三十八歳、主婦の戦争誰がために
青い空に雲はない、つまり晴れているということ。
「中学からの同級生であるA美とB美が、同じ日に結婚しました」
「まさか、同じ日に結婚式あげたとか?」
「そうそう、同じ式場でね。それで二人とも結婚を機に専業主婦になって」
話す二人は三十代も終わりがけの三十八歳。誕生日も同じ、以前は隣り合う家に住んでいたというなじみである。
「で、それがどうしたの」
「A美は貯蓄を増やしたいから、B美は旦那のお金を大切にしたいからという理由で節約をしていました。さて、五年後幸せになったのはどっちでしょう?」
「なにそのクイズ。ほぼ性格診断じゃん……」
天気予報があったとしたら、太陽マークが日没の時間までずらりと並びそうな日本晴れ。ほんのわずかなかげの中、二人は汗を拭う。
「まあまあ、そう気負わずに。適当なクイズなんだから、適当に答えてよ」
「うーん。A美」
「なんでそう思う?」
ニヤリと笑う出題者は、ブーツの中で汗ばむ足に不快感を感じていた。履き替えるには、家が遠すぎる。
「B美みたいなタイプは旦那が好きすぎるわけでしょ? だからいつか一人になることを想像しすぎて精神が不安定になるんじゃないかなって」
「ブー! 外れです」
「だと思った」
やれやれと笑う回答者の足元もブーツ。デザインは出題者とまるで同じもの。
「正解はね、五年後に戦争が始まりどちらも幸せになれませんでした」
「それ、私たちのことじゃん」
かつて買い物に来たこともあるこの街は、分厚い底を持つ靴でなければ歩けないほどに壊れていた。廃墟の街にて二人は、もう何年前に捨てられたであろう車のかげに身を隠しているのだ。
「あれ……どう見ても魔法使いだよね」
落ちていたミラーの破片に映しているのは、車から二十メートルほど離れた場所で大欠伸をする少女の姿。戦場に似つかわしくないふわふあした髪とふわふあした服。その違和感は、下手な合成写真よりもひどい。
「ついに当たっちゃったねぇ……」
人間を遥かに超える力を持つ魔法使い。見つかればほぼ確実に殺される。
「そういえばさ、魔法使いはなんちゃら法関係ないんだよね」
「兵器扱いだからね。え、まさかあんたあれと戦う気なの?」
ぬるりと抜いたコンバットナイフは唯一の武器。弾は、つい三十分ほど前に起きた戦闘で撃ち尽くしてしまったのだ。
「魔法使いは、魔力を使い果たしたら腕力も人並みになっちゃうんでしょ?」
「そうだけど、そんな計画性のない馬鹿いる?」
「まあ、いないだろうね」
「シッ、こっちに来る」
死体と瓦礫の中を、少女が歩いてくる。ニタニタと下卑た大人のように笑うその顔に並ぶ傷んだストロベリーのような色の瞳は、明らかに隠れている二人を感知していた。
「私の子どもが生きていたら、あのくらいになっていただろうね」
「私の子はもっと大きくなってただろうなぁ」
「私はだいぶ後で産んだもんね。でもあの子たちが死んだ日は……同じだった」
魔法使いとの距離、残り約十メートル。
「そうそう。あの時も、おんなじような服着た魔法使いだったよね。流行ってるのかね、ああいうファッション。ええっと……」
魔法使いとの距離、残り約七メートル。
「ロリィタだね。うちの子がほしいほしいって言ってきかなかったなぁ。買ってあげればよかった」
魔法使いとの距離、残り約五メートル。バキンと奥歯を噛んで二人は同時に駆け出した。最期まで戦い続けたという事実を残すために。
「衛美!」
「ふりむくな!」
一歩先に出た衛美の足が発火する。唐突に、突然に。これが魔法使いの理不尽である。
「うああああっ!」
「いけ! 美衣美!」
正しくは、美衣美と書いてみいみと読む。それをびいみと読むのは、二人で決めた絆のかたち。
「とった!!」
「ぎゃっ! ぎゃっ!」
飛びかかり強引に馬乗りになった美衣美は、縁石に頭をぶつけた魔法使いの瞳にナイフを突き立てすぐに抜き、また突き立てた。
「やれ美衣美! やってやれ!」
燃やされる前にできるだけダメージを与えてやろうと何度も、何度も突き刺す美衣美に衛美が呼びかける。攻撃に参加しないのは、足にまとわりつく炎を美衣美に移さぬため。
「ああ! ああああ! ああ!」
「ぎゃっ! あっ! がっ!」
何度も、何度も何度も何度も突き立てるコンバットナイフ。顔が真っ赤に染まっても、魔法使いが美衣美を発火させることはない。嘘みたいな話だが、魔法使いはさっき衛美の足を燃やした炎で魔力を使い果たしてしまったのである。
「ぎゃっ! あっ! がっ!」
魔力のない魔法使いの力は、人間並み。体格差に物を言わせ、美衣美は繰り返し、一方的に、叩きつけるようにナイフを突き刺していった。
「ぎっ! ぎゃ! あっぎ!」
魔法使いは人間ではない、虐殺を好む血狂いの獣である。訓練兵時代からさんざ聞かされた通説に従い、美衣美は刃を突き立て続ける。
「刺し続けろ美衣美! 中途半端だと回復しやがるぞ!」
「わかってる!」
「ぎゃっ、あ あ ぎ ぎ! ぎゃ!」
何度も頭部を突き刺された魔法使いが死亡しないのは、刺した傷が三秒ほどで塞がってしまうため。これだけは魔力が尽きても変わらない、怪物の生理現象。止める方法は体の三分の一以上を吹き飛ばすか、もう生きていたくないと思わせるだけの痛みを与えるかの二択。
「はあっ! はあっ!」
「ぎゃ! ぎゃ! ぎ!」
魔法使いの血も赤い。色だけで言えば、人間の血とまるで同じだ。だが、違いははっきりと分かる。人間の血は這いずる蛭ように体の中に戻っていくことなんて――――ないだろう?
「あああああああ!」
「ぎゃ! ぎゃ! ぎ!」
刺せ、刺し続けろ。その動作に感情が揺れ動く隙間などない。
「ぐぎ い い」
戻る血液を凝視しろ。そいつらが止まったときが勝利のときだ。
「ぎっ 」
科学的にいじってある腕は疲れにくい。その腕が、きしみ始めても美衣美は刺し、抜き、刺していく。
「……あ あ ―― ……」
顔面を狙うのをやめ胸部に突き立てた途端、魔法使いが死を望んだ。青春真っ只中にある少女の弱点は、頭ではなく心であったのだ。
「はぁっ……はぁっ……やったああああああ!」
薄い胸を五回突き刺した後、傷が塞がらなくなったことに気がついた美衣美は、両手を高く空に突き上げる。
「美衣美! 美衣美!」
「衛美っ……足は」
「消火システムが効いた、ほんとによかったよ美衣美が死ななくて」
美衣美を後ろから抱きしめる衛美の足は、服が焼けただけであった。末端兵士に支給される、粗悪な自動消火システムが珍しくほぼ完璧に動いたのである。
「ほんとによかったよ、衛美が焼けなくて。火焼け嫌いだもんね」
「日焼け……ああ、火焼けね。そのジョーク私くらいしか通じないと思うけど」
「衛美に通じればいいよ」
「あ……う」
「「死ね!」」
「ぎ」
わずかに動いた魔法使いの胸に突き刺さったナイフは二本。回復は止まったままであったが、殺しきれていなかったのである。
「これ、びっくりするくらい死なないね」
「たしかにこれを殺せたら、勲章ものだわ」
魔法使いを殺すという大手柄をあげた二人は、顔を見合わせてニヤリと笑う。
「さて、切り分けよっか。今増援が来たら流石に死んじゃう」
「そうだね、急ごう」
仮に、帰る途中に攻撃を受けたとしても、分割しておけばサンプルをロストしないで済むかもしれない。
「ふふ……ふふ、あはは」
「あははは」
分割した体をそれぞれ担いだ二人は、またお互いの顔を見て笑う。平日のカフェで大して美味くもないランチを食べながら談笑していた頃のように。血まみれであることは、嘘かのように。
「いやぁ、これでやっと休暇もらえるよ。うちの隊で魔法使い殺したのってさ、私らだけでしょう?」
「一週間は休めるとみた! 一週間ブーツ履かなければ水虫も治るかなぁ」
「それは無理だと思うけど……ラム、ウイスキー、ジンにウォッカ……なんでも選び放題だと思うよ! いや、やっぱ焼酎! 焼酎が良いよ! 芋があるといいんだけど、日本物はほんと値段上がっちゃったしなぁ」
「どうせ銘柄もわがまま言うんでしょ? 変わんないよね昔から」
「なにさ」
「私はビールでいいからね。ドイツでもアメリカでもなんでも」
「あんたってほんと、ビールしか飲まないよね」
「炭酸が好きなの。まあ、なんというか、ホッとしたね。これで二人して通信機落としたの怒られずにすむ」
これから与えられるであろう甘美な褒美を思い浮かべる二人の頬は、ゆるみっぱなしである。
「そうだ、お供え行こうよ。今の基地、家があった場所に三十分くらいで行けるし、さすがに今回は許可出るでしょ」
再び顔を見合わせた二人は、これまでで最高の笑顔を浮かべた。
「そうなると、日本酒とオレンジジュースもいるね。バーベキューの時、いっつもそれだったしさ」
「旦那と息子の好きな飲物まで同じだったなんて、つくづく私たちは相棒なのかもね」
空に思う。生きるためには、幸せだ。
「ああ、くそっ。増援だ」
「しかもどう見ても魔法使い、アンラッキーがすぎるね」
だから戦え、主婦たちよ。