気付きと変化
選択をせずに諦めた──
その意味を正確に掴めていない私に、ヒューゴー様は続ける。
「……言い換えるなら、他人を慮り過ぎて、自分の気持ちから目を逸らした事象だったのではないか。 どれも悩んでやめた……そう決断したというよりは、悩んだまま決断していない気がする」
ルルシェが婚約破棄され、修道院へ送られたことをレナが知ったのは、新しく出来たばかりのセレブ御用達のティールーム。
父が忘れた、商会から納品する調度品の見積もり書を届けに行った際のこと。
気を利かせたオーナーが『是非お嬢さんも、一杯召し上がってからお帰りください』と店に席を用意してくれ、父もそれを許可した。
「──まさか公開で婚約破棄されるだなんて」
席に着いた途端、聞こえてきたのは姦しい女学生達の声だった。
「ええ……でもわかるわぁ。 ヒューゴー卿が許せないのは当然よ。 ルルシェさんとバルドラさんは端から見ても親密だったもの」
「いくら清らかな関係だったとしても、婚約者のある身よ? まして格下である子爵家の令嬢如きが。 馬鹿にしているわ」
「大体にして政略とはいえ侯爵家側の旨味などヒューゴー卿が三男だったくらいで……王太子様に目を掛けられた今や殆どない。 それを自ら辞してまでの公開婚約破棄なんて、余程腹に据えかねたのでしょう」
その話に、レナは身を固くしながら耳を澄ましているようだった。
先程ヒューゴー様がしていた話を踏まえながら、この場面について話し合う。
「令嬢達の会話は概ね事実だが、レナが言葉通りに受け取ったとは思っていない」
「私もそう思います。 ルルシェもヒューゴー様も行動がおかしい。 おふたりをわかっているレナなら、裏を考える筈です」
令嬢達の話が変わっても、レナはなにかを考えていた。
そこに商談が早くに終わった父が声を掛ける。
「レナ? 随分ゆっくりしているね」
「旦那様、申し訳ございません」
「いや、そんなつもりじゃないよ。 むしろいつ休んでいるかわからないくらいだから……ここが気に入ったかい? なにか頼もう」
そう言うと、遠慮を見越して『一番人気のケーキ』とお茶を自分の分も頼む。相変わらず気の利く男である。
勿論レナはそんな父の態度に誤解などはしない。
だが、チラチラとこちらを窺いながら、先程までの姦しさが嘘のように小声で話す御令嬢達は、美丈夫の登場に色めき立っているご様子。
それに気付いた父は、ニコリと笑いかけ「少し行ってくるね」とレナに言い、席を立った。
商魂逞しい父は、こういう機会を無駄にしないのである。大概先程と同様にケーキなどを頼み、『貴女方のような美しいお嬢様方にピッタリ』等の見え透いたお世辞と共に新商品のサンプル品を与えるのだ。
運良く学園や社交界で話題になれば、儲けもの。手数料は愛想とケーキだけ。安い。
私の知るレナなら無視してケーキを黙々と食べるか、精々大した感情もなく一瞥する程度でやはりケーキを黙々と食べるところだが……その時のレナは違っていた。
令嬢達と父を見て、なにかを考えている。
やがて席に戻った父も、全く手をつけられてないケーキを見てなにかを察したようだ。
「レナ、君の主人はマグノリアだが、彼女は私の愛する妻だ。 妻の大事な人は私にとっても大事……もっともそれは詭弁であり、全てじゃないがね。 そうありたいと思ってはいるし、君はそうだと思っている」
「……過分なお言葉です」
「そんなことはないさ。 私は根っからの商人で、損得を大事にしている。 だからこそ目に見える損得より信頼の方が最終的に益を齎す、ということもわかっているつもりだ」
「君は充分目に見えて益を齎しているけれど」と父が微笑むと、珍しくレナは頬を赤らめた。
「なにかあるなら、力になりたい。 それは君と同時に、妻に対する誠意でもある」
──むむ……『鍛えても貴族』とはまた違う話術……!
──損得勘定と妻の愛を出すことで、相手に申し訳なさを抱かせないようにしている!
──犯人が自白しやすい状況を作る……これは我々も見習わなくてはならん。
──はい!デカ長!!
……脳内刑事達がうっさい。
父の『妻に対する誠意』の『妻』の部分は『ヒューゴー様』でもあるような気がする。レナに力を貸す予定だった父は、結果的にその役目を母に取られてしまっているから。
レナはそこで救われた部分もあるだろうが、それによって知ることができなかった諸々は確かにある。
どちらが良かったかはわからないし、詮無い話というやつだ。
──結局レナは、何も聞かなかった。
そして、ルルシェの訃報を知る場面へと移動した。
訃報は新聞の、小さな記事で知り……何故か父は母を介してレナに休暇を出す。『ずっと長い休みを与えてないのは、周りにも良くないから』と、もっともらしい理由をつけて。
それを眺めながら、ミッションについての話の続きをする。
「言っただろう、『どういう決断をしても、後悔するときはする』。 そしてあの時の未来は現在だ、今更変わらない。 ならば記憶の過去を変えるのに、どんな意味がある?」
「──『過去に立ち向かう』、それがミッションだと?」
思わず私はこう口にした。
「あまりにレナの脳内に相応しい『ミッション』ですね……」
それを聞いたヒューゴー様は、まるで幽霊でも見たかのような顔で私を見て固まった後、突然額に手を当て俯いてしまった。
暫くそのまま小さく唸るような声を発していたが、深いため息の後で搾り出す様に言う。
「多分……ならば正解だ……」
「?」
「コリアンヌ、このダンジョンは誰のものだ?」
「──は? ……あっ…………あぁぁぁあぁぁぁぁっ?!」
どうしてそこに気付けなかったのだろうか。
わかっていたのに盲点を突かれた気分だ。
思えば小さな違和感は沢山あった。
そもそも地下02~10階までのダンジョンの嫌がらせ仕様。
『なんでそんなモンを?!』
『そりゃ~客人をもてなす為よ』
この国には『冒険者』という職業はない。
だから──
『賢者様は大分アレだが意外といい人だぞ?(中略)大体……』
──そんな嫌がらせ仕様に対応できる人は、知っている限りほぼいない。
ヒューゴー様くらいしか。
賢者様に遮られたが、イーサンはそれを言いたかったのではないか。
地下02~10階層がヒューゴー様のための嫌がらせ仕様ならば、『危険じゃない』という、特別仕様の地下一階は?
答えは明白だった。
「そうだコリアンヌ……賢者様だ」
「うぐっ………いつ気付いたんですかぁ~」
悔しがる私にヒューゴー様は苦笑し「ついさっきだよ」と言った。どうやらさっきの私の言葉で気付いたらしい。
よしんばこれが賢者様の優しさミッションだとしても、どのみちレナがクリアしないことには話にならない。
眠り姫は王子によって目は覚まさない。自力で起きなければならないのだ。
だがクリア条件を理解したなら王子にも出来ることはある。
──『過去に立ち向かう』のがミッションなら、それを後押しすること。
結局やることは変わらないのだが、気持ちの面では大きく違う。どうにもならなかった時、賢者様はおそらく助けてはくれるだろう。
ただし、レナとヒューゴー様には別れが待っている。
とても、そんな気がする。
何故なら賢者様は割と優しいが、鬼のように厳しい人だから。
推測するミッションへの深まる確信と、新たな危機感を抱きながら……場面はまた移動した。
「あれ……?」
場面は幼女レナの記憶。
ヒューゴー様が戦地に赴いた場面をすっとばして。




