3.2
寛太が、眼鏡を外して目を擦る。
シルバーの丸いフレームは、知的にもお茶目にも見えるし、彼の人の好さそうな顔によく似合っている。
「…俺さ、今までの全部、壮大なドッキリなんじゃないかってたまにマジで考えちゃうんだよね。『お、ごめん遅れた』って言いながら現れるんじゃないかって……バカみたいだけど本気で」
普段はAppleの企業戦略がどうとか個人投資がどうやらとか楽しそうに語ってくる男が、こういうことを真面目に言い出したのはちょっと可笑しくて、くすっと笑ってしまった。
けど、わかる。
「伊吹くん、すぐ遅刻するよね」
「そうそう!飲める人いる?って呼び出すくせに、自分が一番来ない。」
バイト終わりに4時間待たされた夜でも思い出したのか、寛太が目尻に皺を寄せて呆れたように笑う。それから真顔に戻って、なんでもないような声でぽつりと呟いた。
「…遅れて来ないかな。今日も」
ドラマの1シーンにありそう。漫画の1ページでもいい。
匿名的な居酒屋を背景に。煙の立ち昇る中向かい合う。
のれんをあげて入ってきた伊吹が、静かに横に立って、
私たちは手に持った煙草を落として驚く。なんてね。
私たちは、今も昔も、彼の物語の中に取り込まれてしまっている。
「なあ、これどう思う?」
寛太が新型iPhoneの画面を開いて見せてくる。
昨日投稿された、夏子のインスタのストーリーだった。
異国の朝焼けの写真を背景に、黒い小さい文字で綴られる。
『あいつが夢に出てきた、
お盆近いからかな、趣味悪いよ。ほんと勘弁してほしい。
会いたい。』
「…私のとこにも来てよ、って思う」
私の返答に、寛太が笑った。
「だな」
もしかしたら私たち、登場人物ですら無かったのかもしれないけれど。




