129、官吏としての仕事
会議室を後にしたマルティナは、護衛のロラン、サシャの二人と、書類作成の手伝いをしてくれるナディア、シルヴァンと共に、マルティナの客室に向かった。
客室には大きなローテーブルとソファー、さらに食事をとるためのダイニングテーブルとそれに合わせた椅子もあったので、書類作成をするだけなら十分な場所だったのだ。
「じゃあ、護衛は俺がするっすね! 部屋の外で見張ってるので皆さんは安心して書類を作ってくださいっす」
ニカッと笑みを浮かべたサシャの言葉を、マルティナとロランはありがたく受け入れた。ロランはマルティナの護衛であると共に官吏なので、書類作成の手伝いをしてもらえるとありがたいのだ。
「サシャさん、ありがとうございます。ロランさんは書類作成の手伝いをお願いします」
「ああ、もちろんだ。サシャもよろしくな」
「はいっす!」
そうして客室の中には四人だけになり、まずはロランが口を開いた。
「とりあえず、どういう書類を作りたいのか概要を説明してほしい」
この四人が集まると、やはりロランは上司なのだ。
「分かりました。まず第一に作るべきだと思っているのは、やっぱり赤点病の概要をまとめた報告書です。それからより詳細な別資料として赤点病の経過をまとめたものと、ブルーバクや寄生虫、さらに病気を媒介する虫の詳細をまとめたもの、そして薬の作り方に関するものを作りたいと思っています」
「分かった。大元の資料が一つと、その派生資料が三つだな。問題は資料に記載したい知識がマルティナの脳内にしかないことなんだが……」
そこで言葉を切ったロランは少しだけ考え込んだ後、さっそく準備していた白紙を指差して言った。
「マルティナはまず、伝えるべき情報を箇条書きで全てここに書いてほしい。文字の綺麗さも文章の正しさも、体裁も何も気にしなくていい。マルティナが全ての情報を書き出してから、それを使って書類作成をしていこう」
「分かりました。それなら、そこまで時間はかからないと思います」
「しかしそれでは、わたくしたちはしばらく何もできないのではなくて?」
ナディアの疑問に、ロランは首を横に振って説明を続ける。
「いや、そんなことはない。さっき外交官たちが、今回のことはラクサリア王国からの情報提供という形にすると言っていただろ? ということは、これから作る資料もそれに則る必要がある。報告書というよりも他国向けの文書、それもちゃんと封書の形にすべきだろうな」
同じ国王という立場の相手に渡す書類だとしても、自国の国王に上げる報告書と、他国の国王に渡す書類とでは、全く書き方が違うのだ。
まだ官吏としての暦が浅いマルティナ、ナディア、シルヴァンの三人は、その辺りの知識については曖昧なところが多かった。
そういう実務面は本にまとまっていることも少なく、マルティナさえ知らないことも多々ある。
「では、私たちはその文書の体裁を整える仕事からすべきということだな」
シルヴァンの言葉にロランが頷いた。
「ああ、内容に問わず書ける部分はたくさんある。まずはそこを俺たちで作っていこう。幸い俺は一通りの書き方を知ってるから、お前たちに教えられる。マルティナが知識を書き出してくれてる間に、そこを進めておこう」
その言葉にナディアとシルヴァンが即座に頷いたのとは対照的に、マルティナは葛藤を表に出して眉間に皺を寄せる。
とにかく本が大好きなマルティナだが、新しい知識を得ることそのものも好きなのだ。したがってロランがこれから説明するだろう新たな知識を、今は聞くことができないのが悔しい。
(仕方がないことだけど、私も聞きたい……!)
そんなマルティナの気持ちを理解したらしいロランは、苦笑しながらマルティナの顔を覗き込んだ。
「そんな顔しなくても、後でマルティナには教えてやる。今はやるべきことをやろう」
ロランの言葉とその表情を見て、マルティナは意識を切り替えた。
「そう、ですね。すみません、今は私ができることを精一杯やります。ただ後で詳しく教えてください!」
「ああ、もちろんだ。そうだ、書類の書き方についてちょっとしたノートにまとめようか? それを読んだら、マルティナはもっと楽しいんじゃ……」
「ぜひ!」
前のめりで瞳を輝かせたマルティナに、ロランは一瞬だけ驚いてから、すぐに頬を緩める。
「分かった分かった。じゃあ後でな。それを読んで、分からないところがあったら聞いてくれ」
「はい。ありがとうございます」
後でロラン作成のノートを読めるという事実に胸が高鳴ったマルティナは、スキップをしたくなるような気分で白紙に向き直った。
まずは、マルティナが必要な情報を書き出さなければ始まらない。脳内にある歴史書と薬師の日記の記憶から、必要な情報だけを抜き出して箇条書きにしていった。
さらにブルーバクの詳細情報などについては、脳内にある魔物図鑑の該当ページを思い浮かべる。
ひたすら必要な情報を書き出し、手や腕の痛みを感じ始めたところで――ついに全ての情報が白紙にまとまった。文字でいっぱいになった紙は全部で三枚だ。
「終わりました」
達成感と共に顔を上げると、ちょうど様子を見にきていたロランがマルティナの目の前にいた。
「さすがだな。ちょうど昼飯時だから、向こうで食べようぜ。さっき運ばれてきたんだ」
ロランが示したテーブルに視線を向けると、そこには五人分の軽食が並んでいる。サシャの分もあるようだ。
「……なんだか急にお腹が空きました」
「ははっ」
集中している時には空腹も忘れるマルティナだが、ふと現実に意識が戻ってくると、急速に思い出すのが常なのだ。そんなマルティナに楽しそうな笑みを浮かべたロランは、マルティナの手からペンを取って片付けると、ソファーから立ち上がった。
「早く食べるぞ。サシャの分が冷めたら可哀想だからな」
「確かにそれはダメですね。サシャさんには美味しい状態で食べてもらわないと」
お腹を空かせているだろうサシャのことを考え、足早にテーブルへと向かう。そこではすでにナディアとシルヴァンが食事を始めていたが、まだ食べ始めたばかりのようだ。
軽食は食べやすいものをわざわざ準備してくれたのか、バゲットサンドとスープのようだった。
「マルティナ、お疲れ様。とても美味しいわよ」
「凄く美味しそう」
「必要な情報の書き出しは終わったのか?」
「はい。三枚の紙に全てまとまりました。皆さんの方はどうですか?」
マルティナが三人の顔をぐるりと見回しながら問いかけると、サンドパンを優雅にナイフとフォークで食べていたシルヴァンが、僅かに笑みを浮かべて答える。
「もちろん、こちらも順調だ。あとはマルティナ待ちとなっていた」
「さすがですね」
「ロランの教え方が上手いのよ」
そう言ったナディアは、パンを手でちぎって一口サイズにしてから、綺麗に口へと運んでいた。
「それは光栄だな」
嬉しそうな笑みを浮かべているロランは、ばくっとかぶりつく形だ。もちろんマルティナもロランと同じようにかぶりつき、口の中で全ての具材が混ざり合うのを楽しむ。
「んっ、これ美味しい」
「そうでしょう? 味付けがとても良いわ」
「ハーディ王国のレシピ本も色々と読んでみたいなぁ」
すぐ本に意識が飛ぶマルティナに、ロランとナディアは苦笑を浮かべ、シルヴァンは呆れた表情だ。
「中古本屋で大量に本を買っていたではないか」
「あんなのほんの少しです! それにやっぱり中古本屋にあるのって、本というよりも紙束みたいなものが多いので、ちゃんとしたハーディ王国の図書館に所蔵されているような本を読みたくて読みたくて……!」
今マルティナがいる王宮内にも、もちろん図書館が存在するのだ。しかし他国から来たマルティナが入れるはずもなく、ずっと考えないようにしていた。
「そこは我慢するしかないな」
ロランにそう言われ、マルティナはガクッと肩を落とす。
「そうですよね……分かってます。頑張って我慢します」
「またどこかで中古本屋にも寄りましょう」
落ち込んだマルティナにナディアが優しい言葉をかけてくれて、その言葉は今のマルティナにとってとても嬉しいものだった。
「うん。ナディア、ありがとう……!」
そんな話をしているうちに、大口で食事を進めていたロランが食べ終わる。
「じゃあ、一旦サシャと交代するな。皆はゆっくり食べててくれ」
「分かりました。ありがとうございます」
それからはロランと交代したサシャがニコニコと嬉しそうにバゲットサンドを頬張り、サシャとほぼ同時にマルティナたちも昼食を食べ終えた。
午後も皆で書類作成に精を出し、夕方の進捗報告会議までには細かい部分のチェック以外は文書が完成する。
そして会議では、外交官の皆との擦り合わせも行うことができた。
あとは明日の朝、ハーディ王国側の薬師たちとも打ち合わせをして、さっそく謁見だ。マルティナは少し緊張しつつも、疲労感からすぐ眠りに落ちた。