くのだが小さく素朴で、たまに母上のメイドたちがもっと華やかな花を育てればと言っていた」
「サディール王国の市井で人気の花というわけでもないのですか?」
「ああ、メイドたちも知らない花だと言っていたからな。少なくとも人気の花、有名な花というわけではなさそうだった。ただ、母上はとても気に入っていたのだ。ネフィアの花で布を染めたりしていたので、インクも作っていたのだと思う。それをここの文字を書くのに使ったのだろう」
ルイシュ王子の母親が好きだった花のインクを使った。理由としては一応納得できるものだ。ただこの量の文字を書くのに必要なインクの量を考えると、それを花から作り出すのは相当難しいだろうとすぐに予想できた。
(ルイシュ王子のお母様にとっては、ネフィアという花のインクで文字を書くのが大切だったのかな)
マルティナはそんなことを考えながら、壁の材質にも目を向けた。この地下室の壁は一面木張りなのだ。ネフィアのインクで文字が書けるように、わざわざ木を張ったようにも見える。
(色々と疑問はあるけど……)
「とりあえず、この文字と似た文字が使われていたらしい過去のある地域に関する書物を集めてみてですね。私が今言えるのはそれだけです」
マルティナはそうまとめた。