書類の行方
──私が父に会いに行くよりも、少し前の話。
いつもの生活に戻った私は、この書類をどうすべきかで悩んでしまっていた。いつもの生活……それがいいのか悪いのかわからなかったのだ。
受け取った当初は、これを使ってヒューゴー様から真実を聞き出すつもりでいたものの、特に使うことはなかった。
ヒューゴー様は戦後もルルシェと連絡をとっていたのか、「『ルルシェは生きている』と言っていた」とイーサンから聞いている。……だがこの書類にはそこまで書いてある訳でも無い。
私からレナに渡すのに、この書類に書かれたことだけでは情報が不足し過ぎている。こんな中途半端な情報を渡しても、直接関係していない私から引き出されるのはもっと中途半端な情報でしかない。
だが私はなにかしたかった。
ヒューゴー様の方からこの書類をレナに渡してもらうことも視野に入れ、私はこれについて相談をしてみた。
「すまないな、コリアンヌ……俺は聞かれなければ話すつもりは無いから、これは預かれない」
返ってきたのは、困ったような笑みと封に入れ直した書類。
視線を落としたヒューゴー様は、私が理由を尋ねるより先に静かに話し出した。
「……俺はまだ、彼女が本当に『何も知らなかった』とは思っていない。 知らなかったとしても確かめなかっただけで、いくつかのことには薄々感づいていたと思う」
ルルシェとヒューゴー様の婚約破棄の件以降の事は、なにも知らなかったレナ。
『ルルシェ』が『テスラ』の代わりになったことも、『テスラ』がヒューゴー様に殺されたことになっていることも、実は生きていることも……なにも知らない筈だ。
──しかしヒューゴー様はそれを訝しんでいるらしい。
その上でこう続けた。
「だが……それを確かめるつもりもない」
自身の気持ちを受け入れ、レナに想いを告げたヒューゴー様。
レナが過去を知らなかった以上、過去を隠すのは保身の為ではない。むしろ今は、全て詳らかにした方が都合がいいのではないのか。
だから、何も言えなかった。
黙ってしまった私に再び向けられた、ヒューゴー様の困った笑顔。
「勿論君は君の思う通りにしていい。 レナは君の侍女だろう? 君が悩んで出した結論に彼女が不満を抱くとは思えない」
それを聞いて、私は余計に悩んでしまった。
「……コリアンヌ?」
「ヒューゴー様……私これを、どうしたらいいかわからないよ……」
『テスラ』や『レイ』の葛藤。
それを目にしてしまっていた私には、何が正解なのかもうわからなかった。
『自分だったら』という想像なら間違いなく真実を知りたいが、私はレナじゃない。
『テスラ』や『レイ』そして周囲を含んだレナの複雑な気持ちは到底理解できそうもなく、それでもなにかしたくて……とにかく歯痒くて仕方ない。──そんなことをたどたどしく告げたように思う。
「…………っ」
変な間に顔を上げると、ヒューゴー様は肩を震わせ物凄く笑うのを我慢していて、途中からは完全に笑っていた。
……解せぬ!
「なんで笑うの?! 真面目に話してるのにィ~!!」
「いやスマン、そうか、そうだよなぁ~。 コリアンヌはレナが大好きだもんなぁ~。 大丈夫、なにもしなくても君はレナの特別だよ」
「……!!」
そう言われて自覚した。
私は多分、悲しくて腹が立っていたのだ。
知らないことや、なにも出来ない自分や、頼って貰えないことに。
そして、示したかったのだ。
レナの一番近くにいるのが私だってことを。
「というか、リヴォニア夫人はそれだけだったんじゃないか?」
「え?」
「書類さ。 それをどうこうってことじゃなく……レナが君の侍女だから」
「!? …………!
………………そうなの?」
「いや、知らんよ。 だが少なくとも、夫人がそれをどうこうっていうのはないと思う」
「それは……」
冷静に考えれば、私もそう思う。
母はそもそも最初からレナを単体としてしか見ておらず、その柵には興味がないのだ。『レイ』の死体を用意したのも、単体としてのレナに必要だったからに過ぎない。
やはり書類は父が用意したのだろう。母がレナになにかを聞かれてもいいように。
結局使われることがなかった書類は、レナの手に渡ることなく……レナが私の侍女になったことで、私に渡った。
ヒューゴー様の言う通り、母にしてみればそれだけのことなのかもしれない。その考えはとてもしっくりきた。
もともとは多分、養子縁組の書類と共に学園入学を機に渡すつもりだったのだ。
レナの身の振り方を『私に』決めさせる為に。
だって、レナはもう、私の侍女だから。
俯き考えていた私の頭上から「コリアンヌ」と呼びかける優しいヒューゴー様の声。
「君は知らないだろうけど、君が生まれてからレナは変わった」
「え……わっ?!」
「……君の侍女になってからは特にね!」
目線だけ上げた私の頭を、ヒューゴー様の大きな手が乱暴に撫でる。「も~」と言いながら乱れた髪を撫で付けつつ、今言われたことを心で反芻した。
ふと過る、イーサンの言葉。
『それに俺からみた限り、侍女殿が今不幸だとは思えない。』
今まで私が見てきたレナ。
私だって、レナが不幸だなんて思ったことは無い。
「──本当?」
「うん」
顔を上げると、ヒューゴー様は笑っていた。
「だからそれは、君のおかげだ。 きっとまた変わっていく……彼女だけじゃない、俺も君もね。 彼女の一番近くにいて見守る役目を、俺に譲ってくれないか」
「ヒューゴー様……」
「私は見守られていた側だけど」と返すと、ヒューゴー様は遠慮なく声を上げて笑っていた。
ヒューゴー様はやっぱり素敵な人だ。
(大丈夫、これでいい。 それに……)
──それがレナにとってちょっと強引だったとしても、彼女は『お嬢様の侍女』だそう。
さっきハッキリそう聞いた。言質は取った。
都合のいいときだけ主に戻る仕様ではあるが……見合いは主の命として受けて頂く。
そしてその選択をしたのは、まぎれもなくレナ自身である。
(うん……全く問題ナシ!!)
「──そうよね! 奥様!?」
「うわっ! びっくりしたなぁ~、なんだい?」
「……久しぶりに聞きましたね、それ」
驚き目を覚ました父と、レナの冷静なツッコミを無視し、私は狸寝入りした。
託されただけの書類の入った鞄を、しっかりと抱えて。
──ホホホ、これぞ『鍛えても貴族』ザマス!
脳内で奥様の高笑いが聞こえる。
『鍛えても貴族』……ハンコック領で培った日々の総括として、これ程ピッタリな言葉はない。
これが私──コリアンヌよ!(ドヤァ)




