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つまらない男

 

 その男はこの街に突然やってきた。


 蜃気楼で道がぼやけるような日だった。ローブを着た男は道を通るだけで目立ち、数日後にはそいつを知らない者はいなくなっていた。


 しばらくして、街中に男に関する噂が囁かれるようになった。男は様々な街を転々としているらしく、彼の評判が風の噂で伝わってきたのだ。何でも、男の手にかかれば、病気にならない身体になれるらしい。おまけに何のからくりか、その処置を受けると仕事も恋も思いのままだとか。



 ***



 その日、俺は道端に落ちていたチラシを拾った。くしゃくしゃに丸まるそれにはしかしさっきまで配っていたような温かさが残っていた。広げてみると、目から鱗の情報がたくさん目に飛び込んできた。


「あなたもこれを施せば、人生勝ち組!」

「不死の病が消失?! 体が軽い!」

「能力アップで商談がスムーズに! 収入が100倍に!」

「実は恋人ができて……今幸せです♡」


 全部ぜんぶ見慣れない言葉だ。これまでの俺の人生では無縁の言葉。くしゃり、持つ手に力が入る。

 産声を上げたその日から、俺はずっと貧乏だった。両親はしがない工場員で、毎日朝から晩までどろどろになるまで働いていた。そんな無茶な働き方をしても、その日食べる3人分のパンくらいしか手に入らないこともしばしばだった。

 俺が9つの時に親父は死に、お袋も12の時に流行病で亡くなった。

 貧乏だった俺は結局、両親の働いていた工場で日々限界がくるまで働いている。その帰りだった。

 せめて最低限の学をつけようと、自力で学んだ文字は、今日初めて希望を見せてくれた。


 チラシの「無学な方でも大歓迎」という文字が目にとまる。

 こんな俺でも、たくさんの賃金がもらえるのか。

 明日の食料の心配をしなくてよくなるのか。

 あたたかい服を着れるのか。


 かすかな希望と不安を胸に、俺はチラシにのっているこの街で一番有名な建物を目指した。



 ***



 その男を正面から見た感想は、怪しい、の一言だった。真っ黒なローブの影で顔は見えないし、彼がしている事業の説明もはっきりしなくて胡散臭い。

 具体的にどんな処置をするのか、その結果具体的にどうなるのか、わからない。

 集まった面々はみんな期待外れのような顔をして、説明の途中で帰るやつもいた。


 最後まで残ったのは、オレみたいなボロを着た下層のやつら10人くらいとこぎれいな格好をした女学生3人組、がたいのいい強面男、貴族の老夫婦、7つくらいの子供1人だった。その子供の顔に見覚えがあって、目を剥いた。

「トム! お前親父さんの面倒みなくて大丈夫なのか?」

「ジョゼフおじさん? わぁ、びっくりした! お願い! 父さんには内緒にしておいて!」

「そうはいってもなぁ……」

 トムはオレの家の近所に住むガキだ。病気で寝込んでいる親父さんの世話をしながら、新聞配達の仕事や靴磨きの仕事をしている。うちの付近に住むガキにしてはなかなか頭がいいし、キラキラ輝く目は人を惹き付ける。可愛い弟みたいなもんだ。

「それにオレはまだ24だ。おじさんじゃない」

「オレからみたらおじさんだよ!」

 忘れていた。こいつはくそ生意気だった。

 笑顔で言い切った子供の頭を軽くはたく。そしてずっと気になっていたことを尋ねた。

「お前何でここに来たんだ?」

「そんな事、おじさんならわかるでしょ?」

 やはり金か。俺と同じように、この子供は親父さんを養う金が欲しくてここに来たんだろう。なんとも健気なこった。



「これから一応仕事をしてもらうので、皆さんと個人で面接をしたいと思います」

 フードの男が言った。

「すぐにでも働きたい方から、立候補制で面接する順番を決めます。面接に通過した方には、そのまますぐに処置を行います。さて、一番初めに幸運を手にするのは一体誰かな?」


 誰も手を挙げなかった。それはそうだ。相手はこの街に来たばかりの怪しいやつで、処置で何をするのかも定かでない。

 けれども、その男が口にした「幸運」への甘い誘惑と、誰もが尻込みする中立候補する勇気ある自分への陶酔、高揚感に抗えなかった。


「俺、やりたい」


 座席から立ち上がり、勢い込んで伝える。その思いは伝わったようで、暗くて見えないフードの影で、男が笑ったように感じた。


「ではジョゼフさん、向かいましょう。面接をするのは2階奥の小部屋です」


 隣で目をパチパチさせているトムににやりと笑いかけて、俺は意気揚々と男について行った。



 ***



 木造のこの建物は3階建てでこの小さな街で一番高いことで有名だ。いわゆる“お役人”たちが仕事をしている場所だ。夜も更けたこの時間は当然彼らも仕事を終えていて、集まった人間以外は誰一人いなかった。フリースペースでの説明を終え、男が案内した部屋は明かりがついておらず、放課後の学校のような印象だった。なんでそんなことを知っているかっていうと、学校へは行っていないが、憧れて1度だけ忍び込んだことがあるからだ。その時入った暗い教室は、日中の明るいイメージと異なり不気味だった。

 男が持ってきたランプのお陰で、辛うじて部屋の様子が伺える。部屋の中央には、ぽつんと椅子が2脚、向かい合う形で置いてあった。


「どうぞこちらへ」


 促されて椅子に座る。上がっていた気分はこの部屋に入った瞬間、急速にしぼんでいった。あまりにも気味が悪い。つい声をかけてしまう。


「あの、電気はつけないのか?」


 上流の奴らが過ごすこの建物には電球がついていることがわかっていた。てっきり移動の時だけランプを使うのかと思っていたが、男がスイッチらしきものを押す様子はない。俺の問いかけに男がかすかに首を縦に動かす。


「はい。その方が都合が良いんですよ。少し暗いですけど、ランプで十分です」

「そうなのか」

「まぁ、最初はみんなそう言われます。大丈夫ですよ。すぐ慣れます」

 何の話だ?明かりのことだろうか。

「あなたはどうして此処に?」

「……学がなくてもこの街の役に立てればと。チラシを見て来た」


 俺の返答に相手が笑ったような気配がする。何だよこの野郎。顔見せろよ。


「本音は?」

「………」


 まずい、動揺したのが顔に出てしまった。何だってそんな事を聞くんだ。


「……わかりました。面接は合格です。すぐにでも処置をしましょう。その前に一点だけ」


 男は俺の返答を待たずに話し始めた。


「処置が終わったら、あなたにインタビューをさせてもらいます。そこであなたには、肯定的な意見のみを言っていただくことになりますが、よろしいですか?」


 ……なるほど、宣伝材料にでもするつもりか?まぁ、そんな事言われたって今のままじゃなにも分からねぇ。とりあえず頷いた。

 とにかく聞かれたことに正直に答えればいいだろう。否定的な感想があっても俺は知らねぇ。


「よかった。これに頷いていただけないと、あなたの希望に答えることはできませんので」


 そりゃどういうことだ?

 思わず顔を上げるが、そいつは俺の反応を無視して言葉を続ける。

 隣の部屋で処置をするそうだ。大人しくついていくとそこはさっきの所と同じように薄暗く、椅子の代わりに小さなベッドがぽつんと置いてあった。

 明かりはやはり持ち込んだランプだけで、こんな中でちゃんと手元が見えるのかと不安になる。


「ではそこに横になって、楽にしてください」

 これから麻酔を打ちますので、感覚がなくなりますが、大丈夫ですよ。痛みは感じないと思います。

 徐々になくなっていく感覚のなか、俺は相変わらず喜怒哀楽を感じさせない声を聞いた。強い眠気を覚えて瞼を閉じていく。


「それではジョゼフ・バーナーさん、幸運の世界へようこそ」



 ***



 目が覚めたとき、まず感じたのは恐怖だった。


「お目覚めですか?」


 近くで声がして身体がビクッと反応してしまう。あぁ、もう身体、では、ないのか?


「それでは約束通り、インタビューをさせていただきますね」


 斜め前に立つローブ男を睨んでも、奴は穏やかな態度を崩さなかった。


「ジョゼフさん、どうかされましたか?」

「……てぁしの、かんかぁ、く、が、ねぇ」

「あぁ、それは大丈夫ですよ。皆さん最初はそう言われます。麻酔がまだ効いているのですかね。すぐ慣れますよ」

「クッ……」

 くそ野郎。


 そう言ってやろうとしたが、声が出なかった。


「もう話せますか?インタビューさせてもらいますね」

 待てよ、声出ねぇんだよ。

「ジョゼフさん、この処置をやってみて、気分はどうですか?」

「………」


 最低だ、と言ってやろうとしたが、また声が出なかった。そして、意志とは無関係に勝手に口が動く。


「最……高です!」


 こぼれでたセリフに驚き唖然とした。次に襲ってきたのはまぎれもない恐怖。思ってもないことを言おうとする自らの口の動きに必死に抵抗したが、次々とお決まりのセリフがこぼれていく。


「どうしました?おやおや少し興奮されているみたいですね」

「こんな素晴らしい気分は生まれて初めてです。身体は軽いし、もっと早くやればよかった!」

「それはよかった。大変満足されたようで安心しました」

「はい、大満足です!」


 それではインタビューを終了します。

 そのセリフを最後にインタビューは終わったらしい。すると、急に男は俺の至近距離に顔を近づけてきた。


「ジョゼフさん、本音がだだもれですよ」


 幼子に言い聞かせるような優しい声に震える。相変わらず顔は真っ暗で見えない。


「約束、忘れられましたか?」


 忘れた訳じゃない。ただ、正直に答えようとしただけだ。

 そう考えた時、身体に衝撃がはしり、俺の意識は再び途切れた。

 くすり

 笑い声が聞こえた。



 ***



 あれから2ヶ月が経った。

 俺は今、高層ビルとか言うところの一室に住んでいる。以前住んでいたすきま風の吹きすさぶボロ家と比べれば、天国としか言いようがない。温かいシャワー、温かい服と毛布に贅沢な味のする出来立てのパン、食欲をそそる香りのするスープ(もちろん具はたくさんだ)、そして、夢だったステーキ。そんな幸せの象徴のようなものたちに日常的に囲まれ満たされながら、生活をしている。

 あの時は、契約違反の罰として、電気ショックをやられてしまったが、いろいろあって、ちゃんと希望した通りの条件で働けている。

 生活をしてみれば、今の身体は思いの外動きやすく、あの時の恐怖やその後に感じた不安は杞憂だったと言える。俺が嫌々やったインタビューは、今や大事な宣伝材料となり、後から納得して撮り直したシーンも含めて、よく見かけるCMの一つとなった。


 カメラに向かってニカッと笑う表情は、我ながらいい顔をしていると思う。


 CMの効果もあり、何よりその効力が話題となって、たちまち街中が奇跡の処置の成功者でいっぱいになった。今では処置をしていない者は、この街にはほとんどいないくらいだ。それくらい急速にあの男の技術は街に浸透していった。


 さらば泥まみれの貧乏生活

 ようこそ幸運の世界へ


 家には反射するほどの灯りはつけていないし、鏡もない。だから、自分の顔を見ることはできない。けれども、俺は確信している。今自分が幸せな顔をしていることを。





 ***





 カタリ

 物音に顔を上げると、ギィィーと音を立てて扉が開く。

 そこに立っていたのは、数度見かけたことのある小さな男の子。


「やぁ、君もとうとう幸運の住人になりに来たのかな?」


 うつむいたまま、彼は首をふる。


「……オレはやらない」


 座っていた椅子から立って数歩歩み寄り、目の高さを合わせる。


「君は何でやらないんだい?」


 すると、彼はゆっくり顔を上げてにっこり笑った。


「だってあなたはしてないでしょう?」


 キラキラ光る目が眩しい。


「……だからしないと?」

「うん!」


 少年はしゃがんだ男の横をすり抜け、ずんずん部屋へ入っていく。


「では、どうして此処へ来たのかい?」


 男の言葉に少年が動きを止める。振り向くと光を宿した双眸が真っ直ぐ男を見据えた。


「……オレは、」

 本当はお礼を言いに来たんだ。


「父さんを元気にしてくれてありがとう」

(オレを自由にしてくれてありがとう)


 口には出さなかったが、少年が本当に言いたかったことを正確に読み取って、男は笑みを浮かべた。一瞬フードの奥のもやが消え、妖しく光る紫色がトムの視線を捉えた。


「君も一緒に来るかい?」



 ***



 男がこの街に来て2ヶ月半、街の様子は様変わりした。彼の力はそれほど影響力があったのだ。あれほどあった貧富の差は消え皆が平等に“幸運”を享受している。

 道を行きかう馬車は車に、ランプは電球に。

 そして人々は――――頭部のみへ。

 プカプカと宙を漂う生首たちの瞳は白く濁り、正しくものを映してはいない。物言わぬ彼らが見ているのはうつつか幻か。最初に声が出なくなったのは一体誰だったか。

 彼らの右耳の後ろには、思考を操るチップが刺さったまま。


 そんな“人”のいなくなった街を二本足で歩く生き物がいた。来たときと同じローブを着た男と彼に手を引かれた子ども。2つの影はゆっくりと闇の中に消えていった。

読んでいただきありがとうございました。

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