不快指数
遥かなる昭和30年代の後味の悪い記憶。
それはいつの昔のことかわからない。わかっているのは昭和三十年代の尻尾ともいうべき幼稚園に上がるか上がらない頃な幼少期らしいということだ。
炎天下、曲がりくねった細い路地を入ったところにその家があったように思う。
人前に出して恥ずかしいほどの挨拶下手と独善的な説明不足は父方の親戚特有の専売特許でもあるらしい。
記憶の糸をたぐれば別れた父方の祖父方の大阪の遠縁のおばらしき老婦人らしいのだが、ご多分にもれず、挨拶もそこそこにひどく状況説明が不足していた。
せめて『ルーツ』のアレックス・ヘイリーか『ファミリーヒストリー』のスタッフなみの才覚はないのか。
浅黒く陽に焼けたランニングとパンツ一丁の汗臭い男たちの呵々大笑する、まるで黒ヒョウの檻のような電気を消した居心地の悪い部屋に放置され、たった一人、通された震える子犬か子猫のような心境だ。父親は私をほったらかしで老婦人と談笑している。
くだんの老婦人がどのような人物なのか、何の説明もなしに否応なしに父親のお供にされて借りてきた猫のように縮こまっていたようだ。
ずいぶんあとになり老婦人がいったい誰なのか訊ねたこともある。系図を書いての説明を求めるのは自然ななりゆきと思うが、それに対し、返ってきたのは「祖先をたどれば父方母方と併せて膨大な人数となり、それを10のN乗として考えると、とても計測できない」という、無味乾燥な科学アタマで木で鼻をくくったような聞きたくもないクソ回答だった。
そんな発想は大嫌いだし、聞きたくもないんだ。醜悪で吐き気がする。生理的嫌悪感すら感じる。
まったくうちのバカオカンめ、人を見る目がない。結婚相手でカスつかみやがって。
そうじゃないんだ。そんな答えは求めてないねん。やれやれ、ようやく折り合いの悪い父親と天下晴れて別れて縁を切ることができたのは私が26のときの秋になってから。遅い、遅すぎるんだよ。まるで気の抜けたサイダーのようなタイミングだ。本当に気が利かないんだから。話が横道にそれた。
そんな折りから気の抜けたサイダーならぬ無造作に水道水で希釈したカルピスが一杯。まったく居心地の悪さといったら、この上ない。
こんなまずい飲み物はあとにも先にもなかった。見知らぬ顔の揃う中、楽屋オチ臭の極限の居心地の悪さ。こんなところに一秒たりともいたくない心境だ。
「またおいでよー」。心にもない社交辞令の捨て台詞?のあるまで、この家を後にするまで、、正直歓待された気持ちがまるでしなかった。
ババア、調子こきやがって、「……二度と来るか!」
断片的にしか覚えていないが、思い出すたびになぜか怒りがこみ上げて来るのである。幸か不幸か不可解なお呼ばれはそれっきり。まったく最低の接客だった。人間、ああなってはいけない。
たぶん不快、やっぱり不快。




